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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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230621 ヨシュア21:1-26 「レビ人の取り扱い」

ヨシュア21:1-26 「レビ人の取り扱い」

 12部族の相続地についてが15章から19章まで続き、20章ではのがれの町についてが記されています。そして続く21章はレビ人に与えられる土地についてが記されます。レビ人はゲルション、ケハテ、メラリ族に分かれます。ケハテ族は天幕の中にある祭具を扱い、ゲルションは天幕の幕を、メラリ族は板や横棒を運搬しました。この3部族の割当地が以下の通りです。
ケハテ族へは、ユダ、シメオン、ベニヤミン族から、13の町が祭司アロンの子孫のものとなり、エフライム、ダン、マナセの半部族から、10の町が残りのケハテ族のものとされました。
 ゲルション族へは、イッサカル、アシェル、ナフタリ、バシャンのマナセの半部族から13の町。
 メラリ族へはルベン、ガド、ゼブルンから、12の町。
この所からわかるのは、レビ人は独自の相続地を持たず、居住する町を12部族から提供されたことです。彼らは相続地を持たないため他の部族から収穫の10分の1を受け取ることとなりました。
 しかし、これはどうなんでしょう。今、相続地が分配されているわけですが、実際それは彼らがこれから戦いに勝利して勝ち取っていくものです。命をかけて手にする相続地なのです。ところがレビ人はその地の一部を無条件に手にすると言う。そして、収穫の10分の1を我が物とする。別の部族からは、このレビ人の取扱いに文句は無かったのでしょうか。一見不平等にも思えるレビ人の取り扱い。しかし、この関係を維持することが、彼らの神の民としてのアイデンティティを形成することになりました。つまり、レビ人は神の所有物という理解です。レビ人に捧げるのではなくて、それは神に捧げられたものという理解です。彼らはレビ人に10分の1を提供することで、神に仕えるのです。第一、レビ人はあくまでも住む所と収穫物の10分の1は供給されますが、それは所有物とはなりません。その所有は神のものですから。彼らは財産を蓄えず、神の恵みによって生きるのです。
 今日の教会も同じですね。例えば、牧師の謝礼は教会会計から出されます。それはすなわち、献金から出されているということです。だから、ともすれば私が牧師を養っている。という感覚を持つことがあるかもしれません。そして、私の献金で生活しているくせに、何で私の思い通りにしてくれないのかと不満を抱えたりもするかもしれない。けれど、やはり献金は神に捧げられるものなのです。神に捧げられたものを教会は管理し、牧師の謝礼やその他の必要を満たしています。ここを履き違えると教会生活は破綻します。自分の思い通りにしようとしてしまう。自分が教会の主でなければ我慢がいかなくなってくる。。。昔から「沢山捧げる人は沢山口も出す。」と冗談ぽく教会では言われたりします。けれどそれは確かに誘惑なのです。社会的にはそれは当然の権利でしょう。会社の株を1%でも多く持つ者が主導権を持つ。これは世のルールです。けれど、それを教会に適用することはできません。なぜなら教会の主はイエス様だからです。マタイ6:3-4には「あなたが施しをするときは、右の手がしていることを左の手に知られないようにしなさい。あなたの施しが、隠れたところにあるようにするためです。そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます。」とあります。これが私たちが捧げるときの原則です。
 そして、もう一つ。このレビ人に与えられた地には、彼らの住む町と共に、各地に放牧地と逃れの町が用意されたということです。このことは何を意味するのでしょう。それはつまりレビ人の役割は、人々のとりなしにあるということです。放牧地とはとりなしのための生贄の羊を育てるための地のことであり、逃れの町は殺人の罪を犯した者たちの救済の場です。といっても殺人鬼を許すということではありません。誤って人を打ち殺してしまった者が、人々の復讐から逃がれるための場です。そのような町の管理がレビ人には与えられました。レビ人は罪を犯し、復讐に怯えるその人を保護する役割を担うのです。実は教会も同じです。教会の目的はとりなし、赦すことです。そこに迎え入れるべきは、罪に自覚し、そのことのゆえに苦しむ魂です。教会はそのような魂を保護する役割を担っているのです。ですから教会は義しさではなくて、愛を持って迎え関わるのです。

230614 ヨシュア15:48-63 「ユダ族の陰で」

ヨシュア15:48-63 「ユダ族の陰で」

 説教者泣かせとはまさにこのことです。いったいここから何を学べば良いのでしょう。20節から記される土地の記録は、ユダ部族の相続地です。北と南で連合軍を打ち破ったヨシュアは高齢となり、後は各部族に土地の切り取りを任せることにします。そこで12部族の相続地を割当ることにするのです。ヨルダン川の東の土地は、すでにルベンとガド、そしてマナセの半部族に割り当てられておりましたので、残りの9部族半の土地が新たに割り当てられました。
 地図を見てもわかるようにユダ部族が最も広範囲の土地を相続することとなりました。これはユダが兄弟の中でとりわけ優秀だったとか、認められていたとか、そういうことで割り当てられたのではありません。あくまでもくじによって選ばれました。くじによるということはそれ以前に土地の分割がされていたということです。土地をあらかじめ10分割して、その後、それぞれに対応するくじを引いて割当地を決める。そして当然のことながら、くじを引く前の土地を分割する作業は各部族が納得の行くように線引されたことでした。どこに当たっても文句の無いように線引する。つまり不毛な地は広大に。収穫高の豊かな土地は狭めにして。ですから土地の広さによるのではなくて、石高によって線引がされたわけです。
 そのような中でユダ部族がくじを引き、カナン南部の一番大きな土地が割り当てられました。それはつまり一番不毛な地、旨味の無い地が割り当てられたということでもあります。カナン南部の山地は砂漠に近い荒野であり、隣接する湖はガリラヤ湖とは違って魚の住まない塩の海です。唯一、海に面した肥沃な土地は海の民ペリシテ人が陣取っておりました。それらを切り取っていかなければならない。くじで割当地が決まったとき、ユダ部族の間にはひときわ緊張感が走ったことではなかったかと想像します。しかし、困難を極める役割にはそれを助ける役割も用意されています。士師記の1章に、ヨシュアの死後、ユダ族が割当地を占領していく様子が記されていますが、その際、ユダはシメオンと協力して戦ったことが記されています。実はシメオン族の割当地はユダ族の中から取られました。19:9には「シメオン族の相続地はユダ族の割り当て地から取られた。ユダ族の割り当て地が彼らには広すぎたので、彼らの相続地の中にシメオン族は相続地を受けたのである。」とあります。つまり、このカナン南部を引き当てた部族には、あらかじめ別の部族が加わることが想定されていたわけです。そしてシメオン族がその役割を引き当てた。神のみこころによって決まったのでした。
 シメオン族は通常失われた10部族に数えられます。けれど他の9部族とは違い、アッシリアによる捕囚によって途絶えたのではなく、早々にユダ部族に吸収されていったのです。シメオンはユダを陰ながらサポートする役割を担いました。民族の名前すら表に出さず、ユダ族と共に歩んだのです。そして神は時として、人をそのように用いられることがあるのです。教会でも表に出る人と、出ない人がいます。目立って活躍する人と、陰ながらに支える人がいる。しかし、それは主がそのように立てられたのです。目立たないから、前に立てないから仕方なくサポート役なのではなくて、その人が相応しいので、助けとなるべく置かれたのです。主の戦いは補い合うのです。ユダ族は表舞台を歩みます。けれど陰にあって仕える者ほど尊いということを私たちは覚えておきたいと思います。その人は天に宝を積んでいるからです。その者の報酬は主によって約束されているからです。

230607 ヨシュア11 「彼は一言も省かなかった」

ヨシュア11 「彼は一言も省かなかった」

 エリコ→アイ→ギブオンと講和。着実にカナン攻略するヨシュア率いるイスラエルの民でした。 原住の民はイスラエルに対して危機感を募らせます。特にギブオンが事実上、戦わずして降参したことは諸民族は大変不安を募らせたのです。そこで南の諸王たちは手を組み、ギブオン攻略を試みました。しかしイスラエルが参戦し、主の御業によって天からの雹が軍を打ち、南の連合軍は瓦解してしまったのです。10:14には「【主】が人の声を聞き入れられたこのような日は、前にも後にもなかった。【主】がイスラエルのために戦われたからである。」とあるほどです。10章はこのカナン南部の征服についてが記され、11章からはカナン北部の征服についてが記されます。
 カナン北部の王たちの動きは、カナン南部の王たちのそれと類似します。北の諸王たちもハツォルの王ヤビンを盟主として連合軍を形成し、イスラエルに対抗しようとしたのです。「海辺の砂のように大勢の兵で、馬や戦車も非常に多かった。」とあります。そこから見えるのは、これからイスラエルは絶望的な戦いを強いられるということです。モーセの出エジプトから始まるイスラエルのカナンへの帰還の旅はここで潰える可能性が高かったのです。しかしヨシュアは主の言葉に励まされ(6)、これを急襲しこれを大いに打ち破ります。ヨシュアは敵対する王たちの町を徹底的に聖絶するのです。私たちの目から見れば、それは何とも慈悲のない行為のように思います。軍隊だけではなく町を聖絶するということは、一般市民も聖絶するということです。私たちはこのような記事を見ると複雑な思いをするかもしれません。なんと残酷で容赦のない行為かとです。しかし、これは主の命じるところでした。ヨシュアがカナン征服においてもっとも気に留めていたのは、主の命に従うということでありました。「【主】がそのしもべモーセに命じられたとおりに、モーセはヨシュアに命じ、ヨシュアはそのとおりに行った。【主】がモーセに命じられたすべてのことばを、彼は一言も省かなかった。」(15)それは愚直なまでに従順。ヨシュアは主のことばどおり、カナンの町々を徹底的に聖絶いたしました。
 しかしこれは、そこまで徹底しないと純粋な信仰を護ることは難しいということでもあるのです。カナン征服は具体的な征服という行為なので無慈悲に聞こえるかもしれませんが、ことサタンや罪との戦いを想像してみるとわかるかと思います。私たちはサタンに対して、温情をかけるべきでしょうか。もちろん、かけるべきではありません。罪に対して曖昧になっても良いものでしょうか。良いはずがありません。私たちはそれを徹底的に滅ぼし尽くさなければならないのです。ほんの少しのパン種が大きく膨れ上がっていくように、これくらい大丈夫と思う誘惑が知らぬ間に大く膨れ上がり、取り返しの付かない結果をもたらしてしまうからです。
 つまり、カナンの地に住む住民たちは決して罪のない、無抵抗で、平和に満ちた民ではなかったということです。彼らは進んで連合を組み、イスラエルと戦うために武装した者たちであり、町々はそんな彼らを支持してイスラエルを根絶やしにせんと息巻いていたのです。実際にギブオンの民はイスラエルに和平を申し出たのです。そして彼らは生かされた。つまり争わない道もあったのです。けれど彼らはそれを望まなかった。神の目に彼らは滅びるべき本質を持っており、そんな彼らと混ざり合う妥協を主はご自身の民に許されなかったということです。
「彼らの心を頑なにし、イスラエルに立ち向かって戦わせたのは、【主】から出たことであった。それは、彼らを容赦なく聖絶するため、【主】がモーセに命じられたとおりに彼らを根絶やしにするためであった。」(20)
 私たちがこのところから、誰かを根絶やしにせよと命じられることはないでしょう。けれど、その覚悟を持って主に従う。ということは求められるところではないでしょうか。罪に対して、誘惑に対して、私たちはその覚悟を持っていることだろうか。もう一度吟味する必要があるのではないでしょうか。

230531 ヨシュア6:1-21 「安心と慢心」

ヨシュア6:1-21 「安心と慢心」

 エリコという町は古くは「なつめやしの町」と呼ばれるオアシスで、世界最古の町の一つと言われています。前8000年期初頭にはすでに町があったことが考古学によってわかっています。長い歴史の中で、たびたび侵略者によって破壊されるという経験を持ち、それゆえ高い城壁に囲まれた難攻不落の要塞都市の形態を取っておりました。ですから、エリコの町を征服できれば、残りのカナン征服も決して夢物語ではない。逆に、エリコを征服できなければ、その後の歩みもあったものではない。エリコの町を征服するというのは、まさにカナン征服の指標となる戦いであったわけです。
 さぞや、犠牲を伴う大きな戦いだったのだろうと想像いたします。ところが、イスラエルのエリコ攻略は大変不思議なものでした。それは町の周りを角笛を吹きながら、ぞろぞろと練り歩くだけというものだったのです。それが一体何の意味があるのか、歩いている彼らも、そして町の中の住人たちもわからなかったのです。主がそのようにするようにと命じられたので、イスラエルは従った。しかし、七日目七周の後、一斉に角笛を吹き、ときの声を上げると、難攻不落の城壁がガラガラと崩れ落ちたのです。そして裸の町となったエリコは難なくイスラエルによって征服されたのでありました。この戦いが真に主の戦いであったこと。主の戦いに必要なのは、従順であるということがわかります。
 さて、エリコの町はなぜ滅びたのか。もちろん、イスラエルが真の神を信じ、エリコの人々が信じていなかったということはあります。それはそうです。しかし、それだけではない。それは彼らが城壁を持っていたという理由もあるでしょう。
イスラエルの人々が町の周りを練り歩いていたとき、エリコの人々はいったいこれをどのように見ていたでしょうか。気味悪がったでしょうか。訝しがったでしょうか。しかし、町を回るイスラエルに矢の一本も打たない様子を見ますと、エリコの人々は実は何の気にも留めていなかったというのが事実のようです。そうです。彼らにとってイスラエルの人々の振る舞いなど眼中になかったのです。城門を突破するために攻めてくる様子もなし。城壁にはしごをかけて登ってくるでもなし。遠くから矢を射掛けてくるわけでもなし。町の外を幾ら練り歩いたところで、それがいったい何の意味がありましょう。強いて言えば多少薄気味悪いくらい。それに、たとえイスラエルが本気で攻めてきたとしても自分たちには鉄壁の城壁があるわけです。この壁の中にいる限り、何者も自分たちに傷をつけることはできない。ですから、彼らはこの城壁の中でいつもと変わらぬ生活を営み、平和を信じて疑わなかったのです。彼らの毎日は緩みきっていたのです。もしも場外を歩いているイスラエルに対して、城門を開いてその横腹を突いたとしたら、また城壁の上から矢を射掛けていれば、それは一方的な勝利を収めることができたはずです。難攻不落の自慢の城壁。それが丈夫であればあるほど、それは彼らの慢心となっていきました。外の世界に関心を寄せなくなりました。結果、彼らは神の奇跡によって敗れ去ったのです。
 城壁を築くことは、私たちに安心をもたらします。しかし自分を覆い囲み、外に関心を寄せることなく内に篭もること、外との関係を遮断することは、結果的に私たちの滅びをもたらすのです。もちろん城壁自体が悪いのではありません。それは本来、身を守る術です。注意すべきは慣れです。そして、これは罪との戦い、サタンとの戦いにおいても言えることなのです。慣れというのは恵みに対しては感謝を失わせ、罪に対しては後ろめたさを奪い取ります。危機感を無くし、毎日が緩みきり、そして気付くと罪に絡め取られているのです。注意しなければなりません。安心と慢心は紙一重と言います。私たちが躓くのは、試練の最中よりもむしろ平和においてなのです。