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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝メッセージを要約したものです。

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170809 民数記12:1-10 「神のしもべモーセ」 赤羽聖書教会 野寺恵美師

民数記12:1-10 「神のしもべモーセ」

 旧約聖書では、モーセのように「地上のだれにもまさって非常に謙遜であった。」と評された人はいません。聖書に於ける「謙遜」とは、普段私たちが使う意味とは違い、全く何も持たないので神の助けなくしては一瞬たりとも生きられない人のことです。主にある乞食、これがモーセの真の姿です。神から召された時「私はいったい何者なのでしょう」と、自分が神の召しに値する者ではないことをよく知っていました。カナンを目指す旅で様々な難題に直面する中でも自分の無力さと主の全能なることをますます思い知っていきました。7節ではモーセは神から「彼はわたしの全家を通じて忠実な者」と評され、二度も「わたしのしもべ」と呼ばれました。これほどの評価を受けた人は他にいません。「忠実な」とは「信頼して任せられる」という意味です。中身は空っぽでありそこにそっくり神の霊が宿る100%主に支配されている主の奴隷です。そういうモーセだからこそ、神さまは対等に話し、その姿を目の前に現し、イスラエルを導くことを委ねます。
 ミリヤムとアロンの誤りはここにあります。彼らは主に用いられていくうちに、自分のうちに主の目に留めてもらえるような何かがあるのだと思うようになっていったのでしょう。だから自分たちがモーセより劣るはずがないという不満が生じます。主の恵みが見えていませんでした。神の主権に文句を言うミリヤムを主はさばかれます。モーセは何も言いませんが、主が答えられました。人々の一番忌み嫌う病に冒され、7日間宿営から締め出されました。私たちには神が見えているでしょうか?ミリヤムやアロンのように、自分が神の働きを委ねられて活躍しているからといって、報いを得られる、あの人よりもっと大きな地位や称賛を得られると期待してはいないでしょうか。神がどんな方か知らなければなりません。神を知らないから自分しか見えないのです。他の人と比べるしかありません。神を知ると自分を高くすることなどできません。モーセのように、自分には何もないこと、神の前にはたださばかれる以外にはない者であることを知ります。これが神を知る者、「神のしもべ」です。モーセにとっては、神のみこころ、神のことばこそがすべてでした。
 平和を考えさせられる8月。戦時下、日本の教会はミリアムやアロンのように自分たちに都合のいいように神のことばを用いながら国策に積極的に協力しました。その結果、ミリヤムのように7日間どころか70年間神に見捨てられました。
 私たちは何者で、神はどんな方なのでしょうか。神こそがこの天と地の真の主権者です。神は世の悪をさばかれます。神は今も生きて働いておられます。私たち教会が果たすべき責任はこの神に忠実に従って生きることです。この世でどうにかして生き残るとか、少しでも世から認められようとすることではありません。生き残り、認められるために教会は存在しているのではありません。たとえ生き残れなくとも、認められなくとも、神のみこころを忠実に行っていくのです。神のことばが教会のいのちです。私たちキリスト者のいのちです。この神を侮る者は、預言者ミリヤムであっても、大国の王パロであっても、神のさばきを受けます。
 モーセのように謙遜にみこころを行う者となりましょう。