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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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181014 Ⅰペテロ1:23 「いつまでも残るもの」

Ⅰペテロ1:23 「いつまでも残るもの」

 100年先の教会を思い描くとすれば、どのような教会でしょうか。時代は加速度的に変化して行っています。それは私たちの想像を遥かに超えることです。私が子供の頃、夢だったスーパーカー、コストや燃費度外視の車は、今や完全電気化、そして無人運転が実用化しようとしています。公衆電話は無くなり、ネット社会の発展は流通や社会の仕組み自体を変化させています。人々の生活は様変わりし、歴史を振り返っても、近代のこの移り変わりは類を見ないものではないでしょうか。
 例えば、今、私たちは超高齢化社会を生きています。けれど言ってしまえば、100年後には、もうその超高齢化すら過ぎ去っているのです。第1次ベビーブーム、第2次ベビーブームが現在の日本の歪な人口構造を造ったわけですが、その後、第3次ベビーブームなるものは来ませんでした。ずっと、人口減少の一途を辿っています。私は第2次ベビーブームの世代ですが、恐らく、この世代がいなくなった後は人口はどの世代も軒並べて少ないという時代がやって来るでしょう。国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」によると、およそ100年後の2110年、日本の人口は5000万人を切っていると予想しています。今の人口の半分以下です。労働力の減少は、外国人への門戸をより広げるでしょうし、産業のAI化はさらに拍車が掛かっていくでしょう。これからドローン技術の開発で、様々なことが無人で行われるようになるとも言われておりますが、そうすると入間基地の役割も、随分と変わってくるでしょう。つまり私たちの身近なこの町も100年経てば驚くほど様変わりするという話です。
 修道院などと違い、教会は社会と隔絶されたところではありませんから、当然、社会の変化は教会にも影響を及ぼします。教会員の生活が様変わりするわけですから、それも当然です。けれど、教会のあり方として、変化に対応すること以上に大切なことがある。100年後教会に入ったら、そこにはキリストがいなかったということでは笑い話にもなりません。ましてや神の歴史の中で、現代は終末の時代です。イエス様の十字架と復活によって神の国が到来し、その完成を待ち望む間の時代。その日は盗人のようにやって来ると言います。100年先があるとも限らない。ですから100年後の教会は、100年先を想像して考えるのではありません。それは今、私たちが懸命に建て上げるこの教会の延長線上にある。100年先にはこうなっていたい。という話ではなくて、今、私たちがどのような教会でありたいか、ということが問われているのです。
 教会とは「エクレシア」。これはもともと「カレオー」召集するという言葉から来ています。意味は、神によって特別に召し集められた人々の群れです。つまり教会は会堂ではないということです。教会堂の規模や、財産、見てくれを指しているのではありません。キリスト者の群れとして、どのようであるか。その姿勢が問われているのです。
 どのように時代が変わり、教会を取り巻く環境が変わろうとも、決して変わってこなかったものがあるわけです。私たちはここを見失ってはなりません。ペテロやパウロといった使徒たちの時代。その後の迫害を生き抜いた使徒教父達の時代。ローマ国教下、アウグスティヌスを始めとする教父時代。それは異端と戦い教理を確立していった公会議時代でもありました。他宗教との戦争に明け暮れ疲弊した中世時代。ルターやカルヴァン達が活躍した宗教改革時代。競うように未開の地に宣教した大航海時代、そして現代。教会を取り巻く環境は驚くほど変化してきました。けれど、その時代時代に生きるキリスト者を招き、救いに導かれたのは、色あせることのない神のことばに他なりません。私たちが養われる霊の糧、神のことばは、パウロが語り、教父たちが守り抜き、ルターやカルヴァンが取り戻したまさにその「生きた、いつまでも残る、神のことば」でありました。2000年間、変わらずに語られている神のことば。それはつまり、神の約束は変わらないということであります。神の約束が時代と共に変わるのであれば、私たちの希望は不確かです。変わらないからこそ教会はどの時代にあっても希望なのです。こここそは変えてはならない教会の生命線なのです。

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