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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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210407 Ⅰ歴代6:54-81 「霊的ルーツに立ち返って」

Ⅰ歴代6:54-81 「霊的ルーツに立ち返って」

 レビ族の詳しい系図については、6章の前半部分にはレビ族の詳しい系図が記され、今日の箇所ではその所有地が記されています。ですから、6章全体でレビ族の出自を紹介しているわけです。
 ここに書かれる所有地を見ると、時代の推移による名称の変化はあるものの、ヨシュア記21章に記されるものとほぼ同じであることがわかります。このことがどういう意味を持つか、私たちは考えなければなりません。この歴代誌が書かれたのは、ユダの民がバビロン捕囚から帰還して、およそ1世紀が経った預言者エズラの時代です。およそB.C450頃のことです。一方、ヨシュアのカナン侵略がB.C.1400頃です。およそ1000年近く昔に定められたレビ族の相続地の記録が、詳細に記されているのです。これは凄いことです。他の11部族の相続地はわかりやすいのです。記録も残っていたでしょうし、口伝えの伝承もあったでしょう。けれどレビ族は他の部族とは根本的に違います。彼らはまとまった土地を得ず、それぞれの他の部族の土地の中に、ポツンポツンと相続の町と放牧地が与えられたのです。その記録が詳細に調べ上げられ、今こうして記されます。そこにはエズラの志というものを感じ取るわけです。
 帰還民が国に帰って、1世紀。彼らは再建されたエルサレム神殿を中心に生活をしていたわけです。けれど徐々に神殿礼拝は形骸化し、異民族との結婚が進み、偶像礼拝に陥っていきました。エズラたち第2回帰還民がエルサレムに到着したとき、そこには堕落した民の様子があったのです。エズラはヨシヤ王の時代の宗教改革に貢献した大祭司ヒルキヤの子孫です。彼自身、祭司であり、学者でもありました。秩序のないエルサレムの実情に、エズラは神の律法に立ち返ることを決意します。彼はユダの記録を遡り、自分たちのルーツ。神の民としての生き方を探るのです。
 このとき、エズラはイスラエルの12部族の祖まで遡るのです。国が滅び、バビロン捕囚を経験し、帰還した民はユダヤ人でした。彼らはもともとは南ユダに住む人々でした。彼らはユダ族とベニヤミン族、それに一部のレビ族でした。けれど、エズラはそもそもの原点である、カナン入居の12部族にまで立ち返るのです。12部族の所有地が明らかにされます。だからといって彼らがそれぞれの所有地に分かれて住んだということではないでしょう。帰国した土地には、すでに様々な異民族が移り住んでおりました。サマリヤ人もおりました。帰還した民の人数も大した数ではありません。ですから彼らは相変わらず、エルサレムを中心に、元南ユダ王国の地域を中心に住んでいたことでしょう。けれど、エズラの志はユダ王国の再建ではありません。このカナンに初めて入った頃の志。まだ見ぬ土地に神様の約束だけを頼りに入っていったあの神中心の生き方に立ち返ろう。そういう志ではなかったか。

 イエス様の誕生の折、ヨセフとマリヤはダビデの町ベツレヘムに登録に向かうわけです。部族として登録された町と、実際に住んでいた土地が違うのは、このエズラの時代に、部族毎の町が確認されたからです。彼らは日常生活を過ごしながらも、霊的な故郷を意識して過ごしたのです。それは意識しないと薄れていくものです。日常を過ごすことは決して簡単なことではありません。日々起こる出来事、問題に私たちの心は掛り切りになります。心配事があとを絶ちません。周りの人に気を遣い、上手くやっていくためには、相手に合わせて生きなければなりません。私たちも日々たくさんの妥協を経験し、清濁併せ呑みながら過ごしていることではないでしょうか。だからこそ意識しなければ、いつでもこの世の価値観に飲み込まれてしまう私たちなのです。週の歩みを礼拝を持って開始する。日々の歩みを御言葉と祈りを持って迎える。私たちの日常の中に、神礼拝を意識して組み入れることが大事です。祈祷会に来られる方はそのことを重々承知であろうかと思います。時間を決めて捧げることは面倒です。日々の雑用に時間を取られ、あれもこれもと追われる中、まぁいいかとしがちです。けれど、その時間を神に捧げることが、実は私たちの霊的な防波堤を築くのです。私たちは神に身を捧げるその時間によって整えられ、守られるのです。

210324 Ⅰ歴代誌2:1-20 「神の民に連なる者」

Ⅰ歴代誌2:1-20 「神の民に連なる者」

 イスラエルの子の系図が記されています。1章でアダムから始まりアブラハム、そしてイサク、エサウとヤコブ(イスラエル)、までの系図が記され、特にエサウの系図が記されています。2章では、もう一方のヤコブ(イスラエル)の系図が記されているわけです。ヤコブの12人の息子と、それに連なる者たち。特にダビデに連なるユダ族の系図が詳しく記されています。
 さて、私たちには退屈な名前の羅列に思えますが、これを読む当時の人々にとっては、とても重要で、大きな意味を持っていました。なぜなら、この歴代誌を読むのは、バビロン捕囚から帰還し、凡そ1世紀が経った頃のユダヤ人だからです。故国帰還を果たし、神殿の再建を成し遂げたユダの民ですが、近隣諸国の圧迫や異教徒との結婚、日々の生活に追われると言った様々な問題を抱えて、次第に神殿礼拝をないがしろにし、偶像礼拝に陥っていきました。第2次帰還民の指導者として帰還したエズラは故国のそのような現状を打開すべく、「主の律法を調べ、これを実行し、イスラエルでおきてと定めを教えようとして、心を定めていた」(エズラ7:10)のです。歴代誌はこのエズラによって記されたと言われています。何のためにか。それは帰還したユダヤ人のルーツを探り、神の民としてのアイデンティティーを取り戻すためにです。彼は一方で律法を調べ、一方で歴史を調べます。神の民として、自分たちの信仰による生き方を取り戻し、神礼拝をよみがえらせるためにです。
 ですから彼らにとって系図とは、特にユダ族、ダビデに連なる系図は特別の意味を持っているのです。ダビデは王となって最初に神の箱をエルサレムに迎え入れます。その子ソロモンは神殿を建設し、国の中心を神礼拝と定めます。その後に記されるのは、神の民イスラエル(ユダ族)の歴史。神殿を尊び、神に従った王は祝福を受け、神に背き偶像礼拝に陥る者は災いを受ける。民族の歩みは、彼らの生き方の指針です。エズラは目の前の生活だけに目を向ける視野の狭い民に、民族の歴史と言う広い視点から、神の民の生き方を教えているのです。

 視点を広く持つということは、私たちにとっても大事な点であるとおもいます。私たちはともすると目の前のことだけに目を向けがちです。私にとって損か得か。今の自分にとって楽しいか、楽しくないか。そういう視点になりがちです。けれど私たちもまた神の民イスラエルの系譜に連なる者なのです。ガラテヤ3:7「ですから、信仰によって生きる人々こそアブラハムの子である、と知りなさい。」とあります。私たちは神の民として生きることに使命をいただいているのです。先人を見れば、私たちの幸いが神と共にあることは明らかです。同様に、私たちの生き様が、私たちの後の世代に神の存在を証しするのです。想像してみましょう。自分の葬式が開かれるとして、その式の中で神の名は称えられているでしょうか。それとも呪われていることでしょうか。それは私たちの生前の生き方によって決まるのではないでしょうか。私たちが神に信頼して生きることが、私たちに課せられた使命です。私たちの日常での讃美こそが、地上における神の証しとされるのです。