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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/04/05 Ⅰペテロ2:22-25 「なぜ十字架に」 イースター礼拝

Ⅰペテロ2:22-25 「なぜ十字架に」

 イースターはイエス様の復活をお祝いする日です。けれども復活は、その前に死んでいるということが前提の話です。先ほどの劇は、イエス様が十字架にかけられる直前の場面と、ペテロの回想によるイエス様を演じたものでした。人々を癒やし、養い、教え導くイエス様。振り返って思うイエス様には何の罪もありません。なのにイエス様は十字架に架けられるのです。一体なぜでしょうか。それは人々の妬みと恨みが原因でした。イエス様が人々の称賛を奪ったので、それをうらやんだ人たちがイエス様を殺してしまおうと企てたのです。何ともひどい話です。しかしです。このイエス様を殺すいう企て自体が、実は実は神様のご計画だったと聖書は語るのです。
 ペテロの手紙第一の2:22-25には「私たちの罪をその身に負われました。」とあります。それは私たちの身代わりとなるためということです。そして、「それは、私たちが罪を離れ、義のために生きるためです。」ともあります。つまり、イエス様を身代わりの犠牲とすることで、私たちの罪を赦すためだと言うのです。私たちは罪人です。そして罪を持つ者は全て、神よって罰せられなければなりません。聖書に「罪から来る報酬は死です」とある通りです。では罪とは何でしょうか。それは一言で言うと自分勝手です。神さまに従うよりも、自分の思うままに生きる。神よりも自分を優先する。そういう私たちの有り様のことを罪といいます。神によって命与えられた者が、神を捨てて、自分勝手に振る舞うのです。なんと恩知らずでしょうか。神さまはそのような者を罰せられるのです。しかし、イエス様は、私たちが滅びる代わりに、ご自身が犠牲となって罪の罰を受けてくださいました。それゆえ、このイエス様を救い主と信じる者は、イエス様という尊い犠牲の故に罪赦されているのです。
 大事なのは、罪の身代わりは、罪のない者でなければ務まらないということです。「罪から来る報酬は死です」とありますから、罪による罰は命によって受ける必要があります。しかし、もし用意された身代わり自身が罪ある身であれば、それは身代わりとはなれません。それは自分の罪の罰を、受けるに過ぎないからです。生け贄となる資格は、その人が霊的に健康であること。すなわち罪が無い者でなければなりません。だから、イエス様なのです。神が人となって来られたのがイエス様です。この方は人でありながら、神である方です。だからこの方は唯一神の目に適う正しいお方。自分のためではなく、他の人の身代わりとして死ぬことの出来るお方なのです。

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