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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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180225 ヨハネ16:25-33「勇敢でありなさい」

ヨハネ16:25-33「勇敢でありなさい」

 25節から28節にはイエス様が語られる、やがて来るその日の様子が記されています。その日はどのような日かと言いますと25節には「わたしはこれらのことを、あなたがたにたとえで話しました。もはやたとえで話すのではなく、はっきりと父について伝える時が来ます。」とあります。また26節には「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます。」とあります。その日には、弟子たちはイエスの名によって祈り、そして父の御心をはっきりと聞くようになると言うのです。
 私たちも普段、主イエスの名によって祈ることです。ひかり幼稚園の園児たちは流石なもので、まだ言葉もおぼつかないような幼子であっても、イエス様の名前で祈ることの大事を知っています。けれど、ではなぜ主イエスの名で祈ることが大事なのでしょうか。
 皆さんはカトリックで聖母信仰があるのはなぜかおわかりでしょうか。ざっくり言えば、それは天の父なる神があまりにも聖いお方なので、このお方の名前を直接祈ることは恐れ多いからです。それは主イエスに対しても同じで、たとえ祈りにおいても、三位一体の神であられるお方の名前を口にするなど恐れ多い。そこで、主イエスの母にとりなしてもらおう。代わりにお願いしてもらおう。これが聖母信仰へと発展していったわけです。マリア様、どうぞこのことをよろしくお願いしますね。と祈る。しかし、今日の箇所のイエス様の言葉を聞きますと、そうじゃないんだとわかるわけです。「あなたがたに代わってわたしが父に願う、と言うのではありません。」つまりですね。私たちの祈りをイエス様が聞かれまして、それを父なる神のもとに持っていって、今度は、ごにょごにょごにょと神が語られた言葉を、私たちのところに来て伝えられる。そういうことじゃないんだと。かつての預言者はそうでした。神のことばを預かって民に伝えました。けれど私たちの祈りは「その日には、あなたがたはわたしの名によって求めます。」イエス様の名によって、直接神が聞かれるのだと、こう言われるのです。
 つまりイエス様は私たちが神様の前に出るときに、わたしの名を自由に出してくれて良いよ。と言われているのです。例えるなら、超人気の高級ディゾートホテルの受付でオーナーの名前を出したら、VIP待遇で迎えられたようなものです。その名前にはその方の威光があるのです。だから私たちは、主イエスの名を出すことによって、自由に神に祈り聞くことができるのです。これは、アダムとエバが、園を追い出されて以来、決してあり得なかった恵みです。これを聞いた弟子たちは「今、分かりました」と言うほどに、興奮を隠しきれませんでした。
 けれど、どうでしょう。イエス様はなぜやがて来るその日の恵みを語るのでしょうか?それは、やがて来るその日の前に、患難があるからです。分かったと言った彼らがイエス様を一人置いて逃げ帰るのです。だから、イエス様は彼らがその困難にあっても希望を失わないようにと、前もってその日の恵みを語られるのです。ですから、イエス様が本当に言いたいのは、最後の一言。「勇気を出しなさい」。第3版の聖書の表現だと「勇敢でありなさい。」であります。
 イエス様がここでおっしゃる「その日」は、すでに起きた十字架と復活であり、今、この福音書を最初に読むであろうエペソ教会の人々にとっても、現代に生きる私たちにとっても、それはすでに起きたこと。すでに私たちのものとなっています。私たちは主イエスの名によって何でも自由に神に願うことができます。けれど、それだけではありません。後の日の希望が語られる理由は、今を耐えるため。それはいつの時代の信仰者にも当てはまる真理です。困難の中で見つめるべきは、後の日の希望です。私たちは日々の困難にのみ目を向けてはいけません。その先に用意されている恵みを見るべきです。私たちは今自由に祈ることができます。しかしやがては顔を合わせて主とともにあるのです。私たちは永遠の希望を持っています。永遠の希望は、死に勝利するところの希望です。

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