Ⅰ列王記20:22-43 「困難を乗り越えた先」
Ⅰ列王記の20章は北王国イスラエルへの2度に渡るアラムの侵攻の様子が描かれています。
1~21節までが1度目の侵攻。22~43節まではその一年後に起きた2度目の侵攻となります。今日の箇所はこの2度目の侵攻の場面です。アラムの王ベン・ハダデは前年度の敗北を塗り替えるべく、再び北イスラエルに攻め上ってきます。この時、アハブに助言する預言者は、エリヤとは別の預言者です。用意周到な神様はエリヤを送ってアハブの罪を糾弾し、別の預言者を送ってアハブを立ち返らせようとするのです。人間、面と向かって言い争った相手の言葉は、たとえそれが正論であろうと、意地を張って受け入れられないということが往々にしてあります。そこで、神様は別の預言者を送られるのです。
ですから、アラムに対しての神の裁きは、同時にアハブの信仰のテストの意味合いも含まれていたわけです。もちろん、アハブを試すためにアラムが犠牲となったと言う話ではありません。アラムが己の都合でイスラエルを攻めたのです。そしてアラムが主を神々と同列のものとして侮辱したことに対する裁きです。しかし、神は一つの事がらをもって、あらゆる者にみこころをなされる方でもあります。ある者にとっては信仰のテストであり、ある者にとっては罪の裁きとなる。どちらも神の御心なのです。
戦いはイスラエルの圧倒的な勝利を持って終わります。イスラエルは一日に10万人のアラムの歩兵を打ち殺したとあります。これは当時の誇張表現ですが、つまり「おびただしい数の」とか、「数えきれないほどの」という意味です。アハブはアラムの2度に渡る遠征を防ぐどころか、圧倒的な勝利でもって跳ね返したのです。
戦いが終わり、命乞いをするベン・ハダデとアラムを、アハブは気を良くして許します。そして見返りにオムリ王の時代に奪取された町々の返還と、ダマスコでの商業権利を得るのです。ところが、神はアラムを聖絶しようと考えておられたのです。このことをアハブが先に聞いていたかはわかりません。けれど、大事な決断を神に伺うことなく、気分のままに下したことは事実でした。国の繁栄にも繋がるアハブの選択。それは人の目には賢い選択のように映ります。けれど、これがアハブにとっては、神に立ち返る試験であったことを考えると、それは主の命令を軽んじる選択でしかありません。預言者を通じて、神の声が届けられていたのですから、預言者を通じて神に伺うこともできたのです。そもそもアラムに勝利したのも、主のなさるところでした。それを自らの力と錯覚し、機嫌を良くしたところにアハブの高慢があります。罪は勝利とともにやって来るのです。
これは私達にとっての信仰の戦いと重なる出来事です。聖絶をせよ。と主は言われるのです。「あなたがたは、罪と戦って、まだ血を流すまで抵抗したことがありません。」(ヘブル12:4)とあります。「あなたがたが誇っているのは、良くないことです。わずかなパン種が、こねた粉全体をふくらませることを、あなたがたは知らないのですか。」(Ⅰコリント5:6)ともあります。罪とは上手く付き合ってと私たちは思います。多少の妥協はつきものと言い訳をしたくなります。けれど、そうではないのです。問題はその妥協が主の言葉に反して為されているということです。わずかな妥協が足元をすくうことがあるのです。「勝って兜の緒を締めよ」と言います。「喉元過ぎれば熱さを忘れる」とも申します。私たちの戦いは徹底しなければなりません。困難な時、私たちは黙っていても祈ります。主にへりくだります。けれど問われるのは、困難を乗り越え、勝利を得て、尚祈ることです。へりくだることです。主の御声に聞かなければなりません。わが身の振る舞いを主に伺わなければなりません。私たちは今、困難だから祈るのではありません。困難であろうと、それが過ぎようと変わらずに、日々の御言葉によって私の今日を吟味する。そのようにして養われる私たちでありたいと思います。

Ⅰ列王記16:21-34 「主の目の前に」
今日の箇所は北イスラエルで第3王朝を開いたオムリとその子アハブについてが記されます。
オムリは北イスラエルの6番目の王で、第3王朝となるオムリ王朝の祖となります。第1王朝がヤロブアム、第2王朝がバアシャ、第3王朝がオムリという具合です。北イスラエルは謀反によって王朝が代わる代わるのが特徴で、血統ではなくて完全な実力主義による王国の形成でした。
バアシャの子エラがジムリの謀反によって討たれて、ジムリはイスラエル王を名乗ります。けれど、彼には人望がありません。すぐさま対抗馬としてイスラエル王に推薦されたのが将軍オムリでした。オムリはジムリを討ち、もう一人の対抗馬であるティブニをも破って、前885年に正式にイスラエルの6代目の王となります。彼の治世で最も大きな功績は、北イスラエルの首都をサマリヤとすることでした。サマリヤは、もともとは何もない100メートルほどの高さの丘で、彼はこの丘の上に町を建設し、これを首都としたのです。サマリヤは東西に長い台地で見通しがよく、戦略的にも恵まれた地で、西のツロやシドンとの交易にも近く、サマリヤは南のエルサレムに匹敵する大都市に発展していきます。そして何より、この台地の上に立つ町は、この後、幾度もの敵国による包囲にも持ちこたえたのです。
読んでわかるように、人望があり、先見の目を持ち、経済に明るく、戦にも強いオムリ。歴史的、政治的には大変優秀な人物であったと言わざるを得ません。実はこのオムリという人は聖書以外の記録に登場する最初のヘブル人君主でして、モアブの碑石にはオムリがモアブを攻め苦しめたことが刻まれています。またアッシリヤに残された記録にも北パレスチナの地域を「オムリ(フムリ)の地」と記されています。考古学的発見が聖書に記されるオムリの存在を証明し、如いては聖書そのものの歴史性を証明している。オムリという王の存在がどれほどの人物であったかが伺えしれます。
次に記されるのは、そのオムリの子アハブです。アハブはご承知のように、妻イザベルと共にバアルの神を国中に広め、これまで以上に偶像礼拝を蔓延させた王です。18章に記される預言者エリヤとの戦いは私たちもよく知るところです。これはイゼベルを妻に招いたによって、彼女の出身国シドンの宗教が入ってきたわけです。つまり、シドンの王エテバアルの娘イゼベルを妻に迎えるというのは、アハブがシドンとの関係強化のために行った政略結婚だったわけです。そしてその目論見どおり、地中海に面する貿易国家であったシドンの富が、イスラエルにもたらされたのです。
イスラエルの歴史を見ても、実はこのオムリ王朝は大変栄えた時代、強力な力を有した時代を築いたのです。国は富み、周辺諸国にも睨みを効かせ、首都サマリヤを中心に国として繁栄していった時代。けれど、この王たちの記録には、彼らの偉業を称えることをいたしません。なぜなら、この王たちの記録は、なぜ神の民の王国が滅びに至ってしまったのか、というこの一点を伝えるために記されているからです。
オムリは、ヤロブアムの罪を取り除くことは遂にいたしませんでした。25「オムリは【主】の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こした。」そのオムリよりもさらに主の目の前に悪を行ったのがアハブでした。31~33「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こすようなことを行った。」
聖書が問うのは、その人がどんな偉業を成したのか、どれほどの富をもたらしたのか、どれほどの称賛を得たか。ということではありません。主の目に、どのような者かが問われるのです。オムリもアハブもその時代の中では讃えられたことかもしれません。国は富、民は潤います。人々はオムリ様様、アハブ万歳であったでしょう。けれどそのために失ったものはあまりにも大きいのです。見えぬところで彼らは全能の神の信頼を失ったのです。私たちは主の目にどのように映っていることでしょうか。私たちは誰の称賛を追い求めているでしょうか。彼らのこの記録の裏で、民の滅びを嘆き、命を賭して声をあげた預言者たちがおりました。彼らは民の反発を受け、王の怒りを買いました。けれど主の目に正しい者であり、永遠の祝福に預かったことでした。私たちの信仰の歩みは、多くの人には理解されないかもしれません。この世のいわゆる成功とはかけ離れているかもしれない。華々しくないかもしれない。けれど、それこそが救いの道。十字架の道です。誰の評価でもない。主の目の前に、自らを吟味する者として今日を過ごしたいと思います。

Ⅰ列王記13:1-10 「神と向き合うために」
ユダ(ベニヤミン)を除く部族に後押しされて王となったヤロブアムですが、困ったことに北の王国には神殿がありません。この時代の民は、神殿建設に直接関わった世代が多くおります。彼らは神殿を誇りとしていました。ですから、多くの北の民が、事ある毎に国境を超えて、エルサレム神殿を詣でるのです。ヤロブアムは民の流出を防ぐために、金の子牛を二つ造り、北イスラエルの南のベテルと北のダンに宮を設けて、祭司を任命し、そこで生贄を捧げることを始めました。極めて政治的に国家ぐるみの偶像礼拝が開始されたのです。
このヤロブアムの大罪に対して、ひとりの神の人(預言者)がユダからベテルに警告のメッセージを携えてやって来た。というのが、今日の場面です。「祭壇よ、祭壇よ、【主】はこう言われる。『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」神の人のこの預言は、後の時代、紀元前622に行われるヨシヤ王による宗教改革を預言しています。けれど、この時点において大事なのは、ヤロブアムの行為が主の怒りを買う出来事だとの指摘です。ヤロブアムが自分勝手に宮を設け、香をたき、生贄を献げることに対する警告として、その宮が取り除かれることの預言が語られるのです。もちろん、預言の意図は、ヤロブアムがこの愚かな罪を悔い、取り除くことです。けれど、ヤロブアムは聞く耳を持ちません。神の人の言葉を聞いて従うのではなく、逆に手を伸ばして「彼を捕らえよ」と命じます。すると、彼の手がたちまちしなびれて、戻すことが出来なくなったのです。もちろん、神の警告でした。ヤロブアムは慌てて神の人に執り成しを願い出ます。神の人は主に願い、ヤロブアムの手は元のとおりとなりました。するとヤロブアムは神の人を食卓に招き、贈り物をしたいと願い出ました。けれど、神の人はその申し出を丁重に断り帰っていくのです。なぜなら、あらかじめ【主】のことばによって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられていたからでした。神の人は、王に従うよりも、神に従うことを良しとしたのでした。
この時、神の人は言いました。「たとえ、あなたの宮殿の半分を私に下さっても、私はあなたと一緒に参りません。」つまり、食卓に誘うというのは、ヤロブアムの配下となれという誘いだったわけです。自分に不都合な意見をする神の人を疎ましく思って捕らえようとしたヤロブアムが、手の平を返したように神の人を引き留めようとする。自分の手の内に置こうとする。それは、目に見える警告のしるしを体験し、神の人を身近に置くほうが得策だと考えたからです。敵対するよりも味方につけたほうが得だと打算した。けれど、そもそもの神の人の警告には決して耳を傾けようとはしないヤロブアムなのです。本当に神の人を味方に付けようとするのなら、食卓に誘うのではなくて、その声に聞き従うべきです。「あなたの言う通り、偶像礼拝を一切排除します。金の子牛も宮も取り壊します。その上で、これからも私を諌めて、導いてほしい。側にいて私を助けてくれないだろうか。」そういう申し出であるべきなのです。けれど、ヤロブアムは神の人を味方に付けたい。けれど、偶像は取り除かない。ダブルスタンダードであろうとしたのです。
ヤロブアムは根本的なところで間違いをしています。彼の罪を警告し裁かれるのは、神の人ではなくて、神なのです。神の人は、神によって警告を告げるべく遣わされた人に過ぎません。ですからヤロブアムが味方にすべきは他でもない神です。そしてそのためには、まず彼が罪を悔い改める必要があるのです。
私がまだ学生の頃の話です。日曜日に礼拝を休もうと母教会に連絡を入れました。「すみません。今度の日曜なんですが用事があって行けません。ほんとにごめんなさい。休んでもいいでしょうか。」すると牧師婦人が言いました。「それは私に許可を取ることではありません。神さまに伺ってください。」厳しい一言です。けれど、そうなのです。私たちは神の人に取り入るのではありません。神と向き合わなければ。そのために、為すべきことを為し、控えるべきを控える。自らをよくよく吟味することが大事なのです。

Ⅰ列王記8:54-66 「今日のように」
奉献式での祈りを終えて、ソロモンは民に向き、民を祝福いたします。主が共にいて私たちを見捨てませんように。私たちの心を主に向け、おきてと定めを守るようにさせてくださいますように。イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。ソロモンの願いの主体はあくまでも主です。彼の願いをよく見れば、それはけして主に強要することはなく、願いの一つ一つに答えることも答えないことも主のお心次第。主に委ねきっていることがわかります。イエス様の祈りもそうでした。「あなたのみこころの通りにしてください。」祈りとは神を強要することではありません。神に私を告白することです。神のみこころに私を委ねることです。
その一方で民に対しては、「あなたがたは、今日のように、私たちの神、【主】と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」と教えます。民は今喜びの絶頂にいます。何年もかけて用意した神殿が完成し、その出来は誰もが目を見張るほどだったのです。彼らはこの神殿の建設に携われたことを誇りに思い、今、この奉献式にかつてない神との結びつきを感じているところです。けれど、その感動はいつまでも続く類のものではありません。この奉献式が解散されれば、民はそれぞれの家へと帰ってまいります。料理を用意し、子どもたちを寝かしつけ、またいつもの日常が始まります。喧嘩もすれ違いも妬みも気遣いも、色んな日々の雑踏の中に紛れ込んできます。今日のこの感動を、この決意を、いつまでも持ち続けることは何と難しいことでしょうか。
私たちは初めの感動を忘れやすいものです。教会生活が長くなるほど、聖書の知識も増しますし、奉仕も熟れてきます。教会生活は当たり前の日常となっていく。けれど、それは単なる私たちの成長と言って良いでしょうか。むしろ気を引き締めなければなりません。私たちの経験や慣れが、私たちの感動や恐れを奪っていくことがあるからです。
皆さんはご自身の受洗日がいつかすぐに思い浮かびますでしょうか。そのときに語られた聖書の箇所は、タイトルは、何だったか覚えておられるでしょうか。バプテスマを受け、祝福を受けながら、心に決めたそのことはなんだったでしょうか。意外と思い出せないのではないでしょうか。「今日のように」と言いますが、これはそんなに簡単なことではありません。初めの感動や初めの決心、私たちの内にある思いは時とともに忘れされ薄れていくこともあるでしょう。日常の中の様々な心配事に心が追われ、感謝や感動になかなか目が行かないことも多々あるでしょう。それが私たちの現実です。ですから、「今日のように」を言い換えましょう。「初めの愛から離れない。」私たちの決意や感動に立つのではありません。初めの愛に立つのです。主イエスの愛に。永遠に変わるところのない神の愛に。私たちの土台を据えるのです。日常の中で喜びや感動や感謝を失った時、私たちがすべきは、その現実を無理矢理に感謝することではありません。私たちは初めの愛に戻るべきなのです。

Ⅰ列王記6:1-13 「神の国の職人たれ」
ソロモンによる神殿の建設の様子が記されています。それは父ダビデの悲願の神殿でした。ダビデは神のために神殿を建設したいと願うも神からの許可は下りませんでした。彼がこれまで血を流しすぎたからです。神殿は息子ソロモンが建てる。それが神の回答であありました。そこで、ダビデは神殿の土地を用意し、その莫大な材料を用意して息子に思いを託すのでした。そして、その父の思いを引き継いで、ここにソロモンは神殿建設の大事業を完成させたのです。
7節に「神殿は建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、一切神殿の中では聞かれなかった。」とあります。別の場所で仕上げられた石なので、道具の音は一切神殿の中で聞かれなかった。というのは、すっと読み飛ばしてしまうかもしれませんが、とても驚くべきことです。現代でこそ、建築材料は作業場で加工して現場で組み立てるという工程は当然のこととなっていますが、それにしても道具の音が一切聞かれないということはあり得ません。当時の神殿建設は石を積み重ね、木材で覆って造られたわけですが、それら一切が釘一つ使われることなく静かに組み立てられていくというのはもはや奇跡です。どれほど繊細で緻密な下準備が成されていたかが窺い知れます。これを可能にするには綿密な設計図が必要です。実は14節以降からは、より具体的な神殿の細部の装飾に至るまでの建築の様子が記されていますが、それらも同様です。各種の材料が造られて、運ばれ、組み立てられます。現代でこそPCで正確に製図し、それをロボットが狂いなく形作ることができますが、当時はもちろん手作業です。しかも実際に組み立てて現場で微調整をするのではありません。あくまでも材料として用意し、それを現場で組み立てるときには「完全に仕上げられた石」なのです。如何に一人ひとりの職人が妥協することなく忠実に自らの職務をこなしたことかと唸らされるところです。彼らの仕事に手抜きは一切ありません。彼らは自分たちの仕事に誇りを持っておりました。彼らは神の住まいを建設するという目的意識を共有していました。切り出した石にゆがみは無いか。木材にねじれは無いか。ミリ単位の調整をそれぞれが行いながら、設計図の通りに磨き上げて行く。そうして最善のものが運び込まれ、組み立てられて、神の神殿は建設されるのでした。
実はこれは現代の宮である教会でも同じことが言えます。一人ひとりが神の住まいを建設するという目的意識を持って、それぞれの賜物に応じて忠実に奉仕することが、如いては神の宮を完成させる一端を担うのです。私たちは設計士になる必要はありません。設計士は他におられます。私たちはそれぞれの職人であるべきです。他人の奉仕と比べる必要は無いし、ましてやケチ付ける必要もありません。賜物も使命も違うのですから、比べても仕方ありません。石職人に金細工はできないし、音楽隊に武器を持たせる必要もありません。与えられた使命に忠実であれば良いのです。お花を活け、看板を書き、楽器を演奏し、御言葉を語る。どれもが教会を築く大切な奉仕です。誰もが賜物を用いて教会の一端を担っています。完全に仕上げられた石はぴったりと組み合わされ、そこには完全な調和が生まれるのでした。
とは言っても、今はそれがかないません。奉仕しないで。教会に来ないで。と言うときがまさか来るとは想像もしなかったことです。けれど現状を嘆いても仕方がありません。今できることを淡々と。職人が必要なのは神の宮だけではありません。神の国も同じです。神の国の建設には、やはり一人ひとりの職人が求められています。賜物に応じて、それぞれの留まるところにおいて、私たちはキリストの名に恥じぬように過ごす。神の権威を認めて従う、そのところこそが神の国です。私たちが神の国の建設者として、神の権威にへりくだり、与えられた賜物を用いて隣人に仕えていく。そのように率先して過ごすものでありたいと思います。
