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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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181216 ルカ1:24-25、39-56 「エリサベツとマリアのアドベント」

ルカ1:24-25、39-56 「エリサベツとマリアのアドベント」

 24、25節を見ますと、当時不妊というのが恥とされていたこと。そして、そういう偏見にエリサベツ自身が大変心痛めていたことがよくわかります。ですから、今、こうして子を身ごもったことについて、やった嬉しい!という喜びよりも、長年の張りつめていた気持ちがふっと軽くなったような安堵を覚えるエリサベツでした。「落ち度なく」を合言葉に、精一杯仕えて来たエリサベツ。彼女は人一倍、周囲の評価に怯えていたでありましょう。「安静にしていた。」とありますのは、第3版では「引きこもって」と訳されていた言葉です。年老いた身ですから人一倍気を遣っていたということでしょうが、それと同時に、年老いた身の妊娠を揶揄する声を避けたのではないか。興味本位で無責任な噂が飛び交っていたと思うのです。エリサベツのこれまでの苦しみや葛藤といったものまできちんと伝われば良いでしょうが、多くは表面的で刺激的な情報、そして膨れ上がった噂だけが広まっていく。老女の妊娠は人々の好奇心をあおる、格好のネタであったことでしょう。
 一方、マリア。ガブリエルによって妊娠を告知された彼女は、戸惑い恐れつつも、そのことを受け入れます。しかし、だから彼女は、一切のことに安心したかというと、そんなことはありません。なぜなら、他人のことを興味津々に噂する世間の目はマリアにも向けられているからです。主が共におられる。そこに疑いはありません。だからと言って、人々のあらぬ言動や好奇の目に傷付かないかと言いますと、決してそんなことはありません。何と言っても、マリアはまだ12歳そこそこの少女なのです。繊細過ぎる年頃。もしお告げが本当なら、このことはいずれ隠しておけなくなります。お腹が大きくなっていくのを止める術は無いからです。きっとあらぬ噂が飛び交うでしょう。先のことを想像すると、そこには不安しかありません。そこで彼女は村を出ます。ガブリエルが告げたエリサベツのもとに急いで向かいます。心細かったのです。一刻もはやくエリサベツに会いたかった。なぜなら、エリサベツだけがマリアの身に起こった全てを理解してくれるだろうからです。エリサベツもまた、神の不思議を体験しているその人だからです。
 マリアはエリサベツのもとに着き、あいさつをします。すると、エリサベツの体内の子が躍り、聖霊に満たされて言います。「あなたは女の中で最も祝福された方。」エリサベツはマリアがあれこれと説明するまでもなく、状況を把握したのです。そして、マリアを祝福します。マリアはマリアで、エリサベツの体の変化に神の取扱いの不思議と確かさを見ます。そして、何より誰にも言えず一人抱えるしか無い事を、初めて他人の口から祝福されて、わが身に起きた不思議を神の幸いとして改めて実感するのです。
 「マリアは、三カ月ほどエリサベツのもとにとどまって、家に帰った。」とあります。同じ立場に置かれた二人だからこそ、二人は互いの支えとなりました。その痛みも悲しみも戸惑いも喜びも自らと重ね合わせる二人だからです。心の底からわかり会える二人。この二人に比べれば、ヨセフもザカリヤも遠く及びません。救い主の誕生という大きな使命を背負うために、まずこの交わりが二人には必要だったのです。
 実はこのような交わりは私たちも経験している所です。すなわち、神の家族の交わり。信仰による交わりです。なぜなら、私たちが置かれている日常は、私たちの最も深い所を共感できないからです。私たちはどれだけ親しい人といましても、どこかで信仰のゆえの孤独を覚えます。久しぶりの同窓会で、懐かしさと共に違和感を覚えたりします。友人たちが盛り上がる話題にどこか共感できていない。居心地の悪さを感じます。何か根本的な部分で自分は違うと気付かされるのです。私たちはまことの神を知らない偶像の国において、挫けそうになる心を抱えて、必死に踏ん張り続けています。孤独に耐えています。けれどです。私たちは、唯一教会にあっては、心安らかにその荷を下ろすことができる。分かつことができるのです。私たちには、その孤独を、不安を、喜びを、共感する信仰の仲間がいる。これは何と幸いなことでしょう。一人で立っていられるほど、私たちは強くはありません。敢えて言います。私たちの信仰はこの交わりの中でのみ支えられるのです。

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