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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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171001 出エジプト20:14 「姦淫してはならない」

出エジプト20:14 「姦淫してはならない」

 たった一行の戒め。具体的な性に関する戒めは、レビ記18章に詳しく記されています。ここでは、性に対する基本的な倫理感が教えられています。
 わたしのおきてと定めを守るように。と言われます。出エジプトを果たし、約束の地カナンを目指す荒野での道中で、彼らは神と契約を交わし神の民とされますが、彼らにはエジプトでの性に対する価値観や倫理観が深く浸透しておりました。具体的には近親婚、不倫、人身御供、同性愛、獣姦などです。これらは実際に、エジプトにおいて、カナンにおいてなされていたことで、この時代の感覚で言うと、それほど問題視されていなかったことでした。しかし、主は明確にこれらを禁じられます。私たちからしますと、そのような間違った性関係を禁じることは、まぁある意味、当然のことじゃないかと思われるかもしれません。しかし実はこういった性に関する倫理観というのは聖書独自の教えなのです。日本でも性倫理が問われるようになったのは近年に入ってからです。それはキリスト教の影響です。日本では古くから、夜這いの風習がありますし、性器がご神体の神社もあります。遊郭なども公に認められたりしました。慰安婦の問題で、韓国だけでなく諸外国との温度差があるのは、そもそもの倫理観が違うからです。橋下徹氏がまだ大阪市長であったとき、犯罪抑止のための性のはけ口として風俗を勧める発言をしましたが、いわば、その程度の倫理観なわけです。この国の倫理観は壊れています。しかし、聖書は不品行を避け、姦淫を避けるようにと教えます。これは実は画期的なことなのです。
 民はこれを聞いて不自由さを感じたことでしょうか。そして、現代の私たちも、だからキリスト教は息が詰まると言われるでしょうか。実際に、そのような批判を教会は受けてきました。教会の戒めは、余りにも今の時代には合わない。古めかしい。自由恋愛が叫ばれる今の世の中で、不倫も同性愛も、婚前交渉も、愛情表現の一つではないかと、こう言うのです。しかし、聖書ははっきりとそれは違うと言います。間違ったこの世の価値観を引きずったまま、神の民として生きることは相応しくありません。彼らは、神の民とされたのです。ならば、神の民としての生き方があります。私たちも同じなのです。
 さて新約聖書では、この姦淫してはならないという戒めを、単なる倫理観ではなく、より積極的に夫婦関係を築くための大切な要素として理解します。結婚という枠組みの中で性の祝福を語るのです。パウロは、結婚した夫婦について、互いにこの性の権利を奪い取ってはならないと第一コリント書で語っています。互いを愛すること、愛されることを拒んではならないと語るのです。それは、結婚してなお、互いの想いが外に向けられないためにです。性の営みというと、教会では、とかく否定的に思われやすいですが、しかし夫婦におけるそれは、二人を一体とするための大切な要素です。夫婦の正しい関係が築かれていないから、互いは再び外の世界へと目を向けるのです。埋まらない欲求を埋めるために、簡単に誘惑になびいてしまうのです。正しい結婚の枠の中に生きる。これが、誘惑を祝福と変える秘訣です。
 さて姦淫は神が定められた正しい夫婦関係を破壊することです。そして、このことは未来の夫婦関係を破壊するという意味において、結婚以前の私たちの在り方をも規定しているのです。パウロは繰り返し不品行を避けるようにと命じています。結婚以前に性交渉を持つことは、将来の伴侶に対して性の比較材料を持つと言うことに他なりません。最も信頼すべき夫婦関係が、見えない誰かと比べられることをいつも不安に思いながら過ごさなければならないとすれば、これは本当に残念です。愛するから関係を持つのではありません。愛するから祝福の時を待つのです。そしてその誠実が、相手との信頼を築いていくのです。男女ともに結婚前の貞操を保つこと。それは将来の伴侶への信頼を築くことなのです。

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