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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170416 ヨハネ11:38-44 「あなたは復活を信じますか」

ヨハネ11:38-44 「あなたは復活を信じますか」

 ラザロが死んですでに4日が経っていました。ラザロのお姉さんであるマルタとマリヤは、イエス様が来てくれさえすれば、ラザロも助かる。とそう思って、イエス様に遣いを出しました。彼女たちはイエス様を心から信頼していたのです。ところが、待てど暮らせど、イエス様は来ない。そして、とうとうラザロは死んでしまったのです。
 愛する人が死んでいくのを、ただ見守るしかないということは、いったい、どれほど辛いことでしょうか。何度も言うようですが、彼女たちは、イエス様が神の子キリストであることを信じているのです。心からイエス様を信頼していた。・・・けれど、だからこそ、思うのです。あなたがここにいてくださったなら弟は死ななかったでしょうに。あなたが来るのが遅すぎました。とです。そうでしょう。私たちも相手が医者だから、期待もするし憤りもするのです。たとえば大工さんを捕まえて、何でうちの子を治してくれないんだとは言いません。相手が病気を癒す能力があるから期待する。だからこそ、余計に思うのです。なぜあなたはここにいて下さらなかったのですか。
 そのイエス様が、今、墓の前に立って言うのです。「その石を取り除けなさい。」しかし、マルタは言います。「主よ。もう臭くなっておりましょう。四日になりますから。」マルタがイエス様の言葉に戸惑ったのもわかります。四日も経てば、肉は腐敗し死臭が漂います。それは弟の死のリアルです。彼女たちは死して尚、弟を愛していたいのです。綺麗に別れたいのです。ところが、その死の匂いは、その愛する家族ですらも顔をそむけてしまう匂いです。腐敗し、虫が湧き、体内のガスが抜けて、体液が飛び散る。そういう死の匂いです。見たくないのです。蓋をしていたいのです。そんなことをしても死の現実に直面するだけなのです。イエス様が今更何をしようと全ては遅すぎる、無駄なのです。
 けれど。本当に無駄なのでしょうか。私たちは考えなければなりません。本当に意味がないことなのでしょうか。死者の復活など科学的でない。とおっしゃる方がいます。けれど科学的であることに、いったいどれほどの意味があるのでしょうか。4日も経てば、そりゃ、臭くなっているでしょう。それが科学的な常識とある人は言うでしょう。けれど、その常識が私たちにいったい何をもたらすのでしょうか。イエス様はここで、私たちの常識に挑戦しています。私たちはいったい何を握りしめているのか。と問うているのです。
 イエス様は言うことは全く違います。「事実、わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持つことです。わたしはその人たちをひとりひとり終わりの日によみがえらせます。」主イエスの希望は、死が終わりではないというものです。死の先がある。よみがえりです。永遠のいのちです。天の御国の約束です。私たちはどこかで思ってはいないでしょうか。死は全ての終わりであると。死を前にしては、何者も勝利することはできないと。マルタとマリヤも同じでした。確かに彼女たちはイエス様を信じていました。イエス様に信頼しています。それでも、弟の死という圧倒的な現実の前では、彼女たちはもう何の希望も持てないでいたのです。イエス様の奇跡も愛情も、生きている間でなければ何の意味もない。と、そう常識に照らして理解していた。でも、そうではないのです。イエス様はその死にすらも勝利されるのです。イエス様が死に勝利された。これがイースターの出来事です。そして、このお方を信じる者は、このお方と等しく扱われるのです。私たちもまた終わりの日によみがえる。私たちにとって死は全ての終わりではなくて、永遠への通過点と変えられるのです。
 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」

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