FC2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

170212 ヨハネ9:1-5 「神のわざが現れるため」

ヨハネ9:1-5 「神のわざが現れるため」

 私たちは病気にせよ、悲惨にせよ、何か不幸があるときに、それに見合った理由を見つけようと必死になることはないでしょうか。なぜ、このようなことが起こるのか。それに対して、こういう理由なら仕方ない。と諦めるための納得の行く理由を探すのです。こんな罪を犯した。こんな失敗をした。だから今このような結果に陥っているのは仕方ない。そのような理由を探して、ようやくこの不幸を受け止める。納得しようといたします。
 でも、生まれつきの不幸の場合どうするのでしょうか。それは本人の罪や行いに見ることができません。ですから、これは先祖の罪の結果である。だから仕方が無い。とこういう風に納得をさせようとするのです。実はこういう考え方は珍しくありません。家族に何か不幸があったとします。すると、先祖の供養をしてないからでしょ。と、こういう話になる。あるいは風水が悪いだとか。前世がひどかったからだとか。新興宗教や霊感詐欺と呼ばれるものは大抵がこのようなものです。本人には確認のしようのないことに、なぜ人は飛びつくのでしょうか。それは多くの人は現状に理由を求めるからです。理由をつけないと現状に耐えられないのです。
 私たちは不幸の理由を過去に見出そうといたします。けれどイエス様は違います。イエス様は未来に理由を見られます。「この人が罪を犯したのでもなく、両親でもありません。神のわざがこの人に現われるためです。」過去ではない。未来のために、今のこのこと、この時がある。これがイエス様の今の捉え方だと言うのです。今、辛いことがある。不幸がある。しかし、神のご計画はこれをも用いて働かれる。後に振り返るとき、このことが御心であることを知る。これがイエス様の人生についての、ものの捉え方です。
たとえば、この盲人が、イエス様と出会い癒されていきます。彼も彼をとりまく多くの人も、彼の現状を憂い、彼の過去に問題があると考えました。このことは何かの罰なのだとです。しかし彼が盲人であるがゆえに経験した、このイエス様による奇跡。このことが、これから後2000年もの年月の間、人々を励まし続け、主イエスを証し続けることになると誰が想像できたことでしょう。ただ神はそれをご計画しておられました。
 昨年の春に宣教区の青年会主催で星野富弘美術館に行きました。富弘さんの詩は絵葉書でよく見かけますが、実際に画かれた詩画は、さらに心に迫ってくるような気がいたしました。念願の中学校の体育教師となった富弘さんが、そのわずか2か月後、クラブ活動の指導中に、頸髄(けいずい)を損傷する大事故を起こしました。何とか一命をとりとめたものの、手足の自由を完全に失いました。24歳のことでした。手足が動かなくなったとき、どれほどの絶望だったでしょうか。きっと全てを呪ったことでしょう。恨んだことでしょう。過去の自分を振り返っては後悔ばかりしたことでしょう。なんで、体育教師なんかになったのか。なんで、子供たちの前で見本をしたのか。なんで、なんで、なんで・・・。けれど、神様は富弘さんの過去ではなくて未来を見ておられました。何でもできると突っ張っていた富弘さんは、食事もトイレもお風呂も、自分一人ではできません。誰かに支えられて、助けられて、生きる中で、本来の自分はただ神の憐れみの中に生かされている存在であることに気付いていくのです。雑草一本、小さな虫の一つにある生命を心から尊び、感動する富弘さん。事故があったとき、誰が富弘さんのこのような未来を思い描いたことでしょう。神様だけが知っておられました。神様は彼のこの痛み、苦難をも用いてくださったのです。
 私たちは思います。なんで私はこんな目に遭わなきゃいけないのか。いったい、何がいけなかったのか。けれど、過去を振り返るだけでは、そこには希望はありません。取り返しのつかない絶望と、あらゆる者に対する怒りだけが蘇ってきます。しかし、この試練の先にある未来に、神のご計画があるということを見るとき、私たちは今のこの時に意味を見出すことができる。困難が希望へと変えられるのです。

コメント

非公開コメント