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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/02/15 創世記47:13-26 「宰相ヨセフ」

創世記47:13-26 「宰相ヨセフ」

 ヨセフの宰相としての手腕が紹介されているこの箇所。一見すると、非情な政策のように見えます。代金など取らず、無償で配給してこそ、神の人ヨセフではないかと思ったりもします。しかしそれは2つの点で非現実的でした。一つはそれではこの大飢饉を乗り越えられないということ。そしてもう一つはそれでは人は依存してしまい、自立すること、そして労働による生き甲斐を得ることが、できなくなってしまうからです。
 飢饉は、全地に及びました。エジプトと違い、どこの国も備蓄が足りません。ですから食べるものはエジプト国内に備蓄されたものしかありません。しかも飢饉はあと5年は続くと言います。これはもう各人が個人の力量で乗り越えるということでは到底間に合いません。国民全体で力を合わせなければならない。たとえナイルの恵み豊かなエジプトであろうとも、効率を余程良くしなければ、飢饉の中での農業など何の足しにもなりません。しかし、じゃあ話し合いで、みんなで仲良く水や食べ物や畑を分けあいましょうとは、なかなかいきません。そこでヨセフは食料と引き換えに各人の財産を一点に集中させ、さらにそれを再分配するという大規模な政治を行なったのです。
 しかしヨセフの政策の素晴らしいところは、それが、単なる国の仕組みを変えたということに留まらず、一人ひとりの積極的な生き方にも繋がったということです。つまり、途方に暮れ、希望を失っていた民を、労働者としてもう一度奮い立たせたということです。単に飢饉を乗り越えるだけならば、細く長く国庫を開いて配給すれば良かったのかもしれません。しかし、一方的な無償の支援では一人ひとりの生き甲斐には繋がりません。無償の支援は最初は歓迎で迎えられますが、やがては不満へと結び付いてしまいます。なぜなら私たちはすぐ恵みに慣れてしまう者だからです。ヨセフは無償ではなく、労働を命じました。そして、収穫の5分の1を差し出すようにと。このことは、人が本当の意味で生き甲斐を持って、喜びを持って生きるためには、受けるだけではなくて、与えるということが大切であると、意味しているのではないでしょうか。
 私たちは誰かの役に立つという中で、生きる甲斐を見出します。私たちはそもそも神に仕えるために造られた者だからです。私たちの賜物は、神と人とに仕えることを通して遺憾なく発揮されます。そして与えることを通して、より多くのものをいただくことができるのです。

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