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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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171112 出エジプト20:15 「盗んではならない」

出エジプト20:15 「盗んではならない」

 そもそも人はなぜ盗むのでしょうか。それはそこに飢えがあるからです。つまり満たされない思いです。満たされない思いが沸くから、羨み、妬み、そして盗むのです。
 盗んだことがあるかどうかは別としましても、人は誰しもが他人の物を羨む経験をお持ちではないかと思います。自分が持っていないおもちゃを、隣りにいる子が持っている。いいなぁ。欲しいなぁ。ではどうするのでしょうか。多くの人は諦めるか、それを手に入れる努力をします。子どもならば親を説得することでしょうし、大人ならば働いて購入する。けれど、それは手間も時間もかかる方法です。そして、どれだけ時間をかけようと手に入らない物もあります。それよりももっと確かで手っ取り早い方法があるとしたらどうでしょう。幸いなことに周りには誰もいません。今なら誰にもばれません。欲しい欲しいという思いで頭がいっぱいになれば、思わず手を伸ばしてしまう。そうならないのは、ただ単に状況が許さないからなのかもしれません。
 誰も見ていない。今ならばれない。そのような状況で、思いとどまれるかどうかは、神の存在を認めるかどうかにかかっています。神は私の振る舞いをご存知である。そして、神は私たちを正しく裁かれる。実は「盗んではならない」というこの戒めは、私たちに神の光に照らされて生きよ。と教えているのです。
 人の目だけを気にする人は、人目のないところで、思いとどまることはできません。日本では他人様に迷惑をかけてはいけないと教えられます。けれど、他人に迷惑をかけるから駄目なのでしょうか。例えば人目のない道端に落ちているお金をポケットに入れる。恐らく、誰に迷惑をかけることでもないかもしれません。多くの人はラッキーと言って罪悪感すら感じ無い。けれど、それは果たして神の前に正しいと言えるのでしょうか。相手に頼まれたことならば、迷惑はかからない。では、もう生きているのが辛いから殺してくれと頼まれれば、そうするべきなのでしょうか。いや、それは法律で禁じられているからダメだと言います。では法律で裁けないことは何をしても良いのでしょうか。法律の網をくぐって悪さをする人が後を絶ちませんが、それは賢い生き方と言えば良いのでしょうか。もちろん、そんなことはありません。マタイ16:27には「人の子は父の栄光を帯びて、御使いたちとともに、やがて来ようとしているのです。その時には、おのおのその行ないに応じて報いをします。」とあります。神は全てを承知で、義しく裁かれる方です。ですから私たちは人の戒めを越えた、神の戒め、神の光に照らされて歩まねばなりません。
 マラキ書には「あなたがたはわたしのものを盗んでいる。」とあります。神のものを盗むな。これが神の問われる正義です。私たちは手にするものは自分のものと理解しています。そして自分のものは自分の思い通りにしても良いと。けれど、そもそもが私たちは神の憐れみのゆえに生かされている者であることを、忘れれてはいけません。恵みの初穂を献金として捧げ、一週間の初穂である日曜日を捧げ、一日の初穂である朝の時間を捧げる。日々の食事を頂く前に、感謝の祈りを捧げ、与えられた賜物をもって教会に仕える。これらは全て、神に生かされてある身を覚えるためにです。私たちが神の恵みを数えること無く、全て自分の手柄とするならば、それは神のものを盗んでいることに他ならないのです。
 この戒めから神様の言われることは、とどのつまり、あなたに必要なものは全て用意されている。ということです。自分には無いものを隣の人は持っている。この無いものに目を留めると、私たちはもう駄目です。無いことが不幸せのように感じてしまう。あるものへの感謝が失われてしまう。それは人類の初めアダムとエバからしてそうなのです。私たちの目を、無いものに向けるのは止めましょう。そうではない。頂いているものの豊かさを数えるのです。神への感謝こそが、私たちの他人への妬みを退けてくれるのです。

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