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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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180930 ヨハネ21:15-19 「やり直しの朝」

ヨハネ21:15-19 「やり直しの朝」

 イエス様は食事が終わって、ペテロに問います。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、わたしを愛していますか。」しかも3度も同じ質問を繰り返します。これはどういう意味なのでしょう。ペテロの声が小さくて聞こえなかったのでしょうか。それとも彼の返事に納得がいかなかったのでしょうか。それにしても3度も繰り返すなんて、明らかに普通ではありません。ここにはイエス様の質問以上の意思が込められています。ここで思い出されるのは、3度イエス様を否んだ、あの大祭司の庭での出来事です。
 最後の晩餐の折、イエス様は弟子たちの下を去ること、そして弟子たちがご自身についていけないことを話されます。しかしそれを聞いたペテロは宣言しました。「あなたのためにはいのちも捨てます。」イエス様は言います。「わたしのためにいのちも捨てるのですか。まことに、まことに、あなたに言います。鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしを知らないと言います。」そして、その後、イエス様は捕らえられ、ペテロは大祭司の庭で確かに三度イエス様を否定するのです。三度目に鶏が鳴き声を聞かせた時、ペテロは自身の裏切りに気付き、愕然としたことでした。イエス様を知らないと言う。それはつまり、イエス様と自分との関係を否定することです。一度目、二度目、彼は自分の言葉の意味を全くわかっていませんでした。ただ必死に降り掛かった火の粉を払うのみです。しかし三度目の「そんな人は知らない。」とペテロが口にした瞬間、鶏が声を上げたのです。そして同時に、ペテロは自分が躍起になってイエス様を否定していた事実に気付かされます。「あなたのためにはいのちも捨てます。」と言うペテロに嘘偽りはありませんでした。けれど、実際は主を否み続けるペテロなのです。自身の弱さ、愚かさ、浅はかさ。彼は、自分自身のちっぽけさに涙し悔いるのです。
 復活されたイエス様はペテロに問います。「あなたはわたしを愛していますか。」一度目、二度目。ペテロはその意図に気付きません。けれど、三度同じ質問が語られる。イエス様の問いかけは、見ようによってはとても残酷だと思うのです。「あなたのためにはいのちも捨てます」と言ったのはペテロの本心だったのです。けれども、実際にはイエス様との関わりを否定してしまいました。ペテロは自分でもどうすることのできない弱さがあることを知りました。今、ペテロは「私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」と答えます。それは嘘偽りない本心です。けれど、そのペテロの決意すら、いとも簡単に揺らいでしまう現実があることをペテロは体験したのです。一度目、二度目、彼は何も考えずに返事をします。けれど三度目の質問に答えるとき、彼は自分の弱さと直面して、答えざるを得ないのです。そして、言ってみれば、その自身の弱さと向き合わせるために、その愚かさを知って尚答えさせるために、イエス様は敢えて三度繰り返される。そして、その上で「わたしの羊を飼いなさい」と言われるのです。
 つまり、これからリーダーとして立つペテロに、イエス様はまず彼の弱さと向き合わせるのです。自信満々に己を誇るのではなくて、自らの弱さ愚かさを自覚させ、そして、主イエスの憐れみに立つ己であらせるのです。誰が一番偉いかと競い合っているリーダーではなくて、人の殿につく、弱さに寄り添えるリーダーとして、今、ペテロの決意を問うのです。
 「しかし、あなたがたは、そうであってはいけません。あなたがたの間で一番偉い人は、一番若い者のようになりなさい。上に立つ人は、給仕する者のようになりなさい。」(ルカ22:26)ペテロの失敗は全ての福音書に記されます。それは、彼が生前、事ある毎に自分の失敗を語っていたということでしょう。「私はこんなにも愚かだった。弱い者だった。私もあなたたちと変わらなかった。けれど、イエス様はこのような者を用いてくださった。だから、あなたも遅くはない。あなたたちも必ず用いられる。」イエス様は私たちに自らの弱さ、愚かさに向き合うことを求められます。私たちは弱さの内にイエス様の憐れみを見るからです。多く許された者は多く愛することができるからです。

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