Ⅱ歴代誌36 「主の目にどう映るか」
歴代誌の最後はユダの滅びに至らせる幾人かの王たちが簡素に記されています。エジプトとの戦いの中で戦死したヨシヤ王に代わって、民衆はエホアハズを王としました。けれど戦勝国エジプトはユダの許可なき即位を許さず、わすか3ヶ月でエホアハズを退位させて、異母兄のエルヤキムを王とし、エホヤキムと名を改名させます。一方、弟のエホアハズは捕らえられてエジプトへと連れて行かれ、そこで死ぬこととなります。
このエホヤキムの時代にバビロンが影響力を持つようになって来ました。エジプトに代わってユダヤを従わせたバビロンに、堪りかねたエホやキムは反乱を起こしますが失敗。エホヤキムは捕らえられ、主の宮の財宝と共に、バビロンへと連行されて行きました。このときはまだ、ネブカデネツァルはユダを滅ぼすまではいたしません。エホヤキムに代わる適当な者をユダの王とし、形式上ユダヤ人による統治を続けさせるつもりでした。
エホヤキムの後、息子のエホヤキンが王を名乗りますが、エレミヤの預言の書を燃やすなどの傍若を繰り返し、統治能力が無いと判断されたのでしょう。ネブカデネツァルによって退位させられ、主の宮にあった尊い器とともにバビロンへと連行されて行きました。ネブカデネツァルは、後釜にエホヤキンの親戚のゼデキヤを王といたします。エレミヤのもと、バビロンに従うゼデキヤでしたが、周辺諸国は反バビロンでまとまり、国内の主戦派を抑えきれず、結果ゼデキヤもまたバビロンに反逆いたします。けれど、その結果、神の宮は焼かれ、財宝も持ち去られ、多くの者が殺され、残ったユダの主だった民はバビロンへと捕らえ移されることとなりました。そしてゼデキヤ自身もまた目の前で子供を虐殺され、両眼を抉り取られ、死ぬまで鎖につながれて、生涯を終えるのです。
さて、歴代誌の最後の章の特徴は、各王たちの結果のみを極めて簡素に記していることでした。同じ出来事の記録を記した列王記と比べると、その内容の薄さがよくわかります。列王記ではもう少し、王の人となりがわかるように、エピソードを交えて記されています。しかし、歴代誌ではそのような情報は一切ありません。歴代誌が書かれた背景には、エズラによる神殿礼拝の再開がありましたから、彼らの記録のピークはヨシヤ王であったと言えるのかもしれません。ヨシヤ王は律法の再発見による神殿礼拝の改革をもたらした人物で、もう一度神礼拝を復活させようと尽力を注いだ人物です。捕囚から帰って神殿を再建し、けれど神殿礼拝の滞っていたユダヤの現状とちょうど重なり合うのです。もう一度神礼拝を。ですから歴代誌は自分たちがダビデ由来の神の民であることの再確認と共に、ヨシヤ王の時代の神礼拝の復活の様子を伝えたいがために書かれたのではないかと思えるほどです。
何が言いたいかと言いますと、歴代誌のヨシヤ王以降の記録は、本当に簡素で、何かこれらの王について紹介しよう。記録を残さなきゃというような情熱が見えないんですが、そんな中で、それぞれの王が主の目にどうであったかという点だけは欠かさずに記されているのです。王たちの功績や、人柄、当時の評価などには一切関心を寄せない歴代誌の記録者が、唯一関心を持ち、重要視したのは、その王が主の目にどう映っていたかということでした。
人は死後、どのように評価されるのか。それは時代によって、立場によって、大きく変わります。例えばマナセ王はアッシリアに従属し、宗主国の宗教を取り入れてバアル信仰に傾倒しました。預言者イザヤをのこぎりで切り割いて殺したのは、彼の命によることです。聖書では彼を悪王として数えます。けれど、列強諸国の影響が強く、一つ間違えれば国を失うという難しい舵取りの中、55年という最も長い期間、王に在位し、国を保った。という意味では、当時の人々からは一定の評価もあったことでしょう。ソロモンの妻の数も、評価が分かれるところです。異教文化の混入を招いた決定的出来事と見ることもできますし、戦争をせずに他国との協力体制を築いた賢い政策とも取れるでしょう。見る者が何を重視するかによって、後の人の評価は幾らでも変わるのです。
だからこそ、この歴代誌がどういう視点でユダの歴史を見てきたのか。それは、主の目にどう映ったか。という一点に限っておりました。そして、この視点を持つことが私たちにとっても大切です。私たちの生き方は、生涯は、主の目にどう映るのか。人の目にではありません。誰かに受け入れられようとする時、別の人には反発を生んでいます。人の評価を気にする生き方にゴールと平安はありません。けれど、主の評価は変わることがありません。私たちの今日という日は主の目にどう映っているのか。「よくやった忠実なしもべだ」と言っていただくために、今日できることに励んでいきたいと思います。

Ⅱ歴代誌31 「献げ、管理し、用いる」
「これらすべてのことが終わると」とあります。ヒゼキヤ王による宮清めが行われた後、過ぎ越しの祭りとそれに続く7日間の種無しパンの祭り。さらに7日間延長された祭りの出来事です。
ヒゼキヤの父アハズは、父ヨタムへの反発のゆえか、父とは真逆の政策を取ります。バアルの像を造り、香を炊き、子どもたちを火に焚べました。異教の風習にのめり込んだのです。アラム・イスラエル連合軍に攻め込まれ、大敗北を喫したことは彼に大きな影を落とします。アハズはアッシリアに援軍を要請しますが、逆にアッシリアに付け込ませる隙きを与え、攻め込まれます。頼りのアッシリアに裏切られたアハズは、先の戦いで破れたアラム(ダマスコ)の神々に生贄を捧げて頼ろうとするのです。アハズによって主の宮は閉ざされ、町の至る所に、ダマスコの神々への祭壇と香を焚くための高きところが造られました。当然、それらの行為は主の怒りを引き起こすこととなるのです。
25歳で王となったヒゼキヤはこの父の悪業を断ち切って、もう一度、主の前にひれ伏します。この種無しパンの祭りを機に、全イスラエルはユダの町々に出て行き、石の柱を打ち壊し、アシェラ像を切り落とし、高き所と祭壇を取り壊して、たち滅ぼしたのです。
その後、ヒゼキヤは具体的に、神殿礼拝を再開させていきます。まず祭司とレビ人を組織して、彼らに和解の生贄をささげさせ、一方で彼ら祭司とレビ人を養うようにと民に命じました。祭司とレビ人は幕屋の奉仕のために選り分けられた民なので、相続地を持っておらず、各部族の中にわずかな町だけが与えられている状況でした。ですからアハズの時代、彼らは本当に困窮したわけです。けれど、神殿礼拝は彼らがおらずしては始まりません。まずは彼ら宮の奉仕者が存分に奉仕できる環境を整えることから始める。おそらくこれは現代の社内コンプライアンスにも通づる考えではないでしょうか。労働者を倒れるまで追い込むというブラックなやり方は、長い目で見れば、労働者を潰し、会社全体の働きを停滞させてしまいます。これは教会においても同様です。奉仕者の環境を整えるということは、贅沢をするとか、楽をするということではなくて、主の律法に専念するため、精一杯奉仕するために必要なことなのです。
さて、ヒゼキヤの呼びかけに応えて、民はすべてのものの十分の一を携えて来たとあります。その奉納は何と、第三の月から第七の月までかかるほどでした。しかも、それらは食べて、満ち足りて、尚残った分であると言いますから、どれほど莫大な捧げものが集められたか想像もできません。すべてのものの十分の一を献げることは、簡単なことではありません。これを例えば、祭司やレビ人のためと捉えれば、献げることに惜しむ思いが出てくるでしょう。見返りを求めたくなります。けれど、そうではありません。これは主の働きのためです。ここを履き違えると、私たちは自らが主人となって祭司やレビ人を雇用しているかのように誤解するでしょう。
集められた捧げものは、主の宮に脇部屋が設けられて、そこには管理者が立てられ、祭司の町々にとどまる各組の祭司レビ人にも分配されました。これらは系図に照らし合わせて、厳密に分配されました。皆から集められた捧げものの扱いを、内々にだとか、秘密裏に分配するということではなく、公に、正しく分配されます。そしてそれぞれの生贄の儀式として用いられていきました。新興宗教団体の多くは、会計が不透明なことが多いですね。裏帳簿だとか、隠し金庫だとか、色々と問題が発覚して度々事件が明るみに出たりします。お金の問題は、力の問題。権力の問題に直結するので、それだけ誘惑の種となるのです。これは教会においても例外ではありません。溢れるばかりの隠し財産を築き上げるという教会は日本ではあまり聞きませんが、貧しさのあまりに、献金に手を出してしまうという話は聞かないわけではありません。止むに止まれぬ状況。心痛む出来事。それでも、そういうことが起きてしまうと、もう宣教はできなくなってしまいます。信仰に会計は無粋だという意見もあったりします。しかし、そうではありません。会計を明瞭にすることは、主の目に良いこと。正しいこと。誠実なことなのです。
私たちは心から献げ、公正に管理し、大胆に用いる。ヒゼキヤは「神の宮の奉仕において、律法において、命令において、彼は神を求め、心を尽くして行い、これを成し遂げた」とあります。このヒゼキヤに倣いましょう。

Ⅱ歴代誌25 「全き心で」
今日の箇所はヨアシュの子アマツヤの記述です。彼は王国が強くなると、父ヨアシュに謀反した者たちを粛清しますが、彼らの子どもたちは殺さなかった。とあります。なぜなら、それはモーセの律法で禁じられているからです。単なるヒューマニズムで殺さないのではなく、そこには律法に従うヨアシュの意志があります。また、エドム人討伐の際、足りない兵士を補充すべく(アマツヤの時代30万人。ヨシャファテの時代は116万人。)、北イスラエルから10万人を銀百タラントで雇い入れます。しかし、預言者から、主が共にいないイスラエルの民を従軍させてはいけない。神にこそ頼るべき、だと。「神には助ける力があり、つまずかせる力もある。」と指摘を受けますと、直ちに自らの非を認めてイスラエル軍を解体し、自国ユダの軍隊のみを率いてエドムと戦い、これを討ち取ります。ヨアシュの行動は主の目に大変適っているように思います。
ところが、ヨアシュはエドム人を討った後、セイルの神々を持ち帰り、これを自分の神々として立て、その前に伏し拝み、これに香をたいたのです。さらには、このことを非難する預言者を退け、北イスラエルのエフーの子ヨアシュに宣戦布告します。主の目に適って、律法と預言者に従っていたヨアシュは、エドムとの戦争に勝利した瞬間から、堰を切ったかのように、己の欲に流されていったのです。北イスラエルの王ヨアシュはアマツヤの過度な方針転換の理由をエドムを討ったことによる「心高ぶり」だと見抜いています。つまり、それまでの彼の従順な態度は、彼の小心から来ていたことで、エドムを討ち取り、自らの力に自信をつけた彼は、もう主に頼る必要を感じなかったのです。それほどまでにエドム討伐は彼に自信を植え付けました。そして、自信を持った彼が、セイルの神々を自分の神々として立て、拝むのは、それが自分にとって都合の良い神々だったからです。
唯一全能の神を信じることと、世の神々を信じることは、同じ信仰のようでいて全くその質は異なります。全能の神を信じるとは、この世界に依存しない神。私の存在の前におられる神を信じるということです。この神の前にして人は被造物でしかなく、問われるのは従順です。けれど、世の神々は違います。それらは並び立つ神々であり、それぞれの特徴を持ち、同時に限界を持つ神々です。人はその限界ある神々の中から、自分の好む神々を選び取るのです。時には自分に都合の良い神々を作り出すことすらします。つまり世の神々と人との関係の主体は人にあるのです。今、アマツヤが真の神ではなくて、セイルの神々を選び取った。これはつまり、神に従うことから、神々を選び取り利用する関係を望んだということです。彼は自らに神々を従わせようとしたのです。しかし、彼の高ぶりの代償は大きすぎました。イスラエルのヨアシュとの戦いは大敗北で終わり、エルサレムの城壁は打ち壊され、神の宮の金銀、王宮の財宝と人質を奪われます。さらには、完全に人心を失ったアマツヤは民の謀反によって討ち取られることとなるのです。
25:2には「彼は【主】の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。」と評されています。これが全てです。彼の従順は全き心をもってではなかったのです。彼の従順は、臆病であり、義務であり、我慢であり、自信のなさから来ることでした。それゆえ、彼は成功による自信が加わったとき、簡単に神に従うことを放り出したのです。何が間違えているのか。それは神への従順の根拠を感謝ではなく、報酬に置いていたということです。神の助け。神の守り。神の祝福。それらを得るために神に従う。現実の欠けを埋める手段として神を見ていた。つまり、神々を選び取る前から、彼の信仰は打算的だったということです。しかし、神の恵みは私たちの従順に先立ってすでに与えられているのです。
私たちの従順、奉仕、献身は感謝の応答であったはずです。けれど、それがいつの間にか義務となり、報酬を求める手段と代わってしまうのです。いろんな経験や成功が積み重なってきて、いつの間にか、自分ひとりで生きている気持ちになってくるのです。ですから、私たちはいったい何から救われたのか。いつも最初の喜びに立ち返る必要があります。私たちの高ぶりは初めの喜びを忘れてしまうことにあるのです。

Ⅱ歴代誌19 「悪いことも、良いことも」
南ユダの王ヨシャファテについては、17:3-4で「【主】はヨシャファテとともにおられた。彼がその先祖ダビデの最初の道に歩んで、バアルの神々に求めず、父祖の神に求め、その命令にしたがって歩み、イスラエルの行いに倣わなかったからである。」と記されています。また彼はバアルを排除し、アシェラや高き所を取り除き、その上でユダの町々に律法の書を教えまわります。また彼は北のイスラエルに対して守備を固め、勢力を増し加えます。主は彼とともにあり、彼もまた主の目に適う王でありました。
そんな彼が一度だけ、主のみこころから離れて、主ならざる者を頼ろうとします。北イスラエルの王アハブです。彼はアハブとの縁を結びます。彼の息子ヨラムをアハブとイゼベルとの間に生まれた娘アタルヤを結婚させたのです。アハブとイゼベルは北イスラエルでのバアル信仰の守護者です。主の預言者エリヤと対立したアハブとイゼベル。なぜ、主に従うことを良しとしたヨシャファテが、彼の娘を息子の妻に迎え入れたのか。単に平和を求めてのことかもしれませんし、野心のゆえかもしれません。たとえば、彼はこれまでの王が成し遂げなかった北との融和を計る王として、名声を得ようとしたというのはあながちありえない話ではありません。王族同士の結婚は後々のイスラエル統合の布石です。いずれアハブとイゼベルの亡き後、アタルヤは王位継承権を持つ南ユダの女王となるのです。中世ヨーロッパのハプスブルク家のようにです。ですからヨシャファテは尊敬するダビデ以来の国の統一を野心に抱いていたのかもしれません。しかし、アハブには別の思惑があります。アハブはアラムとの戦いに備え、ヨシャファテの下、力を蓄えている南ユダを味方に引き入れようとしたのです。結果、南ユダは、北イスラエルとアラムとの戦いに巻き込まれることとなり、しかもアハブの策略でヨシャファテはアラム軍の矢面に立ち、命の危険に陥ります。主がヨシャファテを助けたので、急死に一生を得ましたが、戦いはアハブの戦死を伴うほど、イスラエル・ユダ連合軍にとって惨敗となりました。
19章はこの戦いから帰国したヨシャファテに、先見者ハナニの子エフーが忠告するところから始まります。19:2「悪者を助け、【主】を憎む者を愛するというのですか。このことのゆえに、あなたの上に、【主】の前から怒りが下ります。」エフーはヨシャファテに主が怒りを忠告します。しかし、それだけではありません。19:3「しかし、あなたには良いことも認められます。あなたはこの地からアシェラ像を取り除き、心を定めて神を求めてこられました。」と彼のこれまでの誠実な姿をも認めるのです。
ヨシャファテの過ちは将来大きな付けとなって帰ってきます。イスラエルの統一を夢見た彼の野心は、結果、バアル信仰を南ユダにもたらす大きなきっかけとなるのです。あれほどバアルを排除し、アシェラを取り除いたヨシャファテであるのにです。たった一度の誘惑が取り返しの聞かない災いに発展する。アダムとエバを彷彿させる出来事です。しかし、だからといって彼のこれまでの功績を無かったことにはしないと、主は言われるのです。確かに大きな大きな失敗。けれど、失敗のゆえに、その人の良かったところまで無しにはしない。ちゃんと見てくださっている。ちゃんと評価してくださる。過ちは過ちとして見過ごさず、しかし、その人の頑張りを無下にはしない。つまり、主はそのままを見てくださる方なのです。私たちはその人の短所を見て、全てを否定してしまいがちです。もうその人の存在を受け入れないということがあります。もし主がそのように私たちを見ているのなら、私たちに救いはありません。けれど、主は違います。私たちの罪を見過ごすことはしませんが、同時に、私たちの功績もきちんと見て評価してくださる。だからこそ、もう一度、頑張ろう。やり直してみようと立ち返ることができるのです。
ヨシャファテは神の都エルサレムに住み、自ら国中を回り、父祖の神、主に立ち返らせます。そして町々に裁き司を立てて、主の裁きを国の統治の根幹とします。彼は今一度、主にだけ頼って生きるのです。もちろん、だからといって彼の過ちが無くなるわけではありません。けれど、その逆もまた然りです。彼の過ちによって、彼の信仰が否定されるわけでもありません。私たちは過去の生き方云々で、未来を決めつける必要はないのです。その時、その時に、主と共にあるかを問い続けるのです。道を間違えれば立ち返り、転んでしまったら再び立ち上がる。転ぶことを恐れて、一歩も進めなくなることのほうが問題です。ヨシャファテの生涯の総括が20:30に記されています。「ヨシャファテの治世は平穏であった。神は周囲の者から彼を守り、安息を与えられた。」弱い自分、罪深い自分を認めることから全ては始まります。日々主に吟味し、立ち返る者でありたいと思います。

Ⅱ歴代誌13 「一心不乱に」
ダビデ王国はソロモンの死後分裂し、ダビデ王家に連なるレハブアムが南ユダ王国を、ソロモンの将軍であったヤロブアムが北イスラエル王国をそれぞれ樹立いたします。そのヤロブアム王の治世第18年に、ユダではレハブアムに替わってアビヤが王に就きました。王に就任したアビヤは北の王ヤロブアムに戦を仕掛けます。
ツェマライム山というのは北イスラエルと南ユダの国境に近い山地です。ここで南ユダの精鋭40万と北イスラエルの精鋭80万の軍勢が衝突したのです。アビヤはヤロブアムと全イスラエルに向けて戦口上を語ります。自分たちがダビデの子孫でありイスラエル王国の正当な後継者であること。ヤロブアムが主君に反逆したものであること。父レハブアムは残念ながら対抗することができず、ヤロブアムは今また主の王国に対して敵対しようとしていること。ヤロブアムが祭司やレビ人を追放し、自分勝手に祭司を立てていること。一方、自分たちは神の律法を守り務めを果たしている。だから神は我らとともにあり、あなたたちが戦うのは主ご自身だと訴えるのです。
アビヤの訴えは若者によくある正義の訴えです。理想を旗印に彼は強大なイスラエル軍と対峙します。けれどアビヤが気持ちよく戦口上をしている間に、レハブアムは軍を2つに分けて、伏兵をユダの背後に回し、前後からの挟撃の体制を整えてしまうのです。そもそもがユダの倍の兵を用意したレハブアム。今、挟撃体制も整え、盤石の布陣を敷きおわります。堅実で老獪なレハブアムと、血気盛ん、理想と情熱を掲げる若者アビヤという構図が見て取れます。この盤面を見れば、戦略的にも、戦術的にも、すでに戦は詰んでいるのです。ところが結果は違いました。自分たちが窮地に立たされていることを知ってユダの民は主に叫び求めます。すると「神はヤロブアムと全イスラエルを、アビヤとユダの前に打ち破られた」のです。ユダはイスラエルに大打撃を与え、イスラエルの精鋭50万人が剣で倒れました。ユダの圧勝で幕を閉じるのです。
戦場の王として、若王アビヤの理想に兵たちは不安しかありません。一方、レハブアムの慎重で老獪、経験豊かな姿に兵たちは安心したことでしょう。兵にとって、どちらが優れた指揮官かは一目瞭然です。けれど主はそのようには見ておられません。確かにアビヤの理想は地に足を付けてはおりません。若者特有の危なっかしい、世間知らずの夢想家。けれど、がむしゃらに、主のために理想を掲げて挑もうとするその姿を主は良しとされました。
学生の頃、救われたばかりで理想に燃えていた私は、見ず知らずの学生に手当り次第声をかけては、聖書を勧め、聖書研究会に誘っておりました。今考えると、無茶なことをやっていたものだと思います。同じことを今やれと言われても、とてもできません。けれどあの頃はとにかくそうするしか無いと思っていました。どれだけ危うくとも、考えなしでも、理想のために一心不乱になれるのは若者の特権です。私たちは歳を重ね、色んな経験を重ねて、実は身動きができなくなっていくことはないでしょうか。現実と常識と経験は私たちにとって大切な日常の物差しです。けれど、それらは時に私たちの足枷となることがあるのです。考えてみますと、80万という軍勢に対して40万の軍しか集められなかった段階で、私たちなら戦うこと以外の手立てを考えるのではないでしょうか。理想など早々に引っ込めて、生き延びる道を探ることではないでしょうか。けれど、彼は理想を掲げて戦場に赴きます。それは単なる若者の浅はかさとは言えません。彼が主に信頼していたからです。状況が不利なことは彼も知っていたでしょう。それでも引けない一線がある。彼の信頼と覚悟を見て、主はそれを良しとされたのです。主の戦いに必要なのは常識や経験ではありません。従順であり信頼です。主が共におられることを信じて進み行くのです。
ピリピ3:13-14 「兄弟たち。私は、自分がすでに捕らえたなどと考えてはいません。ただ一つのこと、すなわち、うしろのものを忘れ、前のものに向かって身を伸ばし、キリスト・イエスにあって神が上に召してくださるという、その賞をいただくために、目標を目指して走っているのです。」
