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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170402 出エジプト20:4-6 「偶像を退け」

出エジプト20:4-6 「偶像を退け」

 今日の箇所は第2戒、偶像礼拝の禁止です。一見すると第1戒と第2戒は同じようなことを言っているように思えますが、その方向性は随分と違います。第1戒はまことの神のみを礼拝するようにと命じられ、第2戒はまことの神ではないものを神としない、ということが命じられている。つまり、コインの表裏のような関係。どちらも唯一の神への信仰を求めるものですが、第2戒には明確に偶像を拒否するという意志の現れが求められるのです。
 では偶像とは何でしょう。何か他の神々の像、例えば仏像とかゼウス像とか、道端にあるお地蔵さんとか、そういうものを想像されるかもしれません。もちろん、それも偶像ですけれども、この第2戒が言っている偶像は、もっと身近で、もっと広範囲のものです。
 たとえばです。偶像という言葉を英語ではアイドルと言います。一昔前のアイドルの追っかけと呼ばれる人たちは、○○命、といったハチマキをしていました。○○命。松田聖子命。とか、小泉今日子命。とかですね。この人のためになら死んでもいい、と崇拝する存在。これがアイドルというわけです。尾崎豊がなくなったとき、沢山の後追い自殺がありました。それら一部のファンにとって尾崎豊は完全に神となっていたわけです。
 偶像とは、本来神によって造られ、神のために生きる目的をもった人間が神以外のものに依存して生きる。この神以外の全てのものが偶像となり得るのです。ですから偶像を作るとは、自分に都合良く、神の代わりを作りあげるということなのです。
 あらゆる偶像は人が幸せになりたいという願望から生まれたものと言えるでしょう。では幸せは何がもたらしてくれるのか。お金があれば幸せになれると信じる人にとっては、お金こそが神となりましょう。学歴があれば幸せになれると信じる人は学歴が偶像に。あのアイドルがいれば幸せになれると言うならば、そのアイドルを偶像としているのです。偶像はその人の生き方を束縛します。人生の目的をその偶像に向けてしまうのです。そしてさらに問題なのは、その偶像が失われるとき自身の拠り所をも失ってしまうことです。お金を神としていたとして、ではそのお金に裏切られれば、その人はいったい何を目的として生きればいいでしょう。学歴は。アイドルは。神の代わりは所詮代わりでしかありません。永遠ではない。完全ではない。求めていた理想が打ち破れたとき、人はいったいどうなってしまうのでしょう。
 この第2戒を学ぶにあたって、どうしても触れなければならないのは、教会の過去の過ちについてです。先の戦争の折、教会は偶像礼拝の罪を犯しました。教会では礼拝に先立って、必ず、宮城遥拝(きゅうじょうようはい)と君が代斉唱が行われました。教団のトップが神社参拝をし、伝道報国を掲げ、天皇に仕えることがキリスト者の生き方であると教えられました。そして、これら全ては国民儀礼であるというのが当時の教会の言い分でした。教会は神の前にどうあるかを問う前に、国家の前にどうあるかと問うたのです。覚えておきたいのは、彼らも聖書の神を信じていたのです。私たちよりも信仰が劣っていたとか、信じていなかったということではなくて、むしろ、熱心に聖書の神を信じていた。けれど、そこに別の要素を並び立ててしまったのです。
 今、世の中を戦前のあり方に戻そうとする動きが急速に力をつけてきています。教育勅語を暗証させる幼稚園が批判を浴びていますが、あれがまかり通る時代を取り戻そうとする動きです。再び国民としてどうあるかを問われる時代が来るとして、私たちは再び同じ過ちを犯さないと言えるでしょうか。神を信じているから大丈夫という話ではないのです。私たちはまことの神を神として認める。ということだけでは不十分です。私たちは神ならぬものを認めない。という断固とした意思と姿勢を持たなくてはならないのです。

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