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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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190224 ハイデルベルク信仰問答 問24~25

Ⅰコリント8:4-6 「三位一体の神」

 日本では鰯の頭も信心からと言いまして、信じる対象は何だって良い。信じる心が大事だと言います。けれど、聖書は真逆です。信仰は芥子種で構わない。信じる対象が本物であることが大事だと言うのです。だからこそ、私たちは、この御方が本物かどうか、聖書から学び、認識して、確信する必要があるのです。
 さて、そのために知るべきこととして、ハイデルベルク信仰問答は、使徒信条を挙げております。使徒信条は古くから教会で告白されてきた大切な信条です。それはもともと洗礼信条、つまり洗礼の時に教えられ、告白するための信条でした。
 その告白するところは極めて簡潔です。それは父なる神とわたしたちの創造について、子なる神とわたしたちの救いについて、そして聖霊なる神とわたしたちの聖化についてです。実は、この三位一体の神を告白するということが、使徒信条の目的なのです。三位一体の神を告白できれば、洗礼を授ける。ここが信仰者とそうでない者の境界線です。それほどこのことが大事なんだと言っているのです。
 三位一体とは、何も3人の神がおられるということを意味しているわけではありません。神は唯一です(申命記6:4)。しかし同時に、神は御父であり、御子であり、御霊なのです(ヨハネ1:1-3、マタイ3:16-17他)。本質として一つでありながら、3つの位格を持たれる神。この双方が矛盾なく両立するのが、三位一体の神です。
 このことは、私たちの理解を完全に超えております。三位一体と言わずとも、ローマは多神教ですから、神はそもそも3人おられたと言ったほうがわかりやすかったでしょうし、逆に、神は唯一で、イエス様は被造物、聖霊は神の力の現れに過ぎないと言ったほうが、誤解は無いのです。キリスト教の教えで、この三位一体の教理がなければ、どれだけ理解しやすいかと誰もが思ったし、現に異端の多くは、この三位一体を否定する形で生まれたのです。
 けれど教会はこの教えに留まることを良しとしました。なぜでしょうか。25問です。「それは、神が御自身についてそのように、すなわち、これら三つの位格が唯一のまことの永遠の神であると、その御言葉において啓示なさったからです。」つまり、聖書が語るところがそうだからだと言うのです。そもそも、なぜ三位一体の教理が生まれ、それに反発する者たちが起きてきたのでしょうか。それは聖書を読む時に、父、子、聖霊の神が確かに共におられるからです。しかし一方で、神は唯一であると証言しているからです。この矛盾するような証言に、人々は困惑し、そして納得したのです。聖書を神の啓示として読む時に、人々は納得せざるを得なかった。つまり、被造物である私たちの理解では到底及ばないけれど、永遠なる神の不思議として、そのことを受け入れたのです。教会は洗礼を受ける前に、この三位一体の神を問うことで、神の言葉への信頼を問うたのです。信仰者は、自らが被造物に過ぎないことを、まず受け入れることが求められたのです。
 三位一体という奥義は頭で理解できることではありません。どのようにそれが矛盾なくなし得るのか。それはこの方が神である。ということに委ねるより他ありません。被造物である私たちは神の奥義を理解し得ることはないのです。しかし、三位一体の神をそのままに受け入れるとき、私たちは神のより重要なご性質に目が開かるのです。
 ハイデルベルク信仰問答の24問は、三位一体の神を、創造と救いと聖化。その役割によって区分しています。もちろん、そこまで厳密に線引できるかと言うとそうでもありません。創造の御業は、実際には、子なる神も、聖霊なる神も関わっておられます。救いも、聖化もそうです。けれど、それぞれの位格の視点の違いと言いましょうか、私たちへの関わり方には違いが見えるところです。そして、多角的な神の関わりを通して、神の救いのご計画はより確かなものとして啓示されるのです。

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