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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/03/01 ヘブル10:26-39 「信じていのちを保つ者」

ヘブル10:26-39 「信じていのちを保つ者」

 私たちは信仰の故に、困難にぶつかることがあります。身近な人の言葉に心騒ぐことがあります。他の人と同調しない、融通の効かない、頑固者と思われたりします。それでも私たちは、神の恵みをいただき、神の民とされたことを希望として、祈り、叫びながら、それらを乗り越えようとします。いつかは神がこの祈りを聞いて下さり、事を解決してくださるに違いない。この苦難を乗り越えさせてくださるに違いない。そのように必死に自分に言い聞かせて、過ごします。しかし、なかなか現実は改善されません。そしてある時、ふと思うのです。「もう良いんじゃないか。」「そんなに必死にならなくても、要領よく、ほどほどにするのが一番じゃないか。」「神様の救いは、私たちの頑張り云々で減ったり増えたりするものじゃないんだから。」・・・すると、何だか全てがどうでも良いことのように思えてきます。そして、やがて、なんで自分はあんなにも神様神様と必死になっていたのかと、完全に心を決別させてしまうのです。
 この箇所は、そのような私たちに2つのことを覚えよと言っています。一つは神に背を向ける者に対するさばきの恐ろしさを。そしてもう一つは信じる者にもたらされる勝利の確かさをです。
 「もし私たちが、真理の知識を受けて後、ことさらに罪を犯し続けるならば、罪のためのいけにえは、もはや残されていません。ただ、さばきと、逆らう人たちを焼き尽くす激しい火とを、恐れながら待つよりほかはないのです。」これほど厳しい箇所は他にそうそうありません。しかしだからこそ、この言葉に耳を傾けなければならないのです。ここでいう罪は単なる個別の罪を繰り返すことではありません。信仰者といえど罪を犯します。繰り返します。たとえ誰よりもイエス様を愛していようとも、気が付くと、自分可愛さにイエス様を否定している。そういうことがあるのです。しかし、イエス様は言われました。「しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:32)主は私たちの弱さをご存知です。私たちの愚かさを織り込み済みです。神は躓くことも、放蕩することも、喜んで赦してくださる。けれど、私たちが意図してそれを拒み続けるとしたら、その人に罪のためのいけにえは残されてはいません。
 ヘブル書は言います。苦難に対して、耐えなさい。忍びなさいと。耐えよ。忍べよと言われますと、何だか勝ち目のない戦いに身を置いているように聞こえます。宛もなく籠城しているようです。しかし実際は違います。「もうしばらくすれば、来るべき方が来られる。おそくなることはない。」援軍が来られる。必ず勝利がもたらされると約束されているのです。いつということについては、はっきりとは語られません。「おそくなることはない」とあるだけです。けれど、それで十分です。必ず来られる。ですから、私たちに必要なのは忍耐だと言うのです。勇ましい必要はありません。弱さを否定することもありません。揺れ惑う心を抱えながら、しかし、主には勝利があるということを希望に、耐え忍ぶ者でありたいのです。

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