FC2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

180408 出エジプト20:17 「欲しがってはならない」

出エジプト20:17 「欲しがってはならない」

 第十戒は私たちが他人の家を欲することを禁じています。しかし、ここで言う家とは、単なる住まいだけの話ではなく、その生活の有り様、置かれている状況、あらゆることに通ずる内面の欲望を戒めているのです。
 では実際に欲しがらないでいられるのかという話です。例えば隣人の家が目に入らないようにと、人里離れれば私たちは欲望を遠ざけることができるでしょうか。そういうことではないと思います。たとえ隣人の家を見ずとも、欲望は私たちの奥底から沸々と湧いてくるものではないでしょうか。
 欲望というのは厄介なもので、その思いは、際限なく膨れ上がっていきます。いくら新しいものを手に入れようとも、これで満足とは決してなりません。TVのCMは絶えず、私たちに語りかけます。この新しい商品があれば、あなたの生活はもっと便利に、もっと豊かになりますよ。幸せになれますよ。けれどです。実際にそれが手に入れば、私たちはそれで満足するかと言いますと決してそうではありません。満足できない。まだ足りない。なぜなら、もっと便利に、もっと豊かに、というその誘惑は、今のあなたは足りないですよ。と不安を煽っているからです。つまりそれは、あるものを見ずに、無いものを見させようとしているのです。だから現状に対して感謝ではなくて、不満しか出てこなくなる。アダムとエバが、善悪の知識の木の実を見て、自分たちの自由にできない不満を覚えます。少し周りを見渡してみれば、そこには思うままに取って食べても良いあらゆる木の実が用意されていたわけです。けれど、彼らにはもうそれらは見えない。彼らの目は不自由な木の実に釘付けです。これが欲望の恐ろしいところです。欲望は恵みから目を逸らさせてしまいます。そして挙句、彼らは神との約束を破ってでも、その実を盗もうとするのです。
 隣人の家を欲しがるとは、そこに自分の家との違いに目を向けるということです。自分の家には無いものを見つける。そして自分は足りないと思う。そしてやがては自分が不当な扱いを受けているようにすら思えてくるのです。私たちは他人の成功を羨んだり、自分の現状を恨んだり。けれど他人の家を見て、自分に無いものを数える生活は、私たちに何ら幸せをもたらしません。神様が今日与えてくださる恵みは不十分なのでしょうか。足りないのでしょうか。イエス様はある時、言われました。「信仰の薄い人たちよ。ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。」天の父は知っておられるのです。知っているからこそ、今日、私たちの必要を満たしてくださる方なのです。私たちは今日も養われています。今日を生かされています。ここに目を向けない時、私たちは足りなさを追う羽目になります。隣人の家ばかりが目に入るようになるのです。

コメント

非公開コメント