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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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180422 Ⅰテサロニケ4:13-18 「希望ある人生」

Ⅰテサロニケ4:13-18 「希望ある人生」

 聖書の中の聖書と言われるヨハネ3:16は「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」と記されています。本来、人は滅びるしかない存在でありますが、御子を信じるならば、私たちは決して滅びることなく、永遠のいのちを持つ。これが聖書の語る希望です。
 しかしです。滅びることなく、永遠のいのちを持つとは、どういう意味なのでしょうか。人は皆死にます。信じる者、信じない者を関係なく、死は全ての者に訪れます。これは疑いようのない事実です。では、それは滅びるということとは違うのでしょうか。人は皆死ぬのであれば、永遠のいのちとは言えないのではないでしょうか。死は人にとって、希望ではなくて絶望ではないでしょうか。
 実は聖書は死後の取り扱いについて2つの視点から語ります。一つは霊においては、私たちはキリストの贖いのゆえに滅ぼされることなく、永遠の神と共にある永遠のいのちとされること。そしてもう一つ、肉においては、死んで朽ち果てる者ですが、キリストが再び来られる日には、新しい体をいただいてよみがえることです。ですから、一方ではすでにもう永遠のいのちの中に入れられているのであり、もう一方では、これから後に用意されている。これはどちらがではなくて、どちらも正しい。神にあって矛盾なく約束されているところです。
 私の母教会の友人が交通事故で意識不明の状態になったことがあります。丸2日経ちまして、奇跡的に意識を取り戻しました。私たちは彼のために祈り、その時間は永遠かと思うような時間を過ごしました。けれど、後になって本人に聞きますと、彼にとってそれは一瞬の出来事で、事故をしたと思ったら次の瞬間には、もう病院のベッドだったと言うのです。つまり眠っていたようなものです。彼の回復は、2日間とも言えますし、一瞬とも言える。それはどちらが正しいということではありません。どちらも正しい。永遠のことを、私たちの側から見れば、それは後の日の希望です。しかし、先に召された者から見れば、それは一瞬の出来事で、すでにある希望なのです。
 では、そのことはいったい何を意味するのでしょうか。ここから急に身近な話になるわけですが、だから私たちは天の御国に具体的な兄弟姉妹の姿を思い浮かべることができる。先に召された兄弟姉妹との再会を天の希望とすることができるのです。墓を掘り返したら骨がある。そこにあるのだから天国にはまだ入れられていないし、よみがえりもしていない。という話ではありません。古いゾンビ映画を思い浮かべる必要は全くありません。天の御国は遠い遠い未来のいつかやって来る希望ではなくて、すでにある希望です。私たちの愛する兄弟姉妹は、すでに神の永遠の中にあり、やがて私たちもまた同じところに入れられるのです。

160515 Ⅰテサロニケ4:13-18 「イエスにあって眠った人々」 召天者記念礼拝

Ⅰテサロニケ4:13-18 「イエスにあって眠った人々」

 本日は、召天者記念礼拝です。私たちがこのようにして、先に召された兄弟姉妹を覚えるということはどのような意味があるのでしょうか。それはつまり天の御国をよりリアルに感じるということであります。
 天国ということを思います時に、私たちは色々な想像をするかと思います。聖書もまた、天の御国はこのようなものだと、色々と教えてくれています。ある個所では、「天の御国はからし種のようなものだ」と言っています。「パン種」と言ったり、「畑に隠された宝」のようだとも言っています。その他にも、様々にたとえを用いて、イエス様は天の御国と言うものについて教えてくださいます。また、「もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。」とありますし、そこには私たちの住まいがすでに用意されているということを私たちは聞き及んでおります。そこでは、主の栄光が私たちを照らし、都の大通りの中央には水晶のように光るいのちの水の川が流れ、その両岸にはいのちの木が12種の実を実らせていると言うのです。そして、このような天の御国に入れられる。この天の御国において今度は朽ちない体をいただき、永遠に神と共に生きる。これが私たちの希望だと言うのです。
 天の御国については、様々に、断片的に、私たちはその情報を得ます。けれども、実際のところ、それで私たちはどれほど具体的に天の御国を想像できますでしょうか。その恵みを心待ちにしますでしょうか。そこが素晴らしい所だということはわかります。しかし正直な話、具体的なことは行ってみないとわからないというのが、本音ではないでしょうか。
 しかし、そんな私たちにとって、天の御国を確かな希望とするのが、先に召された兄弟姉妹の存在です。私たちは彼らを思うとき、急に天の御国が身近なところと感じることができるのです。
 この3月の終わりに、教会に集っていたご家族がシンガポールに引っ越されました。それ以来、我が家の子どもたちはことあるごとにシンガポールの話をします。TVでシンガポールの映像が流れる度に大騒ぎです。それまでシンガポールという国は、彼らにとって遠い国。全く関係のない国でした。けれど、今やシンガポールは行きたい国ランキング第一位です。その国がどんな国か。どういう文化で、どういう生活か。彼らは何も知りません。そんなことよりも、何よりも、そこに親しい友達がいる。すると、もう、その国は身近で特別な国となるのです。
 パウロは、「眠った人々のことについては、兄弟たち、あなたがたに知らないでいてもらいたくありません。あなたがたが他の望みのない人々のように悲しみに沈むことのないためです。」と言います。眠った人々、先に召された兄弟姉妹を覚えることが、私たちの天の希望を確かなものとするのです。天の御国はもはや遠い世界の話ではありません。私たちの実際的な希望なのです。