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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/06/07 ヘブル11:8-12 「どこに行くのかを知らないで」

ヘブル11:8-12 「どこに行くのかを知らないで」

 ヘブル書はアブラハムの召しの場面を取り上げます。ここから神の召しに対する彼の応答の様子に学ぶとするなら、比較対象として、彼の父テラを見るのがわかりやすいのではないでしょうか。
 テラにはウルを離れる理由は一つもありませんでした。テラはウルの町で他の神々に仕えておりました。月の神です。もう歳もとっておりました。今更生活を変えるなど考えてもいなかったでしょう。土地を離れるということは、これまで築いてきた人間関係や、仕事の実績、家や家財、あらゆるものを捨てて出て行くということです。そんなリスクを負ってまで、テラは住み慣れた地を離れて旅に出ることにします。それほど息子アブラムの説得に鬼気迫るものがあったか。確信に満ちていたのかということです。テラはこの息子の疑いのない信仰に、残りの人生を委ねようと思ったのです。
 しかし、いざ旅にでますと、そこは現実。不自由なことばかりです。費用はかさみますし、老いた体に長旅はこたえます。何よりも辛いのは、この旅はゴールのわからない旅だと言うことです。どこに行くのかを知らないで、出ていく・・・これこそアブラハムの信仰の真骨頂でありますけれども、しかし、それに付き合うテラにとっては、これは不安の極みであったでしょう。旅を続けるほどに体は悲鳴を上げるのです。いつまで旅が続くかは息子すら知らないのです。アブラムに聞いても、「大丈夫大丈夫。私の信じる神が約束したんですから、心配しないで先に進みましょう。」そんな返事しか無かったのです。息子についてきたのは間違いじゃなかったのか。ウルに居続ければよかったんじゃないか。恐らくは何度も何度も後悔したでしょう。そしてとうとうカランの町に立ち寄った時のことです。テラはそれ以上の旅を拒んで、カランに住み着いてしまうのです。カランの町はウルと同じく月の神礼拝が盛んな町でした。そこは慣れ親しんだウルとよく似た雰囲気を持っていました。だからでしょうか。彼の心は遂に折れてしまったのです。彼はこの町で生涯を閉じることとなりました。
 結果を見れば。テラは旅半ばに脱落しました。なぜでしょう。望郷の思いでしょうか。年齢からくる不安でしょうか。それももちろんですが、そもそもの間違いは、彼が自分の信仰によって立ったのではなかったということでしょう。彼が主なる神の声に従ったのは、全て息子の信仰によるものです。息子が言うから付き合った。つまり彼は、他人を通して、主に従おうとした。彼は神を信じたのではなく、彼の息子を信じたのです。だから町を出ました。そもそものボタンの掛け間違いは、彼の信仰が他人任せ、他人を通してのものであったということにあるのです。しかし、そこにはやはり無理がある。決断に自分で責任を取れない者は、順風な時は問題ありませんが、ひとたび逆風になると途端に耐えることができなくなるのです。
 アブラハムは違います。彼はどのような時もブレません。何故でしょうか。それは彼の心が定まっていたからです。彼は最初から神に従うことに心を定めていた。心を定めた者の強さは、私たちも知る所でしょう。たとえば将来の夢が定まっている者は、それに向かって一直線に突き進むことが出来るというものです。自分が本気で信じたものは誰に何を言われようとも特別です。これは信仰にも言えることで、確信を持って信仰を決断するとき、私たちはもはやこれが本当かと悩むことは無くなります。なぜならこの確信は、私が信仰の確かさにではなく、私の信仰を導かれる全能の神への確信だからです。

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