FC2ブログ
プロフィール

Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

最新記事
カテゴリ
月別アーカイブ
最新コメント
検索フォーム
リンク
QRコード
QR

180520 ルカ7:11-17「泣かなくてもよい」

ルカ7:11-17「泣かなくてもよい」

 幼い子を残して夫に先立たれるということは、いったいどれほどの不安と悲しみでしょうか。困難な時、共に支え合うことのできない寂しさは、どれほど心細いことでしょう。けれど、そんな中でも自らを叱咤して、懸命に生きて来られたのは、彼女が母親であったからに違いありません。小さく震える我が子の手を握り締めて、私がしっかりしなければと、必死になって生きて来たのです。この母親にとって、息子は生きる目的であり、そして希望でありました。ようやく息子は若者と呼ばれる年となり、これから母を支えていくはずでした。しかし、無情にも、そのひとり息子が今、先立っていったと言うのです。何という不幸でしょう。この女性の叫びが聞こえて来そうです。
 ひとり息子に先立たれるという経験は、全ての人がすることではありませんが、私たちは少なからず、親しい人を失うという経験をしているわけです。人は皆死ぬのですから、それ自体は決して特別なことではありません。けれど、やはり自分にとって親しい人がいなくなるという現実は、言いようのない寂しさをもたらすわけです。ぽっかりと心に穴の開いたような、虚しさを感じるのです。ですから、私たちはこの母親の気持ちに共感いたします。もちろん全てわかるとは言いません。けれど、その悲しみの種類は知っております。それはどれだけ慰められても、月日を重ねても、決して埋まることのない喪失感です。他のものでは決して代用の利かない特別の痛みです。愛する人の死に無力であった自分への悔しさです。自分を置いてひとり先立って行った相手への怒りです。私たちはそれを知るからこそ、今、この女性に語り掛けるイエス様の言葉にただ驚くのです。何とも無神経な言葉かと思います。けれど、そうではありませんでした。イエス様はその母親をかわいそうに思われた。そして、その息子を蘇えらせてくださった。イエス様の言葉は、慰めでも何でもなくて、文字通りでありました。それは力ある言葉。命を与え、そして取られ、さらにもう一度与えることのできる言葉です。あなたの息子はよみがえる。だから、泣かなくてもよい。なのです。
 十字架の後、イエス様を埋葬しようと墓にやって来たマリヤたちは、そこにイエス様の亡骸がないことに呆然と致しました。しかし、みつかいは言います。「あなたがたは恐れることはありません。・・・ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。」空っぽの墓を探す必要はないのです。そこにはおられないのです。よみがえられたのです。これは私たちにも言えることです。私たちも先に召されたあの兄弟、あの姉妹を覚えるとき、もはやその死に留まる必要はありません。私たちにある兄弟姉妹の記憶の最後は、死かもしれません。けれど、そこにはもういないのです。その人はすでに天の御国に入れられているのです。ですから私たちは、天の御国に入れられた兄弟姉妹の今を覚えるべきなのです。「見よ、神の幕屋が人々とともにある。神は人々とともに住み、人々は神の民となる。神ご自身が彼らの神として、ともにおられる。神は彼らの目から涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、悲しみも、叫び声も、苦しみもない。以前のものが過ぎ去ったからである。」(黙21:3-4)

コメント

非公開コメント