fc2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

230402 伝道者の書3:1-11 「すべてのことには時がある」

伝道者の書3:1-11 「すべてのことには時がある」

 1節から8節まで、人生における様々な時を、詩人は数え上げています。生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を抜くのに時がある・・・。人生の経験を積まれた方ほど、しっくりくる詩ではないでしょうか。ああ、たしかにそうだな。あんなこと、こんなこと、色んなことがあったな。と、この詩を詠んで思われるのではないでしょうか。そして、だから慌てても仕方ない。どうしようもない。なるようになるさ。とそんな風に思われることでしょうか。
 しかし、これはただ単にそんなことがあるよね。人生を振り返っているのではありません。それらは人生の中でたまたま降りかかった出来事ではなくて、その全てには、神の設けられた時、神のご計画の時があったと言っているのです。私たちの人生のあらゆる場面は、偶然そこにあるものではなくて、神の采配なんだと。そこには神の意志が働かれていると言うのです。
 「神のなさることは、すべて時にかなって美しい。神はまた、人の心に永遠を与えられた。しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」
 そして、それらいっさいの神の采配は、すべて時にかなって美しい。最もふさわしい時、最も最善の時になされるんだと、こう言っているのです。石を拾い集め、投げ捨てることにすら、神の用意された時がある。神のご計画があると言うのです。確かに私たちは、その時、その時で起こる出来事を時に受け入れられないことがあります。なんでこんなことが、と疑問に感じる。不満を感じる。そんなことがあります。人生の様々な出来事を、全て割り切って受け入れられるほど、私たちは達観してはおりません。私たちはいつも降りかかる出来事に、懸命に、精一杯に、その瞬間瞬間を関わり続けるしかありません。
 けれど、それらはすべて、神のご計画の中で設けられた時だと聖書は言うのです。私たちも経験があると思います。その時にはわからない。意味を見いだせない出来事が、時が経って、振り返るときその意味を知るという経験です。渦中から抜け出た時、そこに確かに主の采配を見る。主のご計画を知る。ということがあるのです。私たちは良くも悪くも今という瞬間を生きています。今起こる出来事と向き合い、時に苦闘し、時に喜びます。その時、その瞬間の出来事に必死に関わり続けています。後になってしかわからないという出来事の中で私たちの心は騒ぎます。いったい神はどこにいったんだとです。けれど、違います。自分の思いどおりにいかないことが神の不在を意味するのではありません。「しかし人は、神が行うみわざの始まりから終わりまでを見極めることができない。」とあります。私たちは、自分の人生の当事者であって、俯瞰者にはなれません。私の人生にこれから何が起こるのかは誰も知りません。けれど、神の視点はもっと壮大です。神は知っておられます。私の人生の始まりから終わりまでを見極めて、その上で、最も効果的な、最もふさわしい時を用意してくださる。ここしかない。という今を用意してくださるのです。神は永遠という中から、その時、その瞬間を用意されているのです。神はその人生を逆算して、必要な備えを用意してくださっています。主の山には備えがあるのです。
 私たちの人生の初めから終わりまでを知って、時を備えてくださるお方がおられます。確かに有限である私たちは永遠の神が行うみわざを見極めることはできません。ですから、今、その瞬間を懸命に、苦闘して生きる。それはその通りし、それで良いのです。けれど、それでも私たちは失望する必要はありません。それは私たちには見えないけれど、その時にはわからないことばかりだけれど、確かに主は共におられ、確かにそれは主のみこころの時なのです。