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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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171029 詩篇133:1 「一つになって共に住む」

詩篇133:1 「一つになって共に住む」

 いのちの樹教会は今年、節目の年を迎えることとなりました。それは今の会堂が建ってから21年。ようやく土地会堂の全ての返済を終える目処が着いたからです。晴れて、この土地も会堂も全てを主に捧げることができました。本当に感謝なことだと思います。
 初代宣教師であるマルチン宣教師がこの狭山の地で宣教を初められたときからずっと、私たちは毎週、教会に集い、礼拝を献げてきました。その間、牧師は交代し、教会員も代替わりをいたしました。けれど、変わらない主の礼拝が毎週持たれて来たのです。これは決して当たり前のことではありません。神の憐れみに他ならないとあらためて思わされるのです。
 福島第一聖書バプテスト教会の牧師の佐藤彰師は、娘婿の卒業式で出席した千葉にある東京基督教大学で、東日本大震災が起きました。福島第一聖書バプテスト教会は福島第一原子力発電所からわずか5キロにある教会です。当然、教会は立入禁止地域の中にありました。この日を境に、二度と入れない地域となりました。教会はある日突然に閉会を余儀なくされたのです。前日までは、そんなこと誰も思いもしなかったのです。当たり前のように日曜日が来て、当たり前のように教会に通う。そうなる筈だった。佐藤先生は千葉の学校の卒業式に出席されましたが、まさか、それが教会との決別となると誰が思ったでしょうか。避難所に避難した者、親戚縁者を頼って県外に脱出した者、尊い命を落とした者。この日を境に、皆が散り散りになるなどと、いったい誰が想像したことでしょう。
 私たちは知らなければなりません。私たちがこうして毎週集い、主の日の礼拝をささげる。共に過ごす。このことは実は、神のあわれみの中で許された特別の恵みであるということをです。ボンヘッファーは言います。「キリスト者の兄弟の交わりは、日ごとに奪い去られるかもしれない神の国の恵みの賜物であり、ほんのしばらくの間与えられて、やがては深い孤独によって引き裂かれてしまうかもしれないものである、ということがとかく忘れられがちである。」
 教会は会堂ではありません。「エクレシア」=召された者の集まりです。けれど、会堂という具体的なシンボルが、私たちを1つにまとめ上げてくれるのです。佐藤先生は震災から5日後に、ようやく一部の信徒の方々と再会し、それから流浪の1年間を過ごされました。様々な善意によって支えられた1年間。それでも先生たちは決断しました。「福島第一聖書バプテスト教会は、やっぱり福島にあるべき、戻るべき、戻りたい」今、いわき市に建てた新しい会堂に震災でバラバラになった教会員達が結集し、更に新しい兄弟姉妹が加えられて礼拝が持たれています。
 主の日の礼拝がいのちの樹教会で変わらずに持たれてきたことに心から感謝いたします。もちろん、変わることもありました。牧師は変わります。信徒も代替わりします。私たちは歳も取るし、病気にもなる。明日信仰に躓いてしまうかもしれないし、別の何かに夢中になるかもしれない。実際に様々な理由で教会を離れる人もおりました。しかし、それでも、ここには変わらずに建つ教会がある。主の日の礼拝がある。交わりがある。それはつまり、私たちの帰るべきところが変わらずにここにあり続けたということです。そして、これからもそのように建ち続ける教会でありたいと思うのです。

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