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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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220525 エズラ7 「もう一つの再建事業」

エズラ7 「もう一つの再建事業」

 7章から話が変わります。6章までは神殿再建の話でした。7章はその神殿再建から56~57年後の話で、いよいよこの書物の筆者、エズラが登場します。エズラはペルシャ王アルタクセルクセスの命を受けて第2次帰還民を組織して、エルサレムに上ります。その目的はイスラエルの宗教調査でした。王はこのために、イスラエルの民が自由に国に帰ることを許可します。それだけでなく、莫大な金銀を用意し、神の宮の祭壇で献げるためのささげ物を用意させます。そのために王室の金庫から支出してよいとまで言うのです。宗主国の王が、属国の民のためにここまでの配慮を施すのは明らかに異常です。エジプトからイスラエルの民が脱出する時、エジプトのファラオはあれこれと妨害をしました。労働力の損出を惜しんだからです。それが普通です。ところがアルタクセルクセス王は全く違います。ユダヤ人の出奔のために出来得る限りの支援を用意します。しかもエズラには、裁判官を任命する権利と判決を執行する権利まで与えます。それはつまりその国の統治を預けるということです。アルタクセルクセス王の振る舞いは、まるで己の信じる神のために尽くしているかのようです。いったいこんなことがあり得るのでしょうか。
 ここで思い出したいのは、7章は神殿再建から56年後の出来事ということです。神殿が再建されたのはエズラ6:15によると、「ダレイオス王の治世第六年、アダルの月(12月)の三日」とあります。前515年のことです。そこから数えて約57年間。ではその間いったい何があったでしょうか。歴史を見れば一目瞭然です。ダレイオス王の残りの治世が29年。その子クセルクセス王の統治が21年。そして今アルタクセルクセス王の統治が第7年であります。
  ダレイオス王(ダリヨス王)前521-486
  クセルクセス王(アハシュエロス王)前486-465
  アルタクセルクセス王(アルタシャスタ王)前465-428
 ではダレイオス王の首席大臣は誰だったでしょう。そうですダニエルです。ではクセルクセス王の妻は誰でしょう。そうですエステルです。その時クセルクセスの側近に取り立てられたのがモルデカイです。もちろん、アルタクセルクセス王の母はエステルではありません。けれど、祖父の代、父の代、国家の中枢に関わり、信頼おける存在としてユダヤ人がいたのです。だからこそアルタクセルクセス王はユダヤ人への支援を惜しみません。これまでのユダヤ人の忠義に応えたのです。
 それにしてもです。神殿が再建されて60年弱。てっきりユダヤ人は神殿を中心にまとまって、安定した生活をしていると思ったのです。けれど、実際はそうではありませんでした。一向に落ち着くことのないイスラエルだったのです。だから、エズラが派遣されます。国の立て直しのために。いえ、信仰の立て直しのために。信仰を調査して、正しく民を指導するためにです。王は知っています。ユダヤ人が神に忠実に従うなら、神は祝福を惜しまないことをです。それは他ならぬダニエルが、エステルが、モルデカイが、ペルシヤの中枢で身をもって証ししてきたことです。イスラエルの安定は、強いてはペルシヤの安定は、ユダヤ人の信仰にかかっていたのです。だから、もっとも優秀な人物を手放します。本当なら手元においておきたい有能な人物を祖国に帰らせるのです。
 信仰は見える神殿が再建されるだけではダメでした。見えない神殿の霊的再建がなされなければダメなのです。神殿が建つこと以上に、実は礼拝が続けられることの方が難しいのです。イスラエルには秩序が必要でした。神の律法によって治められる必要がありました。何より礼拝が守られることが大事でした。それらは全て神のみ言葉に聞くことから始まります。状況や周囲の声ではありません。「エズラは、【主】の律法を調べ、これを実行し、イスラエルで掟と定めを教えようと心を定めていた。」(7:10)とある通りです。イスラエルの堕落は異民族との交流から始まりました。だから排他的になれということではありません。影響されるのではなく、影響するものであれということです。私たちが変わらない御言葉に聞き、変わらない信仰に生きる時、人々は私たちに影響されるのです。まずは私たちの礼拝生活を再建することです。

220518 エズラ1 「主のご計画は全ての信仰者と共に」

エズラ1 「主のご計画は全ての信仰者と共に」

 エズラ書はバビロン捕囚から帰還した民の神殿工事の様子が記されます。
 1節にあるペルシヤの王キュロスとは、アケメネス朝ペルシアのキュロス2世のこと。キュロス2世は世界帝国の建設者であります。1代でメディア、リディア、新バビロニアを滅ぼした人物で、戦略、戦術のプロであるとともに、政治のプロでもありました。ペルシヤ帝国繁栄の礎となったのは、キュロス2世による被征服民に対する懐柔政策にありました。
 ペルシャ以前、アッシリヤやバビロンは、征服地に対して極めて強硬な政策を採りました。捕囚によりその土地と民を引き離し、民族としての力を削ぎ落としたのです。しかし、これらの政策は多くの不満を持った民を国内に抱え込むことともなり、国力の低下にも繋がりました。
 キュロス2世は全く違う政策をとりました。例えば、小アジアのギリシア人に対しては、武力で脅威を与えるのと同時に利益による懐柔政策を採用しました。ギリシア人の技術を高く評価し、兵士としても採用します。また、バビロンに捕らえられていたユダヤ人に対しては、彼らの信仰を尊重し、彼らの故郷への帰還を認めました。キュロス王の寛大な政策は、それらの被征服民からの支持を取り付け、結果、国の安定に繋がったのです。
 国のあり方として、自国の民以外を認めないという一国主義は決して繁栄しません。これは歴史の認めるところです。グローバル化が叫ばれる昨今、特に諸国民との平和が重要です。ヘイトスピーチの問題は他国の問題ではありません。人権が迫害され、それを正当化する。今、日本国内に住むロシア人に向けられた誹謗中傷が起きています。気持ちはわかります。毎日ウクライナの惨状を見ていれば、必然とロシア憎しの感情が湧いて来ます。けれどそれではプーチン政権がやっていることと何ら変わりません。自分の正義を振りかざし、他人を抑圧する人は、やがてそのベクトルが回りまわって自分に向かってくることを知らなければなりません。

 さて、エレミヤの預言によるとバビロン捕囚は70年。というと、捕囚された民は、もう人生のほぼ全てをバビロンで過ごしたということです。ここで死に、ここで生まれ育った者も沢山おります。何が言いたいかと言いますと、つまり、今更故郷に帰って神殿を再建せよと言われても、思い入れのない民も少なくなかったということです。いえ、思い入れはあっても、目の前の生活に忙しいと言う人も多かった。もちろん彼らは遠い異国の地でもシナゴーグを建設し、神礼拝に勤しんできました。けれど、今ある生活を全て捨てて亡国に帰るということは、主の民としても勇気のいることです。ですから、この帰還命令は強制的なものではありません。あくまでもそれに応じる者。手を挙げる者を募って帰還がなされるのです。
 それにしましてもキュロス2世の政治的配慮には恐れ入ります。寄留地に残る者に帰還民に対して援助をするようにと命じるのです。意図したものかどうかはわかりませんが、これによってエルサレムに戻る者、寄留地に留まる者の間にわだかまりが起きずにいられたのです。単なる望郷ではなく、神殿再建という使命を持った帰還民であることを考えると、自分たちは信仰を優先したけれど、留まった者は生活を優先した。と、帰還民たちは思うかもしれません。逆に留まった者は気後れを感じるかもしれません。しかし、そういう民の中での気持ちの格差に対して、援助することを通して、共に働きに参加するチームとしての意味合いが付与されていくのです。神殿再建は帰還民によるけれども、同時にこれを支える異国の民の働きでもある。そうすることで、イスラエルの民は遠く離れた同胞のために祈り支える者となり得たわけです。これは宣教師を支える諸教会、献身者を支える信徒とも通ずるところです。どちらも尊い働き。しかし、どちらが欠いても事はなされない。荒れ果てた故郷に神殿を再建することは並々ならぬことではありません。残って援助する者はその働きの困難さをよくよく知らなければなりません。また、援助される者はそのために残る者の尊い犠牲を覚えておかなければなりません。どちらも尊い働きです。どちらか一方だけでは決して成り立たない働きです。
 さて、エズラ記ではこれから幾度となく挫折する神殿再建の一大事業の様子を見ていくことになります。しかしその裏でダニエルやエステルがユダヤの民を守ったということも、決して忘れてはならないことです。主のご計画は全ての信仰者と共にあります。ここでは、主の働きの背後には無数の祈りと捧げ物があるということ。また華やかに見えるその道は実は過酷で困難な道であること。しかし、双方が互いを認め支え合うとき、その働きは実現されるということを覚えることといたしましょう。