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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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170903 ヨハネ14:1-4 「天の住まいを見据えて」

ヨハネ14:1-4 「天の住まいを見据えて」

 「わたしについて来なさい。あなたがたを、人間をとる漁師にしてあげよう。」と言われたあの時から、全てを投げ打ってついて来た弟子たちです。仕事も家族も故郷も、あらゆるものを投げ打って、イエス様に付いてきた彼ら。ところが、ここに来て、イエス様は「わたしが行くところへは、あなたたちは来ることができない。」と、こう語られるのです。聞き捨てならない言葉です。なんて情けないことを。見損なわないでください。というのが弟子たちの思いではなかったか。ペテロは言います。「わたしはあなたのためにはいのちも捨てます」けれど、イエス様は無情にもペテロの否認を予告されます。それは「わたしが行くところへは、あなたたちは来ることができない。」という言葉を、身を持って知る出来事です。
 イエス様は「心を騒がしてはなりません」とおっしゃいます。しかし、イエス様が共におられなくなると言うのに、心を騒がずにいられるものでしょうか。
 これから体験することは、彼らの予想だにしない出来事です。それはイエス様の受難であり、十字架の死です。いったい誰が、神の救いのご計画がイエス様の死であると想像できたでしょうか。彼らはこの後、主イエスの喪失という、これまでにない絶望を経験いたします。事実、弟子たちはこの出来事に散り散りに逃げ隠れることしかできませんでした。辛うじて、ペテロがイエス様を追って大祭司の庭にまで行きました。けれど、人々の追求に、イエス様との無関係を装う始末でした。これが現実です。私たちは振りかかる様々な問題に対して、心を騒がせないわけにはいられない、弱い弱い存在なのです。それでも、イエス様が共におられる。この確信が私たちの支えです。私は弱く愚かで、どうしようもない。けれど、イエス様は決して私を見放さず、共にいてくださる。今日、語りかけてくださる。そう信じるからこそ、私たちは立ち上がれるというものです。
 それなのにイエス様は、これから弟子たちを置いて独り行かれると言われる。実は、どのような試練に会うことよりも、このイエス様に置いていかれるということに、私たちは不安を感じるのです。イエス様に見限られる。もうお前のことは知らない。と言われているようなものです。ですからペテロは、私はついて行きます。いのちを捨てます。と必死にアピールしたのです。
 けれど、その心配はそもそもの前提条件が違っているのです。確かに、イエス様は彼らを置いて行かれます。けれど、それは彼らを見捨てたわけではありません。彼らの住まいを用意するためだと言われます。イエス様が先に行かなければ、彼らの目指すべき住まいはないと言うのです。
 イエス様は十字架の道を歩まれます。それは誰もついては行けない道です。けれど、イエス様がよみがえって彼らと再会した後、彼らはそれぞれの十字架の道を歩むのです。ペテロはローマで逆さ十字架に架かって死んだと言われています。何がペテロを変えたのでしょう。それは復活のイエス様と出会ったから。そして、それは天の住まいの約束を手に入れたから。つまり信仰の行き着く先を見据えたからです。
 行き先のわからない船に乗ることは、これほど不安なことはありません。私たちは、私たちの天の住まいがすでに用意されている。つまり、救いがすでに定まっているということによって、今置かれている信仰生活を、心騒がせることなく、歩むことができるのです。

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