Ⅰ歴代誌29:20-30 「幸せな晩年」
歴代誌第1の最後の部分となりました。ダビデは祈りを終えて、全会衆に命じます。「あなたがたの神、【主】をほめたたえよ」そして翌日、おびただしい数の生贄をささげ、手の前で宴を持ち、改めて王の交代を正式に油注ぎを行ないました。王の引き継ぎをもって、ダビデは表舞台から退きます。ソロモンの治世が始まるのです。
ダビデの晩年の記録で最も目が留まるのは28節ではないでしょうか。「彼は幸せな晩年を過ごし、齢も富も誉れも満ち足りて死んだ。彼の子ソロモンが代わって王となった。」幸せな晩年を過ごし、齢も富も誉れも満ち足りて死んだ。とあります。それはもう何の心残りもないということです。やりきった。思い残すことはない。私たちもまた、このような地上の最後を迎えることができるならば、それは何と素晴らしいことかと思います。
しかしです。彼の晩年は幸せと一言で語るには、なかなか一筋ならではいかなかい日々であったと思うのです。列王記第一の1章には晩年のダビデの姿が記されています。まず、年老いたダビデは体が冷えて、夜どれだけ衣服を着ても暖まらなかったとあります。そこで家来たちは、アビシャグという若い娘を身の回りに仕えさせ、ふところに寝させて暖めるようにいたします。おじいちゃんの側に孫ほどの少女を添い寝させたという場面です。ダビデの冷えは単に体の冷えだけのこととは思えません。人恋しさがあったのでしょう。年老いたダビデの就寝に多くいた妻たちの一人もいないということに、ダビデの晩年の様子がうかがいしれます。妻たちでも、息子たちでもない、縁もゆかりもない少女アビシャグがダビデに仕えたということに、ダビデの寂しさが滲んでいます。
また、歴代誌29:22には「その日、彼らは大いに喜んで、【主】の前で食べたり飲んだりし、改めてダビデの子ソロモンを王とし、【主】の前で油を注いで君主とした。また、ツァドクを祭司とした。」とあります。けれど、この背景には、彼の4男のアドニヤの反乱がありました。アドニヤは野心を抱いて王になる宣言をし、このアドニヤを将軍ヨアブと祭司エブヤタルが支持したのです。ダビデはアブシャロムに続いて息子アドニヤの反乱を経験しました。ダビデはこのことの故に、祭司エブヤタルを失脚させて、ツァドクを祭司として重用し、預言者ナタンとエホヤダの子ベナヤと共に命じて、ソロモンに油を注ぎます。改めて王であることを宣言したのです。
歴代誌の記述の背景には、決して幸せな晩年とは呼べないような状況があったのです。けれど、それでも尚、歴代誌がダビデの晩年を幸せな晩年と呼ぶのはなぜでしょうか。それは、彼自身に心残りがないということでありましょう。困難はあった。試練は多かった。けれど、その時その時に彼は後悔なく歩んだ。失敗をしても、主の前にへりくだり、解決を得た。精一杯やり遂げた。だから、彼には心残りがありません。周りの状況がどうだから、ではなく、自分自身がその時その時に悔いなくやりきったかどうか。自分の生き方に言い訳をしないからこそ、彼は満足した晩年を過ごすことができたのです。
列王記2:2-4にダビデの死を前にしたソロモンへの言葉があります。「私は世のすべての人が行く道を行こうとしている。あなたは強く、男らしくありなさい。あなたの神、【主】への務めを守り、モーセの律法の書に書かれているとおりに、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みなさい。あなたが何をしても、どこへ向かっても、栄えるためだ。そうすれば、【主】は私についてお告げになった約束を果たしてくださるだろう。すなわち『もし、あなたの息子たちが彼らの道を守り、心を尽くし、いのちを尽くして、誠実にわたしの前に歩むなら、あなたには、イスラエルの王座から人が断たれることはない』。」これは、まさしくダビデ自身が心掛けてきたことです。彼はどのような困難の中でも、主の掟と命令と定めとさとしを守って主の道に歩みました。それゆえに彼は栄えたのです。これは彼の経験からくる確信です。
たとえば、私たちの人生にも、様々なことが襲いかかります。試練があります。困難があります。信頼していた人から急に裏切られることもあります。けれど、雲がぶ厚く掛かっているからと言って、太陽が無くなったわけではないし、太陽なんていらないと言うことはできません。人生の酸いも甘いも、それが神を礼拝しない理由とはなりません。みこころに背く言い訳にしてはいけません。どんなに厚い雲の上にも、太陽は変わらずに輝いています。主のみこころを信頼して、精一杯にその日その日を過ごしていく。その変わりない懸命な日々の先に、私たちはこの日常が満たされていることを見出すのです。

Ⅰ歴代誌24 「原点に立ち返り」
23章の冒頭に「ダビデは日を重ねて年老い、その子ソロモンをイスラエルの王とした。彼はまた、イスラエルのすべての長たち、祭司、レビ人を集めた。レビ人のうち、三十歳以上の者を数えたところ、その男子の頭数は三万八千人であった。」とあります。ですから、このところはダビデの最後の努めが記されているのです。ダビデは王としての最後の努めに、人々を集め、その人々を数え上げ、組分けをし、組織を整えるのです。もちろん自分のためではありません。息子ソロモンのため。残される民のため。国としての筋道を立てるためにです。
23章にはレビ族のかしらたちが登録され、24章ではレビ族の中でも、ケハテの子アムラムの子であるアロンの子ら、つまり祭司の家系が組み分けられていきます。アロンの子のエルアザルとイタマル。もちろんこの二人は遠い遠い昔の人物です。ダビデの時代には、その子孫であるツァドクとアヒメレクがそれぞれの長となり、ダビデに仕えておりました。この祭司体系をダビデは整えるため、それぞれの家の子孫たちを組分けいたします。エルアザルの家が16組。イタマルの家が8組。計24組がくじの順番通りに、交代で主の宮に入り奉仕するのです。各組は1週間毎の交代で、1年で2度奉仕を担当します。ちなみに、当番の中からくじで一人が選ばれて、至聖所での奉仕を担当いたします。それは一度当たるとくじから外されるという一生に一度きりの奉仕で、祭司にとっては最高の晴れの舞台。中には一度もくじに当たらずに生涯を終える祭司もおりました。ご存知、ヨハネの父ザカリヤは第8のアビヤの組に属していた祭司の家系であり、くじによって至聖所の奉仕が当たり、御使いガブリエルと遭遇することになるのです。
ザカリヤに預言が授けらたのはダビデの死から960年ほど経ってのことです。ソロモンによって神殿は建てられますが、彼の死後は国が分裂、神への不信仰を繰り返し、やがてそれぞれの国は滅ぼされていきます。神殿は破壊され、ユダの主だった民はバビロンに捕囚され、捕囚後に帰還した民によって再び神殿は再建されますが、その後も、ユダヤは多くの国に支配され、神殿礼拝は幾度となく途切れたのです。にも関わらず、イエス様の生まれるその時代、遥か昔に定めたダビデの規定に則って、祭司の職務が未だ全うされているというのは、これは本当に凄いことです。時代が代わり、支配者が変われば、世の価値観や基準は幾らでも代わります。礼拝のあり方、守るべきもの、変わっても良いもの。それらの基準を正確に引き継いでいくことは難しいものです。それが可能であった背景には、ダビデが前もって言語化し書き記すことによって、いつでも立ち戻る礼拝様式を後世に残したということ。そして、折々の民が、この規定に立ち戻って、我が身を正したということです。
歴代誌はバビロン捕囚から帰った帰還民が神殿を再建し、これから神殿礼拝を再開するために、歴史を振り返り書物にまとめ上げたものです。エズラたちは神殿での礼拝を始めるにあたって、自分たちの思うところではなくて、まず原点を調べることから始めました。人は完璧ではありません。教会もまた然りです。失敗も、過ちも犯します。今の常識すらも時代の価値観かもしれません。ですから、私たちは常に自らを吟味し、基本に立ち返る備えをしておくべきなのです。
さて、20節からは残りのレビ族についてが、23章と重複して記されています。ケハテ族、メラリ族が記されますが、ゲルション族については記されていません。理由はわかりませんが、このことでゲルション族だけが冷遇されていたと考える必要はありません。続く25章では奏楽の奉仕者、讃美の奉仕者の名前が上がっておりますが、それらはゲルション族、ケハテ族、メラリ族、それぞれの名が記されています。26章の門衛の組分けでも同様にゲルション族、ケハテ族、メラリ族の名が挙げられます。そしてどの奉仕もくじによって選ばれているのです。主への奉仕が先天的な才能によって選ばれているのではないということです。あくまでも主の導きによって。しかし、それが専属の奉仕者一族へと引き継がれていくことを見ると、奉仕は才能によって選ばれるのではないけれど、努力と研鑽が求められるということではないでしょうか。

Ⅰ歴代誌21:18-30 「失敗の中で」
神の箱をエルサレムの天幕に納めたダビデは、次に神殿の建設を望みますが、主から赦しを得ることはできません。代わりに、主はダビデに約束します。「あなたの日数が満ち、あなたが先祖のもとに行くとき、わたしはあなたの息子の中から、あなたの後に世継ぎの子を起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしのために一つの家を建て、わたしは彼の王座をとこしえまでも堅く立てる。」(Ⅰ歴代誌17:11-12)それは、息子の代で神の家、神殿の建設が成されるという預言。ダビデはこの後、息子に引き継ぐために、王国の拡充と整備に明け暮れることとなります。
ダビデは周辺諸国に戦を仕掛けて、その行く先々で勝利を得ます。ペリシテ、モアブ、ツォバ、アラム、ハマテ、エドム、アモン、アマレク、ツェルヤ。その勢いは破竹の勢いです。彼はまたたく間に周辺諸国を打ち破り、王国の基盤を盤石のものとするのです。
さて、そんな中で起きたのが、21章前半に記されるダビデ王の失敗です。それは人口調査をしたことでした。戦争の勝敗を決めるのは、多くの場合、兵の数です。少数で大群と戦うのは奇策の範疇であり、戦の基本は、相手よりも多い人数で戦うことです。ダビデは人口調査を行なうことで、集められる兵の数を把握しようとしたのです。しかし、ことイスラエルにおいては、勝敗の決め手は兵の数ではなくて、主の御心ではなかったでしょうか。度重なる勝利がダビデを酔わせます。自分の手に勝敗の決め手があるように勘違いしたのです。今までのダビデならまず神にみこころをうかがったことでしょう。祈りと捧げものを持って尋ねたことでしょう。けれど、ダビデは彼の経験則の中で人口調査を実施します。しかし、それは神のみこころを損なうことでした。神はダビデを打つための手段を用意します。
興味深いのは、主が先見者ガドを通してダビデ自身に罰を選ばせるところです。①三年間の飢饉。②三ヶ月間の敵の剣。③三日間の疫病の3つ。この中からダビデ自身が選べと言うのです。 罰を選ばせるとは何と残酷なことでしょうか。なぜなら提示された3つの罰は、どれもダビデ自身ではなく、王国全体に降りかかる罰だからです。自分が犯した罪のために、同胞の命が奪われる。ダビデにとって、これほど辛い刑があるでしょうか。とてもダビデには選べません。ダビデは主に全てを委ねます。「それは私には非常に辛いことです。私を【主】の手に陥らせてください。主のあわれみは深いからです。私が人の手には陥らないようにしてください。」すると主は、イスラエルに疫病を下され、7万人もの同胞が命を失ったのです。このとき主が途中で災いを下すことを思い直さなければ、イスラエルは国中が滅んだことでした。けれど、主は思い直されて災いを止めました。実はこの箇所は言い方は悪いですが、よくぞ7万人の犠牲で済んだ。と言うべき場面なのです。それほど主はこの出来事を重く見ておられるのです。たかが住民登録ごときで、と思います。けれど、これはこれから神に信頼して歩むのか、それとも己の才覚に頼って進むのかという大きな分かれ道です。そして、これまでの主の導きを無視する行為です。主はダビデの高慢を、見て見ぬ振りはいたしません。痛みを持って教えます。抜き身の剣を手に持つ主の使いの姿を目にした、ダビデと長老たちは、恐れ慄き、ひれ伏します。自らが招いた愚かな結末をまざまざと見せつけられたからです。
すると主は「ダビデは上って行って、エブス人オルナンの打ち場に、【主】の祭壇を築かなければならない。」と命じます。エブス人オルナンの打ち場はシオン山の頂上にありました。そのシオン山の頂上に主の祭壇を築くように。そのために、ダビデはオルナンの土地を買い取り行くのです。この時、必要以上に丁寧な買い取りをするのは、彼の反省から来ることです。「いや、私はどうしても十分な金額で買いたい。あなたのものを【主】に献げるわけにはいかない。費用もかけずに全焼のささげ物を献げたくないのだ。」王である前に、一人の信仰者として主の前に立つダビデです。先に神の箱をエルサレムに招くときにも同じようなことがありました。最初、ダビデは自分の経験則で神の箱を運び、主の怒りを買いました。後に再び神の箱を招き入れる時、ダビデは律法に照らし合わせて慎重に運び入れます。今回も同じです。自分の考えや世の常識ではなくて、主のみこころに従うのです。
さて、今日の箇所で思うのは、ダビデは最初から名君であったのではないということです。彼は失敗の中で学んでいきました。大きな犠牲の上に、イスラエルを建て上げていきました。彼の偉大さは、失敗の中でへりくだることができるということです。王となれば、むやみに頭を下げることなどできないでしょう。プライドがあります。聴衆の目があります。けれど彼は失敗を認め、頭を垂れるのです。このダビデに習うべきです。失敗をしない者などおりません。失敗を糧とできるかどうかは、その人の謙虚さにかかってきます。ダビデは決して罪を侵さない超人ではありません。偉大な王ですが、失敗を繰り返します。ウザの事件然り、今回の人口調査然り、バテ・シェバ事件然りです。けれど彼はその都度、自らの罪を認めへりくだります。これこそが祝福の秘訣なのです。

Ⅰ歴代誌16:23-43 「神の宮を前に決意する」
エルサレムに神の箱を運び込み、天幕の真ん中に安置したことを祝って、ダビデはアサフとその兄弟たちを用いて主を褒め称えます。
この讃美は8節から続き、今日の箇所の23節からはいよいよその絶頂に至るところです。天地万物の創造の神を称える讃美があり、真の王であられる主の御名を称える讃美がある。それゆえ、ダビデの讃美は全地に向けられており、とても壮大な印象を与える素晴らしい讃美です。王となったダビデが、真の王を称え、讃美する。アサフとその兄弟たちを用いたというのは、つまりこれを公の讃美として、民の前で歌わせたということです。民の讃美がダビデに向けられるであろうその場面で、ダビデは、私にではない。神を讃えよ。真の王であられる神を讃美せよ。と歌わせたのです。
実はこのダビデによる讃美が切り取られ、詩篇96篇として詩篇の中に収められています。興味深いのは、新改訳聖書には記されておりませんが、ギリシャ語の七十人訳聖書の表題には、「捕囚後に、主の宮が建てられた時の、ダビデの歌」と記されている点です。捕囚後に、ダビデが歌ったということではもちろんありません。時代が違います。バビロン捕囚からの帰還民が、神殿を再建したときに、遥か昔、神の箱がエルサレムに運び込まれ天幕に安置されたときに歌われた、あのダビデの歌が再び讃美された。という意味です。そして、なぜこの詩が選ばれたのか。それはまさしく、神殿の再建を祝うその場面が、神の箱を安置するダビデの心境と重なり合ったからです。
ダビデが王となって、初めて行った事業が、この神の箱をエルサレムに迎えるということでした。ダビデは他の何を差し置いても、神の箱をエルサレムに迎えたかった。なぜでしょうか。それは彼はイスラエルの王となりましたが、本当の王は神にほかならないということを知っていたからです。そしてこの王国の中心は真の王であられる神によらなければならない。と考えていたからです。この国は神の国であり、私たちは王である神に仕えていく。神の箱を迎えることには、ダビデの王国創りに先立つ決意と指針があったのです。
神殿の再建。それは単なる建物の再建ではありません。この新しく再建される国の中心に、神がおられる。この国は神を王としてこれからやっていく、という国としての方針の再建です。決意の再建です。神の民のリスタートです。この場面で、ダビデの詩を歌うことは大変理に適っているのです。私たちは王なる神に従っていく。仕えていく。並々ならぬ決意が、この晴れやかな讃美には込められています。
実はキリスト者である私たちはこの同じ決意を持つことが求められているのです。パウロはコリント人への手紙第一の3:16で言っています。「あなたがたは、自分が神の宮であり、神の御霊が自分のうちに住んでおられることを知らないのですか。」神の御霊を迎えたということの意味を、私たちはよくよく考えなければなりません。それは神が私の王であり、私の主であるということです。私の人生はこのお方とともに生きていく。そう決意するのです。神を神として認め、ひれ伏し、称える。これこそが私たちの礼拝です。ダビデのようにこの世の最も高い地位を得たとしても、神の前には一人の礼拝者です。私たちは神の宮とされました。神の宮とは礼拝するところです。私たちはこの宮で、神を讃美し、礼拝する者でありたいのです。

Ⅰ歴代誌11:22-47 「ダビデのもとに勇士がいる」
少し前から見ますと、4節からエルサレム攻略とそこで戦功を挙げたヨアブが記されます。ダビデの部下の中で彼に関しては別格で、彼はダビデ王朝の大将軍とされました。
10節からは、ダビデ王のもと、勇士として名を挙げた者たちの名が記されています。最初に3勇士ヤショブアム、エルアザル、(シャマ)の名が記されます。彼らはそれぞれに武功を上げた勇士でありましたが、中でもダビデに評価されたのは、サウルの追手から逃れるためにアドラムの洞穴に閉じこもるダビデのもとに、ペリシテ陣営を突っ切った先にあるベツレヘムの門から水を汲んできたという出来事でした。しかし彼らがせっかく汲んできた水をダビデは飲めません。この水を汲むために懸けられた3人の命の重さを実感したからです。命を懸けてダビデに従う彼らの振る舞いを、ダビデは最も誉れ高い3勇士に数えます。
次にヨアブの兄弟アブシャイ、ダビデの護衛長となったエホヤダの子ベナヤ。そして、26節からは30人の勇士と呼ばれる者たちのリスト(実際にはそれ以上の人数が挙げられているので、死んだ者の補充がされた可能性があります。事実、アサエルやウリヤは不慮の死を遂げています。)が記され、その後にも14名の名前が追記されています。
この記述は元々は第2サムエル記の巻末に当たる23章で記されるところで、それゆえ、ダビデが王となったときに限ったことではなく、ダビデの生涯で幅広く仕えた者たちが選ばれています。出身地もばらばらです。ユダの地出身の者だけでなく、ベニヤミンの地から来た者、エフライム地方出身の者、キルアテ・エアリム出身の者、さらにはアンモン人やヒッタイト人といった敵国出身の者まで含まれておりました。
このことから、ダビデが世代も場所も違う幅広い者たちに支持されていたこと。ダビデ自身が新しい才能を偏見なく受け入れていたということが見て取れます。ダビデは主に愛された偉大な王ですが、その偉業はダビデ個人のものでは決して無かったということです。かつてモーセが民を引き連れて出エジプトを図ったとき、しゅうとのイテロが助言しました。「あなたも、あなたとともにいるこの民も、きっと疲れ果ててしまいます。このことは、あなたにとって荷が重すぎるからです。あなたはそれを一人ではできません。」(出エジプト18:18)そして、「あなたはまた、民全体の中から、神を恐れる、力のある人たち、不正の利を憎む誠実な人たちを見つけ、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として民の上に立てなさい。いつもは彼らが民をさばくのです。大きな事件のときは、すべてあなたのところに持って来させ、小さな事件はみな、彼らにさばかせて、あなたの重荷を軽くしなさい。こうして彼らはあなたとともに重荷を負うのです。」(出エジプト18:21-22)と言うのです。 モーセはこの助言を聞き入れて、「イスラエル全体の中から力のある人たちを選び、千人の長、百人の長、五十人の長、十人の長として、民の上にかしらとして任じ」ました。そうでなければあの大勢の民を引き連れて、荒野を旅することなどできるはずもないのです。
教会も同じです。教会は牧師一人が担うのではありません。役員だけが担うのではありません。一部の者だけが担う教会が、上手くいくはずがありません。教会は皆で担うのです。一人ひとりそれぞれに与えられた天よりの賜物があります。欠かすことのできない賜物がそれぞれに分け与えられています。しかし、だからこそ、どれだけ大切な賜物も一人では足りるはずもありません。それぞれの賜物が噛み合う時、教会は建て上げられていくのです。ダビデを支える勇士がおりました。モーセを支える長老がおりました。教会にはあなたがいます。私たちが御霊によって一つとなる時、私たちは主なる教会を建て上げていくのです。
