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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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171217 マルコ2:17「インマヌエル・罪人を招くために」

マルコ2:17「インマヌエル・罪人を招くために」

 場面としては、取税人レビの開く食卓で、取税人や罪人たちと一緒に食事を取られるイエス様を非難する律法学者に対して、語られた言葉です。けれど、この言葉の真意は、単に罪人を食卓に招くことを語っているのではありません。それは、救いに招くという意味です。そして、そのために、イエス様は罪人と同じ食卓に就かれる。罪人と同じ視点。罪人と同じことばを交わされるのです。
罪人を回心させるということは、律法学者、特にパリサイ人たちも声を大にして語って来たことでした。けれど、イエス様のそれはまったく違いました。イエス様は罪人の中に住み、彼らの弱さを受け止めながら、これからは罪を犯さないようにしなさい。と教えられるのです。
 罪ある者に義人の声は届きません。どれだけそれが正しくても、正しさだけでは人は耳を傾けません。なぜなら、その言葉は正しさのゆえに人々を切り裂くからです。その悲しみ、やるせなさ、彼らの言い分を知る者の声でなければなりません。イエス様はまさに罪人の弱さに寄り添うために、彼らに届く言葉を届けるために、人となられたのです。ヘブル4:15に「私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。」とある通りです。
 クリスマスの場面、イエス様は絢爛豪華な王宮ではなく、ホテルのスイートルームでもなく、貧しい家畜小屋でお生まれになりました。なぜ、そのような粗末な所を選ばれたのでしょうか。そこしか空いていなかったというのは、もちろんそうでしょうが、しかし、イエス様が望まれれば、どこで生まれることも可能なわけです。状況がそうさせたのではなくて、イエス様がその状況を許されたのです。なぜなのでしょう。それは、貧しい者が主イエスの誕生に駆けつけるためです。住民登録の数にすら数えられない貧しい羊飼いたち。もしも、イエス様が王宮でお生まれになれば、間違いなく羊飼いたちは主イエスを礼拝することができなかったでしょう。イエス様が、貧しくお生まれ下さったからこそ、救いに与ることができる者がいるのです。貧しさに生まれ、十字架に死ぬイエス様は、貧しさも痛みも知っておられます。罪になびく人の弱さを理解しておられます。彼らに届く言葉を持っています。だからこのお方は、全ての者にとって救いとなられるのです。
 私たちの言葉を、人々に届けるためにはどうすれば良いでしょうか。福音は聖書の正しさを語れば伝わるのでしょうか。いえ、それは人々に希望をもたらしません。私たちは我が身に起きた、主イエスの恵みを語らなければ。主イエスの憐みを解かなければ。私たちの信仰生活は、己の弱さ、愚かさ、罪深さをさらけ出すことから始まるのです。それはつまり、私たちが主イエスの赦しにあずかったその体験です。私たちが己に絶望し、悔いたとき、私たちは赦された。こんなに救いようのない愚かな者でも神の恵みにあずかることができた。これこそが福音です。これこそ人々に届く言葉です。

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