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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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160731 ヨナ2:1-9 「主の御手の中で」

ヨナ2:1-9 「主の御手の中で」

 本日は祈ってまいりました洗礼式です。先ほど、兄のお証しをお聞きしました。若い頃から神様の取り扱いがありながら、しかし、それに抗うかのように、様々な文学や哲学、宗教に傾倒した年月を過ごされた兄でありました。それはまるで、神様の召しから必死に逃れようとするヨナのようです。神様の偉大さを知りつつも、それに従うことの何とも言えぬ恐れ。それは十字架を背負うことの重さを無意識に感じ取ったのかもしれませんし、退路を断たれることの不安だったのかもしれません。そうではなくて、もっと気楽で美しい世界が他にあるのではないか。と自力で探し求めた半生であったことでした。
 しかし御存知の通り、ヨナは神様によって引き戻されますし、兄も神様によって連れ戻されるのです。私たちの計画や企てというのは、神様の前では何の役にも立ちません。神様から逃げおおせる者は誰もおりません。ヨナは大きな魚に飲み込まれ、尚、その腹の中で生かされて、何を感じたでしょうか。社会や人間関係や、あらゆる常識といったものから引き離されて、ヨナは自分自身と向き合わされるのです。
 ヨナはヨアシュの時代に北イスラエル王国の領土回復を宣言した預言者です。それは人々が聞きたかったことば。それゆえ、彼は人々から大変尊敬されておりました。その彼が敵国アッシリアの滅びを宣言するように命じられたのです。彼としては何も知らないままにアッシリアが滅べばいい。下手に滅びを宣言すれば、彼らが悔い改めるかもしれないからです。もしも、そのようなことになれば、それは今までの彼の生き方を、全てを否定するようなものです。彼は国民のために預言してきたのです。
 その結果、彼はどうしたか。彼は逃げ出し、しかし神からは逃げられないことを悟ると、嵐の中で命を放棄するのです。自分の所為で嵐が起きている。そして、それゆえに他の者達まで巻き沿いにしている。この現実に、彼は神に逆らう自らの罪を悔いるのではなく、人生そのものを諦める。投げ出すのです。
 そして、そんな彼が今魚の腹の中で生かされる。それは神様の特別の取り扱い。死ぬだけの身をもう一度拾い上げようとする神様の憐れみです。そして、この神様の取り扱いの中で、彼は今一度、神様と向き合わされていくのです。そこには自分自身のちっぽけさがありました。思い上がりや、傲慢がありました。しかし、それ以上に、こんな自分に尚も目を留めてくださる神の憐みがありました。皆さん、全てを失っても最後に残るものが本物です。彼に残ったのは、人々の称賛でも、期待でも、プレッシャーでもなく、ただ神の憐みでした。彼は祈ります。「もう一度、私はあなたの聖なる宮を仰ぎ見たいのです。」もはや彼は預言者であることすらも求めません。それは「もう私は、あなたの子と呼ばれる資格はありません。」と言う放蕩息子の告白と同じです。すると、ヨナは魚から吐き出され、今一度、神の預言者として用いられるのです。
 兄をもう一度神のみもとへと引き戻したきっかけは、とても痛みを伴う経験でした。けれど、兄はそこで再び神と出会った。全てを取られて、尚そこには神の憐れみが残っていたのです。私たちはいかがでしょう。様々なものが手に余って、最後に残るそのものが見えなくなっているかもしれません。神の憐れみは、確かに私たちに向けられています。あなたの取り巻く環境の一切、しがらみや関係、実績、を取り払われた世界。あなたの状況、あなたのこれまでの歩み、考え、思い、一切を知った上で、私はあなたに問いたい。それら一切を全て取り去って、今、あなたはわたしに従うか。そういう問いかけがここにはあるのです。