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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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161225 イザヤ53:1-4 「輝きもなく、見栄えもなく」

イザヤ53:1-4 「輝きもなく、見栄えもなく」

 イエス様のお誕生を祝うクリスマス。なぜイエス様は普通の人としてお生まれになったのでしょうか。イエス様がこの世に来られたのは、神と人との和解の道を開くため。罪人を悔い改めさせて救うためです。であるならば、もっとわかりやすいお姿で来られたほうが良かったのではないか。たとえば、イエス様が、イザヤのもとに現れた天使のように、6つの翼を持って現れたとしたら、また、光り輝く栄光の姿を持って来て下さったとしたら、きっと誰もがイエス様にひれ伏したと思うのです。そうすれば、イエス様が神の子であることは疑いようのない事実として世界に広まり、誰もがこの歴史的事件を当り前のごとく受け止めていたことでしょう。
 けれどイエス様は、そうはされませんでした。人知れず、貧しい家畜小屋の中で、赤ん坊の姿をとってお生まれになった。おかげで、ほとんどの人々は救い主の誕生を知らずにいたのです。いえ、誕生だけの話ではありません。その後の成長の様子を見ても、また公生涯に入られたイエス様を見ても、多くの人々はこの方が預言された救い主であるとは気付きませんでした。
 成長して福音宣教を始められたイエス様は、特に故郷で受け入れられませんでした。故郷の人々はイエス様のことを、大工の息子と呼び、いったい何を言う者ぞと、相手にしませんでした。しかし、これは当然です。彼らはイエス様を、その赤ん坊の頃からずっと見て来たのです。ヨセフに抱かれ、マリヤにお乳をもらうその頃から、彼らはイエス様の成長を見てきた。イエス様はあまりにも人として、そこにおられたのです。ですから、彼らはイエス様が救い主だとは到底気付かなかった。もしもイエス様の背中に羽が生えていたとしたら、どれだけ鈍い彼らでも、この子は特別な子だと気付いたことでしょう。しかしイエス様はそのようには生まれません。イエス様は栄光ある御姿を捨てて、人としてお生まれになりました。これこそが神のご計画だったからです。
 「彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うような見ばえもない。」イザヤはイエス様が生まれるおよそ700年ほど前の預言者で、北イスラエルが不信のゆえに滅び、今またそれと同じ道を歩もうとする南ユダに対して、国の危機を訴えた人物です。国が滅ぶと言う預言を前に、人々は栄光ある神のしもべ、例えば、たった一人で国を守り導いた伝説の士師達のような姿を待ち望みます。しかしイザヤが言う神のしもべとは、人知れず不毛の地に生まれ、その姿は私たちの目にも留まらないみそぼらしいものだと言うのです。いえ、目に留まらないどころか、極めて不快に、嫌悪に、人々からさげすまれて、顔を背けられるものだと言うのです。
 このイザヤの言葉を聞いて、誰が救い主の姿だと想像できたでしょう。しかし私たちは、これが救い主のお姿であったことをクリスマスの出来事から知るのです。イエス様は、何も無い粗末な馬小屋で、人知れず生まれました。王としてのきらびやかさも、祭司としての威厳も持たず、十字架へと続くその道のりは、ただただ人々の敵意と侮蔑に彩られたものでした。「彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどにさげすまれ、私たちもまた、彼を尊ばなかった。」
 神はイエス様を、人々から尊敬させるためにこの世に送ったのではありません。人々が見惚れるためでも、感心するためでもない。そうではなくて、神はそのひとり子を、砕くため。痛めるため。罪のためのいけにえとするために送られたのでした。栄光あるままのイエス様が私たちの犠牲となることはできません。十字架の御業は完成しません。十字架の犠牲は、イエス様がその栄光をお捨てになったときから決まっていたことでした。確かにイエス様には、人々が見とれる姿もなく、慕うような見栄えもありませんでした。しかし、だからこそ、私たちはこの方が預言された救い主であることを見るのです。この方が栄光を捨てられたからこそ、私たちの犠牲となることができた。私たちの救いとなられたことを見るのです。救い主の誕生を心より感謝します。

161218 詩篇113:1-9「塵芥から王の座に」

詩篇113:1-9「塵芥から王の座に」

 1節から4節。詩人は偉大なる主の御名を様々な角度から歌っています。2節では「今よりとこしえまで」と主の永遠性を、3節では「日の昇る所から沈む所まで」と主の普遍性を、そして4節では「すべての国々の上に高くいまし、その栄光は天の上にある。」と主の超越性を褒め称えます。わずか4節の言葉数ながら、主の偉大さを余すこと無く称える見事な詩となっています。
 しかし、特筆すべきはその次です。「主は高い御位に座し、身を低くして天と地をご覧になる。主は、弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。」詩人は主の偉大さを多方面から触れながら、さらに、主の特異性についても触れるのです。それは「主は身を低くされた」ということです。
 クリスマスのメッセージを一言で言うと、それは神である方が人となってお生まれになった。ということでありましょう。言い換えると、高い御位に座される方が、身を低くされた。ということです。
 御使いガブリエルはイエス様が王の王である方だと、とこしえにヤコブの家を治められる方だとマリヤに告げました。けれどどうでしょう。実際にお生まれになるイエス様は、およそ王とはかけ離れた誕生をされたのではなかったでしょうか。イエス様は飼い葉おけに寝かされます。なぜなら、宿屋には彼らのいる場所がなかったからです。けれど考えてみれば不思議な話です。イエス様が王の王たるお方だとすれば、もっと違った産まれ方ができたはずなのです。このお方は万軍の主。天の御遣いたちを支配するお方です。ならば、お生まれになるのに、宿屋の一つくらい融通が利かないのでしょうか。いえ、宿屋と言わず、王宮だって用意できたのではないでしょうか。イエス様は、お言葉一つで、人々を癒やし、時に蘇らせました。イエス様は神の御子であり、わたしたちには不可能なことも、イエス様には不可能なことはありません。だとすれば、イエス様が貧しい家畜小屋で産まれたということも、状況がそうさせたということ以上に、ご自身の意思が働かれたと理解すべきなのです。全てはイエス様のご意思です。イエス様は敢えてそのような誕生を選ばれたのです。なぜ、イエス様はご自身を卑しくされるのでしょうか。それはつまり、「弱い者をちりから起こし、貧しい人をあくたから引き上げ、彼らを、君主たちとともに、御民の君主たちとともに、王座に着かせられる。」ためだと、聖書は言っています。弱い者、貧しい人を引き上げ、王座に着かせるために。と。イエス様は敢えて、塵芥の中でお生まれになったのです。
 考えてみると、もしイエス様が貧しい家畜小屋でなく、王宮のベッドで産まれていたらどうでしょう。少なくとも、羊飼いたちは、イエス様とお会いすることは叶わなかったでしょう。羊飼いとは、当時、忌み嫌われた職業の一つです。それほど、羊飼いは人々から蔑まれていた人々です。国中が住民登録のために大騒ぎとなっていた中、その数にすら入れられなかった人々です。彼らの存在は人々から失われておりました。。けれどイエス様はそんな失われた彼らに誰よりも先にご自身の誕生を知らせたのです。
 イエス様の誕生の様子は、このお方が招く者を制限しないということを意味します。たとえ、数にも入れられないような卑しい者も、忌み嫌われた者も、分け隔てすること無く、ご自身のもとに招かれる。だからこそ、このお方は私たちの救い主でもあるのです。私たちが救われる条件は何でしょう。社会的地位があることでしょうか。一定以上の献金額を捧げることでしょうか。教会の奉仕に携わっていることでしょうか。そうではありません。それはただ、自らの罪を悔い改め、このお方を救い主と信じる。信仰に他なりません。信仰の有無。それゆえ、このお方は一部の者たちの救い主ではなくて、全ての人のための救い主なのです。

161211 詩篇118:1-29 「主に身を避ける者は」

詩篇118:1-29 「主に身を避ける者は」

 「主の恵みはとこしえまで。」詩人はその賛美の声を、民にも、祭司にも、全ての主を恐れる者たちにも勧めます。彼はその喜びを自分一人で留めておくことができないでいるのです。それほどの恵みが彼の内には満ちておりました。
 5節から9節を読みますと、清々しいまでの詩人の神への信頼です。しかし、これは逆に言うと、「人は頼りにならない」という表れでもあるわけです。彼らの周りには、いつも彼を憎む者たちがおりました。それは彼らを一重二重にも取り囲み、どこにも逃げ道はない、八方塞がりの状況がありました。この詩の背景に何があるかと言いますと、実はバビロン捕囚があり、そして、捕囚から帰還した民による神殿の再建があったわけです。
 亡国の憂いを抱え、ユダヤの民はバビロンの地に強制移住させられました。皆が無一文となり、文化も言語も風習も、そしてもちろん信仰も違う異国の地で従属する生活が始まります。それは過酷を極めた生活だったかと思います。しかし彼らは、その現状を主の懲らしめと捉えて、耐え忍びます。彼らはシナゴーグという礼拝所を設けて、再び神を礼拝する民とされていく。環境の違いに賢く適応しながら、譲れない、大切なものを育んでいく。彼らは、あらゆる誘惑を主の御名によって断ち切りながら、その時、神の救いを待ち続けるのです。
 そして、いよいよその時が来ます。バビロンはペルシャのクロス王によって滅ぼされました。そしてこのクロス王によって、ユダヤ人は祖国エルサレムへ帰ることが許される。しかも主の神殿を再建させるためにです。いったい誰がこのような結末を予想したでしょうか。エルサレムへと帰還した彼らは、紆余曲折ありますが、やがて神殿の再建を果たすのです。
 そして、この詩篇が歌われる。「家を建てる者たちの捨てた石。それが礎の石になった。」家を建てる者が捨てた石です。専門家の目でそれは何の役に立たないと、お墨付きをもらった石。よっぽど見るところのない石だったのでしょう。けれど、それが、最も大事な礎の石となる。いったい誰が、もう一度この地に神殿が建つことを想像したことでしょう。ユダヤの民は、一度滅んだのです。捨てられたのです。しかし、主の為さることは私たちの想像を遥かに超えています。彼らの捨てられた経験が彼らの信仰を建て上げるのです。私たちにとって行き止まり。八方ふさがりに見える、その所にも、神の確かな約束の大路が備えられているのです。
 さて、ご存知のように、この聖句は、イエス様によって、また弟子たちによって、幾度となく引用される聖句です。それは、人々が待ち焦がれる救い主が、人々の期待と全く違う姿を取られて来たということを物語っているのです。人々は待ち望みます。困難な日常を一手に打破してくれる力を持った救世主をです。けれど、イエス様はそのような方ではありません。イエス様は彼らの霊的の生活。真の神殿を建て上げるために来られました。イエス様があの十字架において一人ひとりの罪の贖いとなってくださったゆえに、私たちの礼拝が整ったのです。神と私たちとの間の覆いは取り除かれたのです。イエス様はこのためにこそ来られました。誰か本当の意味で、このお方を理解した人がいたでしょうか。十字架において、誰もがこのお方を見捨てたのです。もう駄目だ。この方は救い主ではなかった。このお方は捨てられた石となられた。けれど、同じこのお方が礎の石であったのです。この救い主は人々の期待に応えて、彼らを扇動することも、奮い立たせることもいたしません。人々の敵意を一身に浴びながら、その愚かな者のために執り成しの祈りをするのみです。「父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです。」しかし、これこそが教会の礎となったのです。
 そして、このことは弟子のペテロへと継がれていく。イエス様という礎石の上に、ペテロという岩が積み重ねられる。そのさらに上に、私たちもまた積み重ねられるのです。これが教会というものです。晩年のペテロは言いました。「主のもとに来なさい。主は、人には捨てられたが、神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。」第1ペテロ2:4-9

161204 詩篇84 「主の大庭を恋い慕って」

詩篇84 「主の大庭を恋い慕って」

 コラの一族は、主の宮の門番や歌うたいとして仕えた一族です。彼らは主の宮の門に立ち、日がな、主の宮にやって来るたくさんの巡礼者をねぎらい、向かい入れました。この詩がどの時代によるものかは様々に説があるのですが、例えば、バビロン捕囚によって、主の宮に来たくても来れないユダヤ人がいたことでした。異国の地で、しかし、思いだけは主の宮に向けて。ですから、たとえ異国の地であっても、ユダヤ人の家は遠くエルサレムに向けて大きな窓が開いていたと言います。主の宮に訪れる巡礼者たちは、そういった仲間たちの期待やら何やらを共に背負って来ている者も少なくないわけです。だから彼らは、主の宮を前にして、万感の思いです。そして、コラの子はそんな者たちの様子を歌っているのかもしれません。
 「万軍の主。あなたのお住まいはなんと、慕わしいことでしょう。私のたましいは、主の大庭を恋い慕って絶え入るばかりです。私の心も、身も、生ける神に喜びの歌を歌います。」主の宮に集うこととは、実に感動と喜びをもたらすことなのです。ふと見上げますと、宮の軒下に雀やつばめたちが巣をつくっておりました。何の妨げもなく、自由に宮に出入りする鳥たち。主の宮を我が家とし、主の御手に育まれる鳥たち。そのような鳥を見ながら、一方で、異国の同胞たちを思います。様々な事情で、ここに来ることがかなわない同胞たち。主の宮に集うことを願いながら、しかし、そこに留まり、祈りにおいて主を礼拝する仲間たち。病により、動くに動けないでいる兄弟姉妹たち。自らの罪ゆえに、主の前に出ることに躊躇して踏み出せない者たち。この世の様々な価値観の中に埋もれて、主の宮を忘れてしまった人々。色んな状況の中に置かれたあの人この人を思いながら、尚も、この場へと導かれ共に主を礼拝できることの何と幸いなことかと思うのです。
 しかし、それは単なる物理的な教会のみを指しているのではありません。私たちは今や、聖霊が内住する主の宮とされたということを忘れてはなりません。私たちは人生において、涙の谷を歩むこともあります。涙の谷とは不毛の地、枯れ果てた地です。どれだけ潤うことを願っても、流れ出る水を見つけることがかなわない。いつも自分の心を擦り減らしながら、歩まなければならない。そういう土地です。どこまで、いつまで我慢すれば、この心は潤うのか。しかし、詩人は言います。「そこを、泉のわく所とします。」とです。「その心の中にシオンへの大路のある人」つまり、天の御国への道を確かに持っている人です。信仰の窓を主の宮に開けて、祈りの声を上げる人と言っても良いでしょう。そのような人は、泉を見つける。他のどこでもない。その所が。とこう言っているのです。
 サマリヤの女に語られたイエス様の言葉が思い出されます。「わたしの言うことを信じなさい。あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。救いはユダヤ人から出るのですから、わたしたちは知って礼拝していますが、あなたがたは知らないで礼拝しています。しかし、真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。父はこのような人々を礼拝者として求めておられるからです。」コラの子たちが歌った希望は、イエス様の到来によって実現するのです。雀やつばめのように、何にも妨げられることなく、自由に神を礼拝する。私たちに許されたこの特権のなんと幸いなことでしょうか。「まことに、あなたの大庭にいる一日は千日にまさります。私は悪の天幕に住むよりはむしろ神の宮の門口に立ちたいのです。まことに、神なる主は太陽です。盾です。主は恵みと栄光を授け、正しく歩く者たちに、良いものを拒まれません。万軍の主よ。なんと幸いなことでしょう。あなたに信頼するその人は。」

161127 詩篇74 「全能の神を慕い求めて」

詩篇74 「全能の神を慕い求めて」

 アドベントというのは待降節、救い主の到来を待ち望む期間のことであります。イエス様が来られる以前、人々はずっと救い主を待ち望んで来たわけです。では救い主を待ち望む人々の、いったいどのような心境だったのでしょうか。
 今日の箇所はアサフのマスキールとあります。マスキールとは教訓の歌という意味です。アサフという人はダビデによって任命された、礼拝に仕える音楽長の一人です。このアサフから代々その子孫たちは、彼の職を引き継いでいきます。それゆえ彼らの一族はアサフと呼ばれました。ですから、この歌はダビデの時代の歌ではありません。それよりもずっと後の歌。紀元前587年に起こった、バビロンによるエルサレム崩壊のときのことだと言われています。
 その時の記録がⅡ列王記25:1-15に記されています。ゼデキヤの治世の第9年の10の月から11年の4の月までの1年と半年もの間、人々は籠城して耐え忍びます。しかしやがて城内の食料は尽きていく。25:3にはたった一行「町の中では、ききんがひどくなり、民衆に食物がなくなった。」とありますが、実際は凄惨な様子であったことでしょう。城壁が破られ、敵軍が町中に流れ込むと、もはやユダヤに戦う力はありません。町を守るはずの戦士たちが、皆競うように逃げ出します。王の側近たちですら、王を置いて逃げ出す始末です。誰もが自分の命だけを惜しみ、他人を思いやったり、秩序を保つといった余裕はありません。ゼデキヤ王もまた脱出を試みますが、弱った体に、従う者もいない。彼はエリコの草原で捕らえられ、目の前で息子たちが虐殺されるのを見せられ、その挙句目をえぐり出されるのです。そして記録には「主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。」とあります。包囲する者のうっぷんを晴らすように、エルサレムの町ではどれほどの残虐行為、蛮行がなされたことでしょうか。主の宮も荒らされ、金銀青銅、あらゆるものが奪い去られていきました。
 詩篇74篇は、そのような亡国の様子を歌っているのです。9節には「もう私たちのしるしは見られません。もはや預言者もいません。いつまでそうなのかを知っている者も、私たちの間にはいません。」とあります。詩人の絶望が伝わってきます。神の民が蹂躙される。それは神の不在を思わせる十分な出来事です。昔は確かに、神はおられた。けれど、今は、もう神はいない。そのように絶望しておかしくない。そういう場面なのです。
 けれど詩人は絶望の中で、尚も主なる神を頼って声を上げるのです。「神よ。なぜ、いつまで」この言葉の背景には、神の内には救いがある。神が立ち上がれば、誰も逆らうことはできない。神が心に留めてくだされば、御手を差し伸べてくださるなら、私たちのことを少しでも思い起こしてくだされば。そこにはたしかな勝利がある。どれだけ絶望の中に置かれようとも、尚、希望を失わない。という確信があるのです。
 目の前の過酷極まる迫害の中、見えない神を見上げて耐えるということは、愚かなことでしょうか。いえ、そのような現実の中でも、尚も希望を見出すことのできることの何と幸いでしょうか。私たちはどのような暗闇の中でも、どこにも出口のないそのようなときにも、尚も、天を見上げることのできるのです。もし、信仰がなければ、もし、神が死んだ神ならば、私たちは今日という日を耐えることはできないでしょう。絶望は絶望でしか無い。そこにはもはや何の希望もありません。けれど、私たちの信じる神は今日も生きて働かれる神です。世の中がどれだけ私たちの手足を縛っても、私たちの心を縛ることはできません。どれだけ状況が悪化しても、私たちの希望を奪い去ることはできません。主なる神は必ずやって来て、私たちを救い出して下さる方なのです。