ネヘミヤ11 「喜んで従う者」
ネヘミヤ記は大きく分けて3つの区分に分かれます。
1:1~7:4までがエルサレムの城壁の再建について。
7:5~10:39までがエズラ・ネヘミヤによる宗教改革について。
そして11章からは付録的記述となります。
11章はエルサレムとその他の町々の居住者のリストです。しかし、よくよく見ると、これは単なる居住リストではなくて、再建したエルサレムの城壁内に住民の一部を移住させている記録だとわかります。7:4に「この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。」とありました。エルサレムの町はそれまで神殿こそ建てられたものの城壁もなく、決して生活をするのに適したところではありませんでした。エルサレムはヒノムの谷とキデロンの谷に囲まれたテルと呼ばれる丘の上に建てられた町です。古代において水源や防衛上の観点から丘の上に町を立てることが多かったのですが、この時代ではもはや防衛上の利点はほぼ無く、流通のし易い平地の町と比べると不便な町でありました。いえ、そもそも廃墟となったエルサレムの再建は、サマリヤの総督サヌバラテやアモン地方を支配したトビヤ、そしてアラブ人ゲシェム(6:1)によって幾度となく妨害されてきましたから、何もかもがこれから。今城壁が再建されてようやく町の形が整ったわけですが、そこに住む住民はまだ少なく、家もまだ十分に建てられていなくて、民の指導者たちだけがかろうじて住んでいたのが現実です。そこでこの11章にあるように、民の10分の1をくじによって選び、エルサレムの町としての再建を担うべく、住民として移住させることになったというわけです。
このとき自主的に移住を希望した人たちもいたようで、そのような人たちは人々から祝福されたとあります。言い換えると、ほとんどの人はそれを望まなかったということです。エルサレムは農耕に適した土地ではありません。神殿があり、政治の中心となっていくわけですが、こと自身の生活を優先すれば、そこは不便な土地だったのです。彼らは皆、祖国エルサレムの再建を夢見て、志を持って捕囚の地から帰ってきた民です。けれど、志を持ち続けることができたのは一部の者達だけでした。それが現実です。夢では食べていけない。志で家は建たない。ですから、多くの人はできることなら、別の町に住みたいのです。くじは御心であると受け止めますけれど、実際はエルサレム行きが当たらなかった人は安堵し、当たった人はハズレくじを引いたように青ざめたのです。
ですから、エルサレムには二通りの人々が入居したのです。くじによって仕方なしに入居する者と自らの意志で進んで入居する者とです。そして進んで神に従う者は皆から祝福を受けたのです。神はふさわしい者、必要な者を選んでくださいます。くじで選ばれた人たちは神のみ心によって選ばれたのです。エルサレムに入居する人たちは全て、この町の再建に必要な人達でありました。けれど神が喜ばれるのは、自ら手を上げて喜んで神に従う者でした。私たちもそのようなものになりたいのです。
ネヘミヤ記は大きく分けて3つの区分に分かれます。
1:1~7:4までがエルサレムの城壁の再建について。
7:5~10:39までがエズラ・ネヘミヤによる宗教改革について。
そして11章からは付録的記述となります。
11章はエルサレムとその他の町々の居住者のリストです。しかし、よくよく見ると、これは単なる居住リストではなくて、再建したエルサレムの城壁内に住民の一部を移住させている記録だとわかります。7:4に「この町は広々としていて大きかったが、その中の住民は少なく、家もまだ十分に建てられていなかった。」とありました。エルサレムの町はそれまで神殿こそ建てられたものの城壁もなく、決して生活をするのに適したところではありませんでした。エルサレムはヒノムの谷とキデロンの谷に囲まれたテルと呼ばれる丘の上に建てられた町です。古代において水源や防衛上の観点から丘の上に町を立てることが多かったのですが、この時代ではもはや防衛上の利点はほぼ無く、流通のし易い平地の町と比べると不便な町でありました。いえ、そもそも廃墟となったエルサレムの再建は、サマリヤの総督サヌバラテやアモン地方を支配したトビヤ、そしてアラブ人ゲシェム(6:1)によって幾度となく妨害されてきましたから、何もかもがこれから。今城壁が再建されてようやく町の形が整ったわけですが、そこに住む住民はまだ少なく、家もまだ十分に建てられていなくて、民の指導者たちだけがかろうじて住んでいたのが現実です。そこでこの11章にあるように、民の10分の1をくじによって選び、エルサレムの町としての再建を担うべく、住民として移住させることになったというわけです。
このとき自主的に移住を希望した人たちもいたようで、そのような人たちは人々から祝福されたとあります。言い換えると、ほとんどの人はそれを望まなかったということです。エルサレムは農耕に適した土地ではありません。神殿があり、政治の中心となっていくわけですが、こと自身の生活を優先すれば、そこは不便な土地だったのです。彼らは皆、祖国エルサレムの再建を夢見て、志を持って捕囚の地から帰ってきた民です。けれど、志を持ち続けることができたのは一部の者達だけでした。それが現実です。夢では食べていけない。志で家は建たない。ですから、多くの人はできることなら、別の町に住みたいのです。くじは御心であると受け止めますけれど、実際はエルサレム行きが当たらなかった人は安堵し、当たった人はハズレくじを引いたように青ざめたのです。
ですから、エルサレムには二通りの人々が入居したのです。くじによって仕方なしに入居する者と自らの意志で進んで入居する者とです。そして進んで神に従う者は皆から祝福を受けたのです。神はふさわしい者、必要な者を選んでくださいます。くじで選ばれた人たちは神のみ心によって選ばれたのです。エルサレムに入居する人たちは全て、この町の再建に必要な人達でありました。けれど神が喜ばれるのは、自ら手を上げて喜んで神に従う者でした。私たちもそのようなものになりたいのです。