Ⅰ列王記16:21-34 「主の目の前に」
今日の箇所は北イスラエルで第3王朝を開いたオムリとその子アハブについてが記されます。
オムリは北イスラエルの6番目の王で、第3王朝となるオムリ王朝の祖となります。第1王朝がヤロブアム、第2王朝がバアシャ、第3王朝がオムリという具合です。北イスラエルは謀反によって王朝が代わる代わるのが特徴で、血統ではなくて完全な実力主義による王国の形成でした。
バアシャの子エラがジムリの謀反によって討たれて、ジムリはイスラエル王を名乗ります。けれど、彼には人望がありません。すぐさま対抗馬としてイスラエル王に推薦されたのが将軍オムリでした。オムリはジムリを討ち、もう一人の対抗馬であるティブニをも破って、前885年に正式にイスラエルの6代目の王となります。彼の治世で最も大きな功績は、北イスラエルの首都をサマリヤとすることでした。サマリヤは、もともとは何もない100メートルほどの高さの丘で、彼はこの丘の上に町を建設し、これを首都としたのです。サマリヤは東西に長い台地で見通しがよく、戦略的にも恵まれた地で、西のツロやシドンとの交易にも近く、サマリヤは南のエルサレムに匹敵する大都市に発展していきます。そして何より、この台地の上に立つ町は、この後、幾度もの敵国による包囲にも持ちこたえたのです。
読んでわかるように、人望があり、先見の目を持ち、経済に明るく、戦にも強いオムリ。歴史的、政治的には大変優秀な人物であったと言わざるを得ません。実はこのオムリという人は聖書以外の記録に登場する最初のヘブル人君主でして、モアブの碑石にはオムリがモアブを攻め苦しめたことが刻まれています。またアッシリヤに残された記録にも北パレスチナの地域を「オムリ(フムリ)の地」と記されています。考古学的発見が聖書に記されるオムリの存在を証明し、如いては聖書そのものの歴史性を証明している。オムリという王の存在がどれほどの人物であったかが伺えしれます。
次に記されるのは、そのオムリの子アハブです。アハブはご承知のように、妻イザベルと共にバアルの神を国中に広め、これまで以上に偶像礼拝を蔓延させた王です。18章に記される預言者エリヤとの戦いは私たちもよく知るところです。これはイゼベルを妻に招いたによって、彼女の出身国シドンの宗教が入ってきたわけです。つまり、シドンの王エテバアルの娘イゼベルを妻に迎えるというのは、アハブがシドンとの関係強化のために行った政略結婚だったわけです。そしてその目論見どおり、地中海に面する貿易国家であったシドンの富が、イスラエルにもたらされたのです。
イスラエルの歴史を見ても、実はこのオムリ王朝は大変栄えた時代、強力な力を有した時代を築いたのです。国は富み、周辺諸国にも睨みを効かせ、首都サマリヤを中心に国として繁栄していった時代。けれど、この王たちの記録には、彼らの偉業を称えることをいたしません。なぜなら、この王たちの記録は、なぜ神の民の王国が滅びに至ってしまったのか、というこの一点を伝えるために記されているからです。
オムリは、ヤロブアムの罪を取り除くことは遂にいたしませんでした。25「オムリは【主】の目に悪であることを行い、彼以前のだれよりも悪いことをした。彼はネバテの子ヤロブアムのすべての道に歩み、イスラエルに罪を犯させ、彼らの空しい神々によってイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こした。」そのオムリよりもさらに主の目の前に悪を行ったのがアハブでした。31~33「彼にとっては、ネバテの子ヤロブアムの罪のうちを歩むことは軽いことであった。それどころか彼は、シドン人の王エテバアルの娘イゼベルを妻とし、行ってバアルに仕え、それを拝んだ。さらに彼は、サマリアに建てたバアルの神殿に、バアルのために祭壇を築いた。アハブはアシェラ像も造った。こうしてアハブは、彼以前の、イスラエルのすべての王たちにもまして、ますますイスラエルの神、【主】の怒りを引き起こすようなことを行った。」
聖書が問うのは、その人がどんな偉業を成したのか、どれほどの富をもたらしたのか、どれほどの称賛を得たか。ということではありません。主の目に、どのような者かが問われるのです。オムリもアハブもその時代の中では讃えられたことかもしれません。国は富、民は潤います。人々はオムリ様様、アハブ万歳であったでしょう。けれどそのために失ったものはあまりにも大きいのです。見えぬところで彼らは全能の神の信頼を失ったのです。私たちは主の目にどのように映っていることでしょうか。私たちは誰の称賛を追い求めているでしょうか。彼らのこの記録の裏で、民の滅びを嘆き、命を賭して声をあげた預言者たちがおりました。彼らは民の反発を受け、王の怒りを買いました。けれど主の目に正しい者であり、永遠の祝福に預かったことでした。私たちの信仰の歩みは、多くの人には理解されないかもしれません。この世のいわゆる成功とはかけ離れているかもしれない。華々しくないかもしれない。けれど、それこそが救いの道。十字架の道です。誰の評価でもない。主の目の前に、自らを吟味する者として今日を過ごしたいと思います。

ルカ1:5-25 「神の計画は最善」
綿密に調べ上げて順序立てて、ルカは何を書くかと言いますと、それはザカリヤとエリサベツという老夫婦に初めての子が与えられるというお告げです。ルカはイエス・キリストの福音を伝えるのに、イエス様ではなくて、ヨハネ。母マリアではなくて、エリサベツと言う不妊の女性の話から書き始めます。ルカはそれが必要だと判断したのです。なぜなんでしょうか。それは彼らの妊娠の出来事が、他でもないマリアにとって大きな意味を持っていたからです。
ザカリヤとエリサベツは生まれも育ちも由緒正しい祭司の家系です。そして神のみ前に正しく、戒めと定めを落ち度無く生活していた夫婦。まさしく非の打ち所の無い二人ですから、さぞかし主の祝福に満ちた夫婦生活であっただろうと想像します。しかし、続く記述はそのような予想に反して、彼らには子が与えられなかった。それはエリサベツが不妊の女であって、そして何より二人はもう年をとっていたからだと記されるのです。イスラエルにとって子が生まれるというのは=神からの祝福と考えられておりましたから、不妊というのは神の祝福が及んでいないと考えられていました。ですから、不妊の夫婦というのは、それだけで肩身の狭い思いをする社会でした。周囲からのプレッシャーも相当なものがあったでしょう。そんな中でも彼らは落ち度のない生活を過ごします。いや、そうせざるを得なかったんですね。何か一つ落ち度があれば、やっぱりあの家は祝福されていない。と全てを不妊と結び付けられます。子が与えられなかったザカリヤとエリサベツは、正しい人というよりも、正しい人でなければいられなかった。絶えず周囲の目に気を使い、あらゆることに対して慎重になりながら、長い年月を過ごさざるを得なかったのです。
18節で、ザカリヤは御使いに子が与えられると告げられたとき、「私はそのようなことを、何によって知ることができるでしょうか。この私は年寄りですし、妻ももう年をとっています。」と答えています。彼らは祭司家系ですから、他の者達よりも律法に通じておりました。彼らは90になる不妊の女サラにイサクが与えられた話も、マノアにサムソンが、ハンナにサムエルが与えられた話も、私たち以上に知っていたはずです。長年の祈りが人の考えを遥かに超えて実現する。彼らはその奇跡の実例を確かに知っておりました。しかし、それでも尚、年を重ねた身で子を願い続けることは難しい。しかし、これは決して彼らの不信仰ではありません。彼らにはわかりません。それは神のご計画でありました。
長い悲しみの末に、もう人の手には完全に不可能になって、子が授かる。ヨハネの誕生はそうでなければならなかったのです。なぜなら、常識では考えることのできない、信じられない奇跡だからこそ、マリアに勇気を与えることができたからです。
御使いの突然の御告げに驚いたのは、ザカリヤとエリサベツだけではありません。その半年後、エリサベツの親族であるマリアにも御使いがあらわれます。突然の御告げに驚きを隠せないマリア。まだ結婚もせず、男の人を知らない身でありながら、彼女は聖霊によって身籠ったと告げられます。しかも、その子は「いと高き方の子」、つまり預言された救い主だと言うのです。こんなあり得ない話があるでしょうか。しかし、老女エリサベツが子を授かったという奇跡が先に起こっていました。このことが、年若いマリアに、神のご計画を受け止める信仰と判断を与えたのです。もしもエリサベツがまだ若かったなら、マリアにとって何の力添えにもならなかったことでしょう。彼女がもう何人も子どもを産んでいる人だったら、何の不思議もありません。彼女が不妊の女だったからこそ、そのことに苦しみ、涙した日々をマリアが知っているからこそ、エリサベツの存在は神に全てを委ねる後押しとなったのです。彼らの悲しみの日々がマリアにとって必要だったのです。
つまり、ザカリヤとエリサベツの願いは、これ以上無いみこころの時に適えられたということです。
これまでの彼らの人生は、忍耐の人生でした。悲しみを抱えた人生でした。それは、自分たちの思い描く方法、自分たちの思い描く時、自分たちの願いどおりにならないことに対する悲しみでありました。しかし、それは神に聞かれていないということではありません。それは神の思い描く時ではないということです。私たちの祈りの生活も、時に忍耐を強いられ、時に歯痒い思いをするかもしれません。しかし、必ず神の最善の時が約束されているのです。

Ⅰ列王記13:1-10 「神と向き合うために」
ユダ(ベニヤミン)を除く部族に後押しされて王となったヤロブアムですが、困ったことに北の王国には神殿がありません。この時代の民は、神殿建設に直接関わった世代が多くおります。彼らは神殿を誇りとしていました。ですから、多くの北の民が、事ある毎に国境を超えて、エルサレム神殿を詣でるのです。ヤロブアムは民の流出を防ぐために、金の子牛を二つ造り、北イスラエルの南のベテルと北のダンに宮を設けて、祭司を任命し、そこで生贄を捧げることを始めました。極めて政治的に国家ぐるみの偶像礼拝が開始されたのです。
このヤロブアムの大罪に対して、ひとりの神の人(預言者)がユダからベテルに警告のメッセージを携えてやって来た。というのが、今日の場面です。「祭壇よ、祭壇よ、【主】はこう言われる。『見よ、一人の男の子がダビデの家に生まれる。その名はヨシヤ。彼は、おまえの上で香をたく高き所の祭司たちを、いけにえとしておまえの上に献げ、人の骨がおまえの上で焼かれる。』」神の人のこの預言は、後の時代、紀元前622に行われるヨシヤ王による宗教改革を預言しています。けれど、この時点において大事なのは、ヤロブアムの行為が主の怒りを買う出来事だとの指摘です。ヤロブアムが自分勝手に宮を設け、香をたき、生贄を献げることに対する警告として、その宮が取り除かれることの預言が語られるのです。もちろん、預言の意図は、ヤロブアムがこの愚かな罪を悔い、取り除くことです。けれど、ヤロブアムは聞く耳を持ちません。神の人の言葉を聞いて従うのではなく、逆に手を伸ばして「彼を捕らえよ」と命じます。すると、彼の手がたちまちしなびれて、戻すことが出来なくなったのです。もちろん、神の警告でした。ヤロブアムは慌てて神の人に執り成しを願い出ます。神の人は主に願い、ヤロブアムの手は元のとおりとなりました。するとヤロブアムは神の人を食卓に招き、贈り物をしたいと願い出ました。けれど、神の人はその申し出を丁重に断り帰っていくのです。なぜなら、あらかじめ【主】のことばによって、『パンを食べてはならない。水も飲んではならない。また、もと来た道を通って帰ってはならない』と命じられていたからでした。神の人は、王に従うよりも、神に従うことを良しとしたのでした。
この時、神の人は言いました。「たとえ、あなたの宮殿の半分を私に下さっても、私はあなたと一緒に参りません。」つまり、食卓に誘うというのは、ヤロブアムの配下となれという誘いだったわけです。自分に不都合な意見をする神の人を疎ましく思って捕らえようとしたヤロブアムが、手の平を返したように神の人を引き留めようとする。自分の手の内に置こうとする。それは、目に見える警告のしるしを体験し、神の人を身近に置くほうが得策だと考えたからです。敵対するよりも味方につけたほうが得だと打算した。けれど、そもそもの神の人の警告には決して耳を傾けようとはしないヤロブアムなのです。本当に神の人を味方に付けようとするのなら、食卓に誘うのではなくて、その声に聞き従うべきです。「あなたの言う通り、偶像礼拝を一切排除します。金の子牛も宮も取り壊します。その上で、これからも私を諌めて、導いてほしい。側にいて私を助けてくれないだろうか。」そういう申し出であるべきなのです。けれど、ヤロブアムは神の人を味方に付けたい。けれど、偶像は取り除かない。ダブルスタンダードであろうとしたのです。
ヤロブアムは根本的なところで間違いをしています。彼の罪を警告し裁かれるのは、神の人ではなくて、神なのです。神の人は、神によって警告を告げるべく遣わされた人に過ぎません。ですからヤロブアムが味方にすべきは他でもない神です。そしてそのためには、まず彼が罪を悔い改める必要があるのです。
私がまだ学生の頃の話です。日曜日に礼拝を休もうと母教会に連絡を入れました。「すみません。今度の日曜なんですが用事があって行けません。ほんとにごめんなさい。休んでもいいでしょうか。」すると牧師婦人が言いました。「それは私に許可を取ることではありません。神さまに伺ってください。」厳しい一言です。けれど、そうなのです。私たちは神の人に取り入るのではありません。神と向き合わなければ。そのために、為すべきことを為し、控えるべきを控える。自らをよくよく吟味することが大事なのです。

Ⅰコリント15:51-58 「終わりのラッパとともに」
人は死んだらどうなるのでしょうか。キリストが死から甦られたように、私たちもまた甦る。聖書はそう約束しています。しかしただ蘇るのではありません。それは「死者は朽ちないものによみがえり」とパウロは言います。私たちの今あるからだに戻るということではなくて、栄光のからだとして、終わりのラッパとともに永遠のいのちにかえられるのだと言っています。
私たちにとって、からだとはやがて朽ちていくものです。ある年代をピークに、人は誰でも老いというものを感じるようになっていきます。細かな作業ができない。物覚えが悪くなる。息切れが激しい。病気にかかりやすくなる。その症状は様々ですが、今まで出来ていたことができなくなって行くことの焦りや不安というものは、それは大きなものではないでしょうか。私たちの死に対する恐怖とは、死そのものに対する恐れはもちろんのこと、その死に至るまでの過程にも、不安を感じる者なのです。
人で有る身なら誰もが受け入れなければならない、しかし、決して受け入れがたい肉体の衰え。滅び。死。しかし、新しくされる私たちのからだは決して朽ちることのないからだであると聖書は語ります。だからこそ、よみがえりは希望となり得るわけです。よみがえって、尚も、衰えていく体であれば、それは希望ではありません。尚も、病に伏せるのであれば、それは、苦しみの延長でしかありません。本当に死の恐怖を味わった者にとって、復活が単なる人生のやり直し程度のものであるとすれば、それはいったい何の希望だと言うのでしょうか。ですから、私は輪廻という考え方には何ら希望を見出すことができません。そこには根本的な死への勝利がありません。何度繰り返しても、やがては訪れる死への恐怖を延々と味わい続けなければなりません。死に対する勝利が必要です。朽ちないからだとされることが大事です。そしてまさに聖書はそのことを約束しているのです。黙示録21章に次のようにあります。「もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」先に召されたお一人お一人が今はそのような者とされている。そして私たちもまた悲しみも叫びも苦しみもない者とされる。何かに怯えるような毎日ではなくて、心からの神への讃美に溢れるのです。いかがでしょうか。天での再会とは、それはそれは晴れ晴れとしたものではないでしょうか。
さて、もう一つ、今日の箇所には「私たちはみな眠るわけではありませんが、みな変えられます。」とあります。ここでは「死ぬ」ことを「眠る」と表現しています。イエス様がそうだったように、蘇ることが約束されている死、それはまるで眠っているようだと言うのです。ですから「みな眠るわけではありませんが」というのは、ある者たちは先に死んで眠っており、ある者たちは死ぬことなく、その時を迎える。そしてその時には皆が変えられる。つまり、キリストの再臨を意識しての表現なわけです。復活の信仰と、この再臨信仰というのは切っても切れないものでして、その時は今、この瞬間にも起こりうる出来事だという理解のもとで、私たちは復活を考えなければなりません。ですから、自分の好きなように生きて、歳を重ねてからイエス様を信じますというのではまずいのです。今日やるべきことを先延ばしにして、いつかやりますではいけないのです。いつ来るかわからないその時を、私たちは今起きても構わないという覚悟の中で迎えなければなりません。
私たちは自らに問わなければなりません。今日、主の前に恥じぬ一日を過ごしているだろうか、とです。10年後、1年後、1か月後、いえ、明日のことすらわからない私たちです。見えない先を思えば不安ばかり。コロナ過の中、心配は決して尽きません。けれど、それは今日をいい加減に生きる理由にはなりません。今日という日に与えられている恵みを見ずにして、先の不安だけに心を囚われていてはなりません。空の鳥は種まきをせずとも、養われました。野の花は着飾ることがなくとも、美しさを誇ります。イエス様は言われました。「ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。」(マタイ6:34)今日という日を精一杯に生きよ、という主のお言葉です。今日の恵みを見失うな、ということです。
パウロは最後に言います。「ですから、私の愛する兄弟たち。堅く立って、動かされることなく、いつも主のわざに励みなさい。あなたがたは、自分たちの労苦が主にあって無駄でないことを知っているのですから。」私たちの日々の労苦は決して無駄ではありません。それは終わりにつながるものではなく、永遠に繋がるものだからです。

Ⅰ列王記8:54-66 「今日のように」
奉献式での祈りを終えて、ソロモンは民に向き、民を祝福いたします。主が共にいて私たちを見捨てませんように。私たちの心を主に向け、おきてと定めを守るようにさせてくださいますように。イスラエルの言い分を正しく聞き入れてくださいますように。ソロモンの願いの主体はあくまでも主です。彼の願いをよく見れば、それはけして主に強要することはなく、願いの一つ一つに答えることも答えないことも主のお心次第。主に委ねきっていることがわかります。イエス様の祈りもそうでした。「あなたのみこころの通りにしてください。」祈りとは神を強要することではありません。神に私を告白することです。神のみこころに私を委ねることです。
その一方で民に対しては、「あなたがたは、今日のように、私たちの神、【主】と心を一つにし、主の掟に歩み、主の命令を守らなければならないのです。」と教えます。民は今喜びの絶頂にいます。何年もかけて用意した神殿が完成し、その出来は誰もが目を見張るほどだったのです。彼らはこの神殿の建設に携われたことを誇りに思い、今、この奉献式にかつてない神との結びつきを感じているところです。けれど、その感動はいつまでも続く類のものではありません。この奉献式が解散されれば、民はそれぞれの家へと帰ってまいります。料理を用意し、子どもたちを寝かしつけ、またいつもの日常が始まります。喧嘩もすれ違いも妬みも気遣いも、色んな日々の雑踏の中に紛れ込んできます。今日のこの感動を、この決意を、いつまでも持ち続けることは何と難しいことでしょうか。
私たちは初めの感動を忘れやすいものです。教会生活が長くなるほど、聖書の知識も増しますし、奉仕も熟れてきます。教会生活は当たり前の日常となっていく。けれど、それは単なる私たちの成長と言って良いでしょうか。むしろ気を引き締めなければなりません。私たちの経験や慣れが、私たちの感動や恐れを奪っていくことがあるからです。
皆さんはご自身の受洗日がいつかすぐに思い浮かびますでしょうか。そのときに語られた聖書の箇所は、タイトルは、何だったか覚えておられるでしょうか。バプテスマを受け、祝福を受けながら、心に決めたそのことはなんだったでしょうか。意外と思い出せないのではないでしょうか。「今日のように」と言いますが、これはそんなに簡単なことではありません。初めの感動や初めの決心、私たちの内にある思いは時とともに忘れされ薄れていくこともあるでしょう。日常の中の様々な心配事に心が追われ、感謝や感動になかなか目が行かないことも多々あるでしょう。それが私たちの現実です。ですから、「今日のように」を言い換えましょう。「初めの愛から離れない。」私たちの決意や感動に立つのではありません。初めの愛に立つのです。主イエスの愛に。永遠に変わるところのない神の愛に。私たちの土台を据えるのです。日常の中で喜びや感動や感謝を失った時、私たちがすべきは、その現実を無理矢理に感謝することではありません。私たちは初めの愛に戻るべきなのです。

ルカ1:1-4 「私たちの間で成し遂げられた事柄」
ルカの福音書はルカによって書かれた福音書です。著者の記載はありませんが、続編である使徒の働きの中で、パウロの旅に著者が同行するときにだけ「私たち」という代名詞が使われることから、その時のパウロの同行者を割り出していくと、ルカが有力であろうという話です。また、初代教父たちがこぞってこの福音書の著者はルカだと証言しています。彼らはルカと重なる世代です。実際に面識があった者もいたことでしょう。彼らの証言こそ、この著者がルカである証拠です。
パウロ書簡にはルカの名前が3度出て来ます。どれも手紙の末尾、挨拶の欄に名前が並びます。まずは、ピレモン1:24「私の同労者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカがよろしくと言っています。」次に、コロサイ4:14「愛する医者のルカ、それにデマスが、あなたがたによろしくと言っています。」この2つの書簡は、紀元61年から63年までのローマの獄中で記されたものです。3度目はテモテへの手紙第二です。この手紙が書かれたのは同じ獄中でも先の二つの書簡が書かれた時のシチュエーションとは全く違います。パウロはこの後、皇帝による裁判を受けて釈放されますが、その後、西方(イスパニア)での伝道を行い、その後再び捕らえられて投獄されます。テモテへの手紙第二はその時に書かれたものです。先の獄中は皇帝の裁判を待つための幽閉でした。ローマ法を犯す罪状があるわけでもなく、裁判を受ければ釈放されるという確信がありました。希望がありました。けれど、テモテへの手紙が書かれた状況は違います。そこには、病を経験し、体力の限界を知り、自らの死を受け入れるパウロの弱さを知る姿が記されています。4:10-11には次のようにあります。「デマスは今の世を愛し、私を見捨ててテサロニケに行ってしまいました。また、クレスケンスはガラテヤに、テトスはダルマティアに行きました。ルカだけが私とともにいます。マルコを伴って、一緒に来てください。彼は私の務めのために役に立つからです。」ルカだけが私とともにいます。という言葉に、パウロが如何にルカによって支えられていたかが伝わってきます。それは医者であるルカが側にいてくれるという肉体的安心もあったでしょうが、それ以上に様々な労苦を共にしても尚、側にいてくれるルカの存在がパウロの心を支え続けたのです。
このことはルカがパウロを通してその信仰と知識を培い、引き継いだということも意味しています。パウロ自身による説教を一番身近に聞き、パウロの側で生前のペテロやマルコ・ヨハネたちとも親交があったことでした。ですからパウロの教えを最も正確に受け継いだのはテモテでもテトスでもなく、このルカだったのではないでしょうか。
このルカが今、イエス・キリストの福音を記します。テオフィロのために。この人の救いのために。時間を掛け、知恵をしぼり、綿密に調べ上げ、祈りを持ってこの書を記します。言葉一つ、表現一つにルカの心遣いが浮かび上がってくるのです。
4節に「すでにお受けになった教えが確かであることを、あなたによく分かっていただきたいと思います。」とありますから、この手紙を受け取ったテオフィロという人物は、すでにこの教えを耳にしていることがわかります。けれど、まだ確信に至っていない。そこでルカはテオフィロに何を伝えれば良いか、考えた末に、イエス様その人を伝えようと筆を執るのです。テオフィロはまだ信仰の確信にまで至っていません。なぜなら彼が受けたのは、パウロに代表される救いについての教理的な教えでした。彼はまだイエス様を知らずにいたのです。救いの枠組みは知っています。メカニズムは理解できます。けれど、救いそのものであるところのイエス様を知らなかった。だから確信できないのです。たくさんの料理本を見て味を想像するけれども、実物を食べたことがないので本当のところがわからないというようなものです。パウロの伝えたのはキリスト教だったのではありません。教えはあくまでも救いの理解を助ける道具です。パウロはイエス様を伝えた。そのことは使徒の働きを見れば一目瞭然です。パウロの数々の手紙だけを読めば、パウロ教とも言われかねない教理の数々。けれど、パウロの教えの中心にあるのはやはりイエス様なのです。
「私たちの間で成し遂げられた事柄について」とあります。「私たちの間で」という言葉にルカの告白があります。先ほども言いましたように、ルカはイエス様と直接会ったことはありません。ルカはイエス様のことを伝え聞いただけです。けれど彼の内に救いは成し遂げられたのです。ですから、この「私たち」には現代に生きる私たちも含まれています。これから記されるところは、ルカの内に成し遂げられ、私たちの間でも成し遂げられた救いの出来事なのです。
ハイデルベルク信仰問答を1年間学びまして、私たちは救いの枠組みを知ったことかと思います。聖書を読み解く物差しを持ちました。けれど、救いはそこにはありません。救いはイエス・キリストその人です。私たちはこれよりルカの福音書を共に学びながら、今一度、救いそのものであられるイエス様を知り、イエス様と出会う経験をいたしましょう。

Ⅰ列王記6:1-13 「神の国の職人たれ」
ソロモンによる神殿の建設の様子が記されています。それは父ダビデの悲願の神殿でした。ダビデは神のために神殿を建設したいと願うも神からの許可は下りませんでした。彼がこれまで血を流しすぎたからです。神殿は息子ソロモンが建てる。それが神の回答であありました。そこで、ダビデは神殿の土地を用意し、その莫大な材料を用意して息子に思いを託すのでした。そして、その父の思いを引き継いで、ここにソロモンは神殿建設の大事業を完成させたのです。
7節に「神殿は建てるとき、石切り場で完全に仕上げられた石で建てられたので、工事中、槌や、斧、その他、鉄の道具の音は、一切神殿の中では聞かれなかった。」とあります。別の場所で仕上げられた石なので、道具の音は一切神殿の中で聞かれなかった。というのは、すっと読み飛ばしてしまうかもしれませんが、とても驚くべきことです。現代でこそ、建築材料は作業場で加工して現場で組み立てるという工程は当然のこととなっていますが、それにしても道具の音が一切聞かれないということはあり得ません。当時の神殿建設は石を積み重ね、木材で覆って造られたわけですが、それら一切が釘一つ使われることなく静かに組み立てられていくというのはもはや奇跡です。どれほど繊細で緻密な下準備が成されていたかが窺い知れます。これを可能にするには綿密な設計図が必要です。実は14節以降からは、より具体的な神殿の細部の装飾に至るまでの建築の様子が記されていますが、それらも同様です。各種の材料が造られて、運ばれ、組み立てられます。現代でこそPCで正確に製図し、それをロボットが狂いなく形作ることができますが、当時はもちろん手作業です。しかも実際に組み立てて現場で微調整をするのではありません。あくまでも材料として用意し、それを現場で組み立てるときには「完全に仕上げられた石」なのです。如何に一人ひとりの職人が妥協することなく忠実に自らの職務をこなしたことかと唸らされるところです。彼らの仕事に手抜きは一切ありません。彼らは自分たちの仕事に誇りを持っておりました。彼らは神の住まいを建設するという目的意識を共有していました。切り出した石にゆがみは無いか。木材にねじれは無いか。ミリ単位の調整をそれぞれが行いながら、設計図の通りに磨き上げて行く。そうして最善のものが運び込まれ、組み立てられて、神の神殿は建設されるのでした。
実はこれは現代の宮である教会でも同じことが言えます。一人ひとりが神の住まいを建設するという目的意識を持って、それぞれの賜物に応じて忠実に奉仕することが、如いては神の宮を完成させる一端を担うのです。私たちは設計士になる必要はありません。設計士は他におられます。私たちはそれぞれの職人であるべきです。他人の奉仕と比べる必要は無いし、ましてやケチ付ける必要もありません。賜物も使命も違うのですから、比べても仕方ありません。石職人に金細工はできないし、音楽隊に武器を持たせる必要もありません。与えられた使命に忠実であれば良いのです。お花を活け、看板を書き、楽器を演奏し、御言葉を語る。どれもが教会を築く大切な奉仕です。誰もが賜物を用いて教会の一端を担っています。完全に仕上げられた石はぴったりと組み合わされ、そこには完全な調和が生まれるのでした。
とは言っても、今はそれがかないません。奉仕しないで。教会に来ないで。と言うときがまさか来るとは想像もしなかったことです。けれど現状を嘆いても仕方がありません。今できることを淡々と。職人が必要なのは神の宮だけではありません。神の国も同じです。神の国の建設には、やはり一人ひとりの職人が求められています。賜物に応じて、それぞれの留まるところにおいて、私たちはキリストの名に恥じぬように過ごす。神の権威を認めて従う、そのところこそが神の国です。私たちが神の国の建設者として、神の権威にへりくだり、与えられた賜物を用いて隣人に仕えていく。そのように率先して過ごすものでありたいと思います。

詩篇115:1、Ⅱコリント1:20 「神の約束は全て然り」
第128問
【問】あなたはこの祈りを、どのように結びますか。
【答】「国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり」というようにです。すなわち、わたしたちがこれらすべてのことをあなたに願うのは、あなたこそわたしたちの王、またすべてのことに力ある方として、すべての良きものをわたしたちに与えようと欲し、またそれがおできになるからであり、そうして、わたしたちではなく、あなたの聖なる御名が、永遠に讃美されるためなのです。
第129問
【問】「アーメン」という言葉は、何を意味していますか。
【答】「アーメン」とは、それが真実であり確実である、ということです。なぜなら、これらのことを神に願い求めていると、わたしが心のなかで感じているよりもはるかに確実に、わたしの祈りはこの方に聞かれているからです。
主の祈りの最後は頌栄で結ばれます。「国とちからと栄えとは、限りなくなんじのものなればなり。」ところが、イエス様が主の祈りを教えられたときにはこの部分はありませんでした。けれど世々の教会は祈りの終わりに頌栄を加えて祈るようになりました。それはこの頌栄が祈りの行き着くところ。祈る者の自然な応答を表しているからです。
「日毎の糧を与えてください。私たちの負い目をお赦しください。こころみにあわせず、悪より救い出してください。」それはその前提として、神は私たちの一切の必要を備えてくださるお方であり、神は罪を罰し、また赦す権威を持たれるお方であり、神は悪魔をもひれ伏させる権威あるお方である。という信頼をもとにして祈るのです。逆に言いますと、それ以外は何もいりません。私たちの祈りが聞かれる根拠は私たちの祈りの流暢さにあるのではありません。祈りに掛けた時間でも祈りの質ですらもない。ただ、この祈りを聞かれるお方が、全てを統べ治めておられる国と力と栄えのまことの権威者。王の王たるお方だということにあるのです。
さて、主の祈りの最後。いえ、全ての祈りの結び。それは「アーメン」です。アーメンというのはヘブル語で「本当に」とか「確実に」という意味の言葉です。今祈りましたことは全て私のまごころからの祈りです。という告白の「アーメン」。しかし、それだけではありません。さきほどの頌栄でも見たように、私のこの祈りが本当であり確実なのは、この祈りを聞いておられるのが他ならぬ全能の神であるからです。私が真実なる祈りをささげましたという以上に、真実なる神によって聞かれているということに、この祈りの確かさがある。今祈りました祈りの全ては主にあって本当となります。実は私たちは祈る度にこの「アーメン」という言葉を持って信仰告白をしているのです。
もちろんこれは主の祈りだけに当てはまることではありません。全ての祈りの最後がこのアーメンで締められているのは、祈りが私たちの内の真実に拠らないことを意味しています。私たちの内に真実はありません。本来なら聖なる神に祈ることすらおこがましい存在であるのが私たちです。ですから、私たちは祈るとき、これを執り成して下さった方のお名前によって祈るのです。私たちは祈ることすらも許されない者。しかし、私たちの代わりに私たちを執り成して下さった方がおられる。ご自身の命を差し出して私たちの負債を肩代わりして下さった方がおられる。それが神のひとり子イエス・キリストです。
「イエス・キリストのお名前によってお祈りします。」と私たちは祈ります。この方の名前を出すことは、負債が支払われたときの領収書を出すようなものです。もう私たちには負債は支払い済みですから、どうぞ今あなたの御前に祈ることをお赦しください。という意味なのです。主の祈りではイエス様のお名前で祈るようにとは言われていません。当然です。主の祈りは主ご自身の祈りなのですから、あえてそのような祈りをする必要がなかったのです。けれど私たちは違います。私たちはイエス様の名を出さなければならないのです。主の執り成しがあるゆえに、私たちは祈ることができるのです。そして、これを聞いて下さるのが他ならぬ神様であるゆえに祈ることができるのです。私たちの何かに依存しない祈りの確実さ。これが私たちの祈りを可能にしているのです。
ですから私たちは祈るたびに思い返したいものです。この祈りを可能にしているイエス・キリストの尊い犠牲があることを。そして、これを聞いて下さる方は何にも変えられない真実なお方であること。そうすれば私たちは祈るたびに謙遜にされ、感謝を増し加えることとなるのです。
十戒と主の祈りはこの神に感謝すべき私たちの今を整え導くものです。たかがアーメン一つに私たちは主の贖いと神の愛を見ることができるのです。情報も価値観も正義すらもが氾濫する時代です。都合の悪い基準は根本から変えてしまおうというのが、今の世の中です。しかし、それは結局長いものに巻かれる生き方。多数に紛れることを良しとする忖度の生き方。そのような生き方に真の平安はありません。私たちは変わらないものに目を向けて、この時代の波を乗り越えて行かなければなりません。十戒という普遍的な基準を胸に、今日も主の祈りに支えられながら、変わるところのない十字架と復活の恵みに目を留めて歩んでまいりましょう。
※尚、当ブログのハイデルベルク信仰問答は吉田隆訳を用いた。
