FC2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

170115 ヘブル13:18-19 「兄弟の祈りに支えられて」

ヘブル13:18-19 「兄弟の祈りに支えられて」

 今日のところで著者は、私たちのために祈ってください。と繰り返し依頼しています。ヘブル書は著者が確定した書ではありませんが、ここらへんの記述はとてもパウロ的です。ローマ書やエペソ書、テサロニケの手紙などにも同様の祈りの要請があります。迫害や牢獄、難破や漂流、様々な困難を経験したパウロや、このへブル書の著者が、それでも最後まで福音宣教に従事したその秘訣はどこにあるのか。それがこの兄弟たちのとりなしの祈りでした。
 祈りの重要性については、皆さんもよく聞くところではないでしょうか。祈りとは神との対話であり、対話無くして関係を築くことはできません。パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。」(Ⅰテサロニケ5:16-18)と言っています。神を賛美し、神の御心を願い、神にとりなしの祈りをする。私たちはその大事さを重々承知しているのです。にもかかわらず、信仰生活においては、時に祈れないということが少なくありません。
 例えば、祈っても祈っても聞かれないとき、私たちはそれ以上祈ることができなくなってしまいます。降り掛かった試練があまりにも大きくて、苦しくて、祈れない。祈りたくない。ということもあります。また、こんな自分勝手な祈りは、とても神さまに聞かせられない。ということもあるかもしれません。このことはたとえ神様であってもどうしようもない、と諦めてしまうこともあるでしょう。ともかく、私たちは時に、祈りたくても祈れない。祈りたくない。ということがある。そして、どう祈ったら良いのかわからない。ということがあるのです。
 そんな時です。私のために祈ってくれる友の祈りというものが、どれほどの慰めであり、励ましでありましょうか。
 中には祈られることに抵抗を感じる方がおられるかもしれません。それは、自分の弱さを相手にさらけ出すことだからです。社会にあっては、それは時に致命傷だったりもします。弱さは付け込まれ、脅しの種になる。だから必死に強がって、弱い素振りは見せられません。けれど教会までそうである必要はありません。私たちは、父なる神の前に何の誇るところのない罪人であることを共有した兄弟姉妹だからです。
 祈ることは信仰生活の土台です。同時に祈られることは信仰生活の砦です。私たちはもっと積極的に祈られるべきではないでしょうか。それはすなわち、目の前の兄弟姉妹をもっと信頼すべきということです。自分が一人で立っていると思うのは間違いです。私の弱さに同情し、とりなしてくれるのが兄弟姉妹です。実は今も、私たちは兄弟姉妹の祈りの中で支えられているのです。

コメント

非公開コメント