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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170702 出エジプト20:12  「父母を敬う」

出エジプト20:12  「父母を敬う」

 「あなたの父と母を敬え」とありますが、単に親子関係のあり方だけを言っているわけではないかと思います。もし、そうならば、たとえば、若くして両親を失った人で、天涯孤独という人には、この戒めは意味が無いものとなってしまいます。けれど、神が特別に与えられた戒めが、その立場によって、大事だったり、意味がなかったりするものでしょうか。ですから、これは単なる親子関係に留まらない、あらゆる人間関係に当てはまる人としてのあり方を指しているのではないでしょうか。それでも「父母を」と言うのは、それがあらゆる人間関係の中で、最も基本で、難しい関係だからではないでしょうか。
 神様は人と人の最も身近な関係を、敬うことをもって築きなさいと言います。敬うとは、尊敬するということです。裏も表も知り尽くした相手を敬いなさいと言う。これは非常に難しいことではないでしょうか。
 他人との関係は、ちょっとしたことで簡単に壊れてしまいます。何気ない一言で関係が一変することすらあります。だからこそ緊張しながら、配慮しながら、あらゆることに気を遣って関係を築いていきます。けれど、家族は違います。多少のわがままであっても、だらしなくても、それで関係が途切れるわけではありません。だから安心して素の自分が出せるのです。けれど、気を付けなければならないことは、安心できる関係とは、決して気遣わなくてもいい、配慮しなくてもいい関係とは違うということです。簡単に崩れない関係というのが曲者です。つまり、大抵のことは我慢してしまう。小さな棘が積もり積もってしまう。他人なら距離を空けて、時間を空けて、心の修復を持つ場面でも、家族ならそうはいかない。家族は近すぎる関係だからこそ、一旦こじれてしまうとなかなか修復が難しくなるのです。親子関係が何もしなくても築かれていくというのは嘘です。後回しにしていいということは間違いです。身近な関係だからこそ、他の人に対する以上に、気遣いと配慮をもって、敬って関係を築かなくてはならないのです。
 さて聖書は別の箇所で「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる」とも言っています。親子という密接な関係は、どこかで線引をして、一定の距離を設けて、ひとりの人格として尊敬し合うべきだと言うのです。過激な言い方をすれば、親子は他人である、別人であると認めるべきだと言うのです。私たちのあらゆる関係の構築は、一人ひとりが違う存在であるという前提に立って築かれるべきです。親だからこうあるべきとか、子どもだからこれで当然とか、自分の理想を押し付けるべきではないのです。
 聖書は神の家族の関係をキリストの体と各器官に例えています。この関係の築き方は私たちの肉の家族に対しても当てはめるべきだと思います。つまり、私たちは家族であろうと、同じ使命、同じ賜物をいただいているのではないということです。そして、だからこそ、私たちは互いを尊敬することができる。敬うことができるのです。自分にはない賜物をいただき、自分とは違う使命を負っている。尊敬は相手の中に自分には無い何かを見つけることで生まれるのです。違いを認めることは、敬うことの下準備です。わかってくれないで当然。理解できなくて当たり前。私たちは違う者ですから、気遣いと配慮をもって、敬う心をもって、互いを認めることといたしましょう。

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