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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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180214 出エジプト20:16 「真実を隠さず」

出エジプト20:16 「真実を隠さず」

 偽らないということは、ただ単に嘘を言わないということではありません。真実を語るということです。本当のことを知っていながら黙っている。真実は別にあるけれども、関わるのが面倒なので話さない。確かに嘘は言っていませんが、しかし、真実も言っていない。これは偽っているのと同じではないでしょうか。この第九戒は証言することを放棄する無責任な態度についても戒めているのです。
 第3版までの新改訳聖書には「あなたの隣人に対し」とありましたが、新しい聖書には「あなたの隣人について」(出20:16)とあります。前回この証言という言葉は、裁判での証言を指す言葉だと言いましたが、そのことがより強調された訳し方になっているわけです。証言台に呼ばれ、証言を求められている。その証言如何によって、その人の処遇が定められる。そしてその人に関わる無数の人生が左右される。そういう重苦しい場面で今、偽りの証言をしてはならないと命じられる。つまり、あなたの言葉の重みを、十分に理解して語りなさい。とこう言っているわけです。
 そのように問われますと、私たちは証言することに躊躇してしまうわけです。いったい何と証言すれば良いのか。どう答えるのが正解なのか。自分の証言が、決定的な何かとなってその人の今後を左右すると言うのなら、自分はそんなにも重たい十字架は背負いたくないとは思うのです。現代の裁判では、黙秘権が認められています。自分に不利益になる発言は拒否することができる。これは証言者の権利です。けれど、私たちは考えなければなりません。私たちが話さないことの影響をです。と言いますのも、証言台に立つのは私一人とは限らないからです。私が話さないその裏で、無数の発言がなされる。中には悪意を持った発言もある。確かに私が発言をしなければ、私はその人の結果を左右することはないかもしれない。けれど、私が発言しないために、多くの身勝手な発言がその人の人生を左右するかもしれない。そのようなこととなれば、それはまた別の十字架を背負うことにはならないでしょうか。
 面白いことに、誘惑するという一事について、サタンほど勤勉な存在はありません。サタンは僅かな空きも見逃さず、誘惑することを狙っています。ですから私たちは黙って過ごすわけにはいかないのです。真実を語らなければならないのです。私が語らずとも、と。私たちはそう思いたいでしょう。実は、偽りの証言をするということ以上に、黙っているという誘惑は大きいです。けれど、真実に口を閉ざせば、サタンの思う壺です。「平安だ。平安だ。」という言葉は耳に優しくて、誰もがその言葉になびきやすいのです。
 罪を悔い改め、イエスを救い主として信じなければ、決して永遠の命を得ることはない。これが聖書の語るところです。けれど、世の中が語るのはもっと安易です。この車を手に入れれば、幸せになれますよ。この保険に入ればあなたの将来は何の心配もありませんよ。この人脈さえ得れば、あなたの人生は勝ち組ですよ。そうして皆が永遠の問題から目をそらせようとしています。なぜなら聖書が問うところは重たすぎるからです。けれど、それは必ず来る現実です。私たちは夢見て生きよではなくて、やがて来る現実に備えよと、声を上げなければならないのです。
 Ⅱテモ4:4には次のようにあります。「というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。」真理に耳を背け、偽りにそれていく時代です。正しいことを押し曲げてでも、権力に擦り寄ろうとする世の中です。そのような時代に私たちが求められていることは何でしょう。それは時代に影響されないことばを伝えることです。「時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。」一言で言えば、真実を語りなさい。ということです。偽りの時代だからこそ、私たちは真実を語る。福音を伝えなければならないのです。

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