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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170108 ヘブル13:7-17 「信仰の先達者たちにならって」

ヘブル13:7-17 「信仰の先達者たちにならって」

 へブル人への手紙はユダヤ教に引き戻そうとする人々の迫害に遭い、心揺れ動いている、そんなクリスチャンに宛てられた手紙です。彼らには常に心を迷わせる誘惑がありました。それは再び幕屋で仕える者になるという誘惑、つまりユダヤ人の社会に復帰するという誘惑です。ユダヤ人でありながらキリスト者となった彼らは、イエスさまを救い主と信じることについては確信に至っても、ユダヤ人社会から出るということに関しては躊躇するのです。
 こういう感覚はよくわかる気がします。個人的にはイエス様を信じても、地域や家族の目が合って信仰に入れないということがあるからです。特に地方に行きますと、こういうことは少なくありません。と言いますのも、地方では、住む町、住む村がまるごと神社やお寺の檀家となっている場合が結構あります。そのような中で、クリスチャンになるということは、ある意味、その社会から離脱することだからです。人と人との関係が希薄な都会なら、問題にならないかもしれません。けれど、村の殆どが親族郎党というような田舎にあっては、一人異なる信仰を持つことがいったいどれほどのプレッシャーでありましょうか。いえいえ、たとえ都会であろうとも、家族であるとか、クラスであるとか、職場であるとか、私たちが普段過ごす社会の中で一人信仰を持つということに、躊躇するのは当然のことであります。
 私たちは宿営の中に留まりたい。けれど、イエス様は門の外で苦しみを受けられたのだとへブル書は語るのです。伝統や文化、古い教えに留まることはある意味安心です。井の中にある蛙は平和かもしれません。けれど、井戸の水が無くなれば、蛙は干からびるしかありません。まだ見ぬ大海は不安ですけれども、イエス様と共にあること、神の御声に従って踏み出すことが大事なのです。
 指導者たちのことを思い出しなさい。とあります。そして、その生活の結末をよく見て、その信仰にならいなさいともです。信仰は単なる儀式や知識ではありません。神に従うことに、様々な喜びも困難も経験しながら、それでも尚、神の御心の内に生きる。それが信仰の歩みです。私たちはアブラハムやモーセの神話化された成功譚ではなくて、そういった葛藤や挫折を織り交ぜたところの等身大の生き様にならうのです。ノアは神のことばを信じて、馬鹿げた箱舟造りに着手しました。アブラハムはまだ見ぬ祝福を求めて、行先も知らぬ旅に出ました。モーセは神の使命に従って王族としてのいっさいの生活を捨てました。それは日常の変化を伴います。新しいことには困難が付き物です。けれど、大事なのは「結末をよく見る」ことなのです。
 アブラハムやモーセの生き方にならえと言われれば、私たちは正直、躊躇するかもしれません。私たちは思います。「あんな波瀾万丈の人生は私の願うところではない」とです。けれど、私たちは彼らの結末をよく見なければなりません。彼らはその信仰のゆえに、約束のものを得たのです。ここが大事です。結末を抜きにして、今だけを見ているわけにはいきません。肝心なものを失ってしまうことになり兼ねないのです。

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