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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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181209 ルカ1:26-38 「マリアのアドベント」

ルカ1:26-38 「マリアのアドベント」

 御使いガブリエルは「おめでとう」と言い「こわがることはない」と言います。しかし、そんなわけにはいきません。御使いの祝福の言葉は、マリアにとってはあまりにも突然で、重たい言葉なのです。マリアはこの時12歳くらいだったと言われています。ヨセフと婚約中であったマリアは将来を夢見る少女でありました。人並みに結婚して、貧しくても夫と二人その日の糧が与えられ、そしてできれば子どもを授かって・・・。ところが、御使いの知らせは彼女の淡い夢を無残に打ち砕くのです。婚姻中に妊娠すれば、当然父はヨセフと皆思うでしょう。けれどヨセフがそれを否定したらどうでしょう。姦淫は石打です。そしてマリアがどれほど否定しても、これからお腹はどんどん大きくなっていくのです。ヨセフは裏切られたと傷付くでしょう。怒って婚約を解消するかもしれません。いえ、たとえ彼がそれを許しても、本当の意味でもう心を通わすことはできないかもしれません。マリアのお腹を見るたびにヨセフは惨めになるでしょう。ですから、マリアの今直面した試練と言いますのは、おめでとう。と言われるような単純なものではないのです。これからの人生を一変させるお告げなのです。
 けれど彼女は御使いの言葉を信じ受け入れます。そこにはエリサベツの存在がありました。エリサベツはマリアの親戚にあたります。子が産めなかったエリサベツは、きっと幼いマリアを実の子のようにかわいがっていたことでしょう。ですから不妊の女の悲しみを幼いマリアも身近に見ていたに違いありません。そのエリサベツに子が与えられたと言うのです。もしそうだとしたら、それは何と素晴らしいことでしょう。エリサベツの身に起きた奇跡をマリアは自分のことのように心から喜びます。神のなさることは全て時にかなって美しい。それは間違いなく主のなさることに違いありません。そして主がなさるなら、私に告げられたことも、その通りになるに違いない。マリアはエリサベツの出来事を聞いて、神にとって不可能なことは何もないことを知るのです。そしてこの全能のお方が私と「共におられる」。彼女は答えます。「ご覧ください。私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおり、この身になりますように。」
 マリアの今後は、どう想像しようと困難に満ちています。けれど、どのような困難があろうと、主が共におられる。老女と処女に子を授ける方、全能なる神が共におられる。ここに平安があるのです。困難が取り去られることが平安であると、私たちは思いがちです。けれど聖書は、信じれば困難が無くなるとは言ってくれません。神に選ばれたマリアの人生は、むしろ波乱万丈となりました。けれど、どのような時でも、どのような状況でも、主が共におられる。たとえ炎の中であろうとも、水の中であろうとも、そのところで、私たちはインマヌエルなる主がおられることを知る。私たちは試練や苦しみの中で、なお平安を得るのです。
 「恐れるな。わたしがあなたを贖ったからだ。わたしはあなたの名を呼んだ。あなたは、わたしのもの。あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。川を渡るときも、あなたは押し流されず、火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」イザヤ43:1c-2
 日々の現実の歩みは私たちに様々な不安を招きます。目まぐるしい毎日に、私たちは息も付けぬほどです。将来を考えるとき、先のことを思う時、私たちにとってそれは希望である以上に、襲い掛かる不安です。けれど、それらは決して私たちの恵みを奪い去ることはできません。イエス様は、遠く高い所で私たちのもがく姿を見ておられる方ではなくて、私たちが置かれるそのところに降りて来て下さった方。私が嘆いているまさにその所に共にいて下さる方だからです。
 「高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」ローマ8:39

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