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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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220622 雅歌3 「夫婦の愛に留まりなさい」

雅歌3 「夫婦の愛に留まりなさい」

 2:8-2:17まで、二人の愛の初めの様子が記されます。けれど、3章前半では一転して愛する人を探し求める女性の姿が記されます。この二人がソロモンとシュラムの女であるなら、政務に忙しいソロモンは、いつもいつも彼女と一緒にはいられないのは当然です。しかし愛する人とのいっときの別れが、彼女の内に相手の存在の大きさを知らしめるのです。どうしても会いたい。その思いは夢にまで出るほどです。捜しても捜しても彼は見つからず町を行き巡って探します。見回りたちが心配して声をかけます。しかし女性は愛する人の居場所を問うことしか出来ません。まるで恋愛ドラマのように恋に狂う女性の姿が記されています。見回りたちを置き去りにして再び愛する人を探し出す女性。そして彼女は愛する人を見つけます。もはやひとときも離れていたくない。彼女は彼をしっかりとつかまえて放さず、自分の母の家に連れて帰ります。彼女の中で結婚の決意が固まる場面です。
 5節にあるフレーズは「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは」雅歌の中で繰り返される言葉です。二人の愛が育まれる様子を周囲の者はそっと見守りましょう。というニュアンスでしょうか。コーラスのように入るこのフレーズで場面が変わります。6節からは、婚礼の行列の様子が記されます。当時の結婚式は、前日、花婿が花嫁を迎えに行き、そして花嫁を伴って新居に入るものです。きらびやかな神輿と、脇を守る60人の勇士。多くの人がこの婚礼を祝うために駆けつけます。ソロモンの豪華すぎる婚礼の様子が描かれます。そして4章以降、互いに対する賛歌が赤裸々に語られていくのです。
 雅歌は男女の愛、夫婦における性の交わりを隠すこと無く描きます。それは夫婦にとって互いを結びあわせる大切な絆であるからです。からだの繋がりは精神的な繋がりにも直結します。だから、これは夫婦においてのみ許される特別の関係なのです。第1コリント6:16に「それとも、あなたがたは知らないのですか。遊女と交わる者は、彼女と一つのからだになります。「ふたりは一体となる」と言われているからです。」とあります。遊びの関係がいつの間にか本気になるという話をよく耳にします。当然です。からだの関係は本来夫婦を結びつける結婚の祝福だからです。テモテ・コール先生が良く男女の結びつきを2枚の画用紙を使って説明してくれました。からだの交わりは2枚の色画用紙を強力な糊で張り合わせたようなものだとです。2枚の紙はぴったり重なり、より頑丈な、まるで1枚の紙のようになるのです。しかしこれを無理やり引き離そうとするとどうなるでしょう。互いの紙が無惨に破れ、取り返しのつかない傷を残すことになります。遊女と交わるというのは、単に遊女と一つとなるというだけではありません。夫婦の関係を破り捨てるということでもあるのです。だから雅歌は「揺り起こしたり、かき立てたりしないでください。愛がそうしたいと思うときまでは」というフレーズを繰り返し、夫婦の愛に他者が割り込むことを警告しているのです。本気じゃなければ、遊びなら良い。そういう話ではありません。からだの関係は男女の間柄を糊付けします。だからこそ、夫婦の愛に留まる必要があるのです。
 そしてこのことは、教会とキリストとの関係にも適応されるのです。第1コリント6:15「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだはキリストのからだの一部なのです。それなのに、キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部とするのですか。そんなことがあってはなりません。」とあります。「キリストのからだの一部を取って、遊女のからだの一部とする」それは一つはキリストとの関係を取り返しのできないくらいに無残に引きちぎる行為であり、一つはもう引き離すことのできない関係を遊女と結ぶことを意味します。不品行の罪とは、実は、キリストとの深い結びつきを破り捨てる反逆の罪と、遊女との深い結びつきを選び取る背信の罪の、二重の罪を犯すことを意味しています。第1コリントは不品行の問題の結びに次のように言います。第1コリント6:19「あなたがたは知らないのですか。あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり、あなたがたはもはや自分自身のものではありません。」内におられる聖霊を追い出してまで、求めるものはあるのでしょうか。私たちが偶像に安易に手を出すことは、大きなリスクを伴います。何かを手にするとき、何かを失うことを忘れてはいけません。誰も二心を持って神に仕えることはできません。私たちは聖霊を追い出してはいけません。