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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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180128 ヨハネ16:5-16「その方が来ると」

ヨハネ16:5-16「その方が来ると」

 最後の晩餐の席で、イエス様は残される弟子たちを思い、様々な励ましの言葉を残されました。それは、その時、その場で理解できるものではありません。けれど、後になって、イエス様が彼らの元から離れて、世がイエス様ではなくて、弟子である彼らを迫害するようになった時に、効力を発揮する励ましの言葉、約束の言葉。それがすなわち、助け主、聖霊が来られるという約束でした。
 5節の終わりに「しかし、あなたがたのうちには、ひとりとして、どこに行くのですかと尋ねる者がありません。」とあります。晩餐の始まり近くでは、トマスがイエス様の話に必死になって喰らいつくという場面がありました。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」(14:5)ちょっと前までは、やんややんやと弟子たちはイエス様の話に声をあげておりました。晩餐の前には、ペテロは、イエス様に「主よ。どこにおいでになるのですか。」と尋ね、「あなたのためにはいのちも捨てます。」とまで、言っておりました。けれども、イエス様の話を聞くに連れ、彼らは口を開かなくなっていきます。そして、イエス様の口から、ご自身が世を去られること。世から弟子たちが憎まれること、迫害を受けること、会堂から追放されることを聞く段になっては、もはや言葉すら出ません。つまり、ようやく彼らはイエス様の本気を感じ取ったのです。彼らは、徐々に、これは冗談ではないんだと悟っていく。そして、言いようのない悲しみにはち切れそうになっていったのでした。
 ところがイエス様は言われます。むしろ、それは喜ぶことなんだとです。それはイエス様が共にいることよりも、あなたがたにとって益となるんだと。こう言われるのです。
 では、イエス様が共におられること以上に、聖霊が来られてもたらされる「益」とは何でしょうか。イエス様は言われます。8節「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」そしてもう一つ、13節「真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」聖霊は誤りを認めさせ、真理に導くと言うのです。だから、イエス様が共におられること以上に、聖霊があなたがたと共におられなければならないんだと。言い換えると、聖霊が来られなければ、たとえイエス様と共にいたとしても、私たちは、自らの誤りを認めることはできないし、真理の教えに導かれることは無いということです。これは驚くべき真実です。
 私たちは、イエス様が今ここにいてくださったのなら、イエス様が見える形で、共にいて、時にはトマスに対してのように、ご自身の傷跡を見せられて、触れさせてくださるなら、何の疑いもなく信じられるのに。と、こう思うところではないでしょうか。けれど、本当にそうでしょうか。実際にイエス様を目の前にしても、その奇跡を見て、その教えを直接に聞いても、パリサイ人たちはこれを信じなかったのです。弟子たちはイエス様の栄光を散々に体験し、その教えにどっぷりと浸かっていたにも関わらず、イエス様の真意を自ら理解することはできなかったのです。私たちはそうではないと、果たして誰が言えるでしょうか。断言いたしますが、もしもイエス様が皆さんの前に表れて、共に過ごしてくださったとしても、聖霊が来られなければ、決してイエス様を救い主であると信じることはできません。
 確かに、救いの御業はイエス様によってもたらされました。イエス様の十字架の死によって、罪が贖われ、救いが完成しました。これは紛うことのない事実です。けれど、そのことを私の信仰として認められるかどうかは、私の理解とか決意とかではなくて、聖霊の働きに拠るとイエス様はおっしゃられるのです。つまり、聖霊は、2000年前のあの出来事、神のご計画を、私のこととして結び合わせてくださるお方なのです。
 聖霊は「あなたがたをすべての真理に導き入れます。」とあります。真理とは何でしょう。イエス様は「わたしが道であり、いのちであり、真理なのです。」とおっしゃいました。イエス様こそが真理です。聖霊は私たちをイエス様と結び合わせるお方です。

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