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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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201227 マラキ4:1-6 「見よ、その日が来る。」

マラキ4:1-6 「見よ、その日が来る。」

 エズラがバビロン捕囚からの第2次帰還民の帰還したとき、ユダの民は堕落しきっていました。周囲の異民族と結婚し、神殿礼拝を無視して、異教的風習に染まり、偶像礼拝に陥っていたのです。あんなにも熱狂的に神殿の再建を祝った民が、わずか半世紀で信仰を見失う。いったい何があったのでしょうか。それはゼルバベルの指導の下、神殿再建を果たしたにも関わらず、民の暮らしは改善されなかったからです。つまり、彼らは神の宮を再建すれば、神からの溢れんばかりの祝福があると期待していたのです。ハガイを通して語られた主の約束には次のようにありました。「わたしはすべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。──万軍の【主】は言われる──銀はわたしのもの。金もわたしのもの。──万軍の【主】のことば──この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。」ところが、そうはならなかった。彼らの生活は相変わらず貧しいまま。いえ、貧富の差が拡大した分、生活はより厳しくなっていったのです。期待が外れます。一体何のために神殿を再建したのか。すべての国々の宝がもたらされるのでは無かったのか。彼らは報いてくれない神に失望して、それぞれ偶像に頼り、欲望のままに過ごして、現実逃避するようになっていったのです。この後、エズラのもとで民は再び信仰に立ち返っていきますが、それと前後するように用いられたのが、この預言者マラキでした。
 マラキ3:14-15には、当時の民の言い分が記されています。「あなたがたは言う。『神に仕えるのは無駄だ。神の戒めを守っても、万軍の【主】の前で悲しんで歩いても、何の得になろう。今、私たちは高ぶる者を幸せ者と言おう。悪を行っても栄え、神を試みても罰を免れる』と。」彼らが何に躓いたのか。彼らは信仰に躓いたのです。ちっとも変わらない生活にうんざりしたのです。悪人ばかりが得をして、正直者が損をする現実が馬鹿馬鹿しくなったのです。これは、真面目な人ほど感じる葛藤です。
 情報を握って、元手がある一部の人だけが豊かになる時代。一億総中流と呼ばれた時代はとうに去り、コロナ禍にあってますます格差は広がっていくでしょう。労働弱者は切り捨てられ、逆に切り捨てる覚悟のある者だけが生き残る。そんな時代に、隣人愛だの、奉仕の精神だのと言っていては損を見るだけ。嘘の一つもついてでも、賢く世間を渡り歩くことが大事と、世の声が聞こえてまいります。・・・最初はそんなことないと思います。損をしても仕えようと思います。けれど、一向に報われない。繰り返すほどに心が疲弊し、やがてもう、どうでも良くなってくるのです。
 Ⅰヨハネ2:16には「すべて世にあるもの、すなわち、肉の欲、目の欲、暮らし向きの自慢は、御父から出るものではなく、世から出るものだからです。」とあります。私たちは世のものに引っ張られるのです。だからと言って霞を食べて生きることはできません。私たちは肉の糧を得るために懸命に働かなくてはならない。生活しなければならない。ですから世にある限り、この葛藤は切り離せないのです。なら一層のこと、それを受け入れて、毎日を欲望のままに好き放題に生きたほうがいい。そう考えてもおかしくないですし、事実、そのようにする人は沢山いるのです。Go to eatキャンペーンが始まった当初、最低金額の食事でポイントの差額を設けることが現代の錬金術と話題になりました。4人以下の静かな会食が勧められる中、例年通りに忘年会を行う議員たちもおりました。世の中は私たちに、正直者は馬鹿者だと教えているようです。色んな抜け道を使って賢く生きるのが成功者なんだと教えるようです。けれど、マラキはそうではないと語るのです。
 神に失望した民に、マラキは「見よ、その日が来る。」と警告します。私たちの生き方が神によって清算されるその日がやって来ると言うのです。私たち信仰者はここを見なければなりません。自分の好き勝手に生きる、高ぶる者、悪を行う者は全てを失います。けれど主の名を恐れ、主に従う者は永遠の祝福に与るのです。
 私たちの日常は様々な困難に満ちています。私たちは思います。信仰がなければどれだけ楽だろうか。神を知らなければ、どれだけ悩まないだろうか。けれど違います。信仰を捨てれば困難がなくなるなんてのは妄想です。なぜなら全ての者は「一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」からです。困難の無い人などいません。けれど、私たちはその困難の中でも、やがて来る栄光を見ることができます。困難は決して絶望ではないことを知るのです。
 大事なのは世の声に流されず、神の声に聞き従うことです。世の正義は過半数の正義です。それは移り変わるものです。けれど、神の正義は永遠です。ですから私たちは神の声に聞き、神の声に従うのです。