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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170409 ヨハネ10:19-21「悪霊を持ち出さずとも」

ヨハネ10:19-21「悪霊を持ち出さずとも」

 イエス様の話されることを聞いて、ユダヤ人たちの間で分裂が起こりました。イエス様の言葉に反対する者と賛同する者とにです。反対する者たちはイエス様を「悪霊に憑かれて気が狂っている。」と言いました。一方賛同する者たちは「悪霊に憑かれた者のことばではない。」と言いました。イエスは悪霊に憑かれた者かどうか。これが分裂の争点でした。
 ユダヤ人指導者たちにとって、イエス様は認められない存在でした。それは律法の権威に反する者だったからです。けれど、同時に、イエス様の為さる奇跡の数々を認めないわけにはいきませんでした。苦々しいことですが、そこには実際にイエス様によって癒される人々がいたからです。たとえ神殿から追い出しても、目が癒やされた男の口を閉ざすことはできませんでした。奇跡は事実。それを認めないことは、民衆から反感を受けるでしょう。しかし、そこに神の権威を認めることは決してできない。そこで彼らは、イエス様が悪霊に憑かれているとして、事を終息させようとしたのです。
 しかしそれは、あまりにも結論ありきの話ではないでしょうか。イエス様に神の権威を認めない。そのために導き出されたのが、悪霊でした。ここに問題があるのです。聖書に記されますから、悪霊は確かにいるのです。その存在を否定することは私たちにはできません。私たちは悪霊に対して、十分に備える必要があります。けれども、何でもかんでも、悪霊を持ち出して事を測る、というのはどうかと思うのです。
 私は以前、ある教会で悪霊追い出しの集会に出くわしたことがあります。悪霊追い出しというのは、いわゆるエクソシストです。あらゆる病や不幸の原因は悪霊にあるから、イエスの名によって悪霊を追い出さなくてはならない。と、こういう理屈です。集会の最中、参加者の中から奇声を上げて暴れる人が現れて、それに対して牧師は「イエス・キリストの名によって命じる。悪霊よ。出て行け。」そう言って、信徒に触れていきます。すると、皆次々と力を失って倒れ込んでいくのです。私にはその目の前の出来事をどう捕らえて良いのか、わかりませんでした。ただただ戸惑っていました。それは事実かもしれないし、そうでないかもしれない。けれど、1つ感じたことは、悪霊という存在にあまりにも左右されるその信仰のあり方に対する違和感でした。
 CSルイスの「悪魔の手紙」という小説があります。見習い悪魔がベテラン悪魔に人間を誘惑するための手ほどきを受けるために手紙のやり取りをするという内容です。大変興味深い小説ですが、そこで記される悪魔の一番の目的とは何か。それは人を神から引き離すことです。そのために、時には沢山の金品を用意したり、時には恐ろしい悪魔の存在をチラつかせたり。つまり、神以外のものに目を向けさせるのです。悪魔、悪霊という存在は確かに人に対して圧倒的な力を持っているように思います。けれどです。そこにあまりにも目を向けると肝心の神を見上げることができません。そもそも、悪魔が束になってかかっても、全く敵わないのが神様です。2000体もの悪霊が人に憑こうと、言葉一つで追い出す権威を持つ方がイエス様です。ですから私たちは、聖霊が私たちの内に住まわれるという事実に、もっと意識を向けるべきなのです。目の前の出来事に悪霊を持ち出して説明せずとも、私たちはそこに神の御手があることを知っています。神様のご計画はあまりにも大きくて、私たちはその一切を知ることはできませんが、しかし、その一端に触れていることはわかります。聖霊が共におられるからです。人知を超えるのは、悪霊ではなくて、神です。私たちは脇目も振らず、ただこのお方を見上げてまいりましょう。

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