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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170610 ヨハネ11:47-57「民の代わりに」

ヨハネ11:47-57 「民の代わりに」

 ラザロの復活は、多くの民にとってイエス様を信じる根拠となりました。それほどのインパクトがありました。しかし同時に、イエス様のその決定的な奇跡のゆえに、逆に焦りを感じる者たちもおりました。46節「しかし、そのうちの幾人かは、パイサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。」
 彼らは言います。「あの人が多くのしるしを行っている」彼らもイエスの奇跡の数々を認めざるを得ないのです。そして、その奇跡が民衆を惹き付けることも冷静に理解しています。だからこそ、イエスを放っておけないのです。イエスの存在は人々に要らぬ期待をさせてしまう。無謀な振る舞いへと人々を焚き付けてしまう。これ以上は放っておけない。イエスを捕らえるべきだ。イエスを民衆と引き離すべきだ、とです。
 さて、この訴えに口を挟んだのが大祭司カヤパでした。「あなたがたは全然何もわかっていない。ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていない。」つまり、何をのんきな事を、と言うのです。そんな危険のある存在は、あれこれ言ってないでとっとと死んでもらったほうが私たちにとって得でしょうと。もはや躊躇している場合じゃないでしょうと、こう言うのです。
 大変恐ろしい発言です。統治者らしい発言と言ってもいいでしょう。全体のために個々の犠牲は仕方がないとカヤパは言っているのです。この場面、実際にイエス様が暴動を起こした。民を扇動した。というのならわかるのです。けれど、ここでは、そうなるかもしれない。という話です。危険性があるという話です。まるで、昨今の共謀罪の議論に似ています。疑わしきは罰せずというのが、これまでの常識でしたが、これからは疑わしきは排除する。と言うのです。そしてカヤパの発言には、そのように命じる統治者の本音が見え隠れします。それは自分たちにとって得策だ。と言うのです。国のためでも、民のためでもなく、得か損かで、一人の命を奪おうと言うのです。これが本音です。
 ここに至り、イエス様に対する議会の流れは決定します。大祭司の議会での発言は大きな意味を持ちました。公にイエス様を捕らえるためのお触れが出されたのです。それはイエス様を捕らえ、そして殺すための計画でした。
 さて、ヨハネは後になって、これらの出来事を振り返って記すわけですが、その時に、ここに一つの解説を加えています。「ところで、このことは彼が自分から言ったのではなくて、その年の大祭司であったので、イエスが国民のために死のうとしておられること、また、ただ国民のためだけでなく、散らされている神の子たちを一つに集めるためにも死のうとしておられることを、預言したのである。」もちろん、大祭司カヤパがイエス様の十字架の意味を知っていたわけではありません。彼は極めて打算的にイエス様を亡き者にしようと企てただけです。けれど結果的に、彼の言うことは正しかったのです。誰一人、彼自身も理解していなかったけれども、彼の言葉には真実が含まれていました。イエス様ご自身が民の犠牲として死のうとされていたのです。それはユダヤ人だけではない、散らされている神の子たち、異邦人をも含む全てのキリスト者を神の国に一つ集めるためでありました。そしてそれこそが、父なる神の人類救済のご計画でありました。
 つまり、イエス様はユダヤ議会の思惑によって殺されるのではないのです。イエス様はカヤパの損得によって死ぬのではない。そうではなくて、イエス様はご自身の意思で、いえ、父なる神の意思に沿って、死のうとされているのです。
 神は人の手によって何ら変わるところがありません。この世の悪や、あらゆる権力によっても何ら動じるお方ではありません。神は変わらない。そして、この変わらない神が永遠のご計画の中で、私たちを神の子として一つに集めてくださったのです。私たちの希望は変わらない神による変わらない神の約束です。

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