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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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190310 ハイデルベルク信仰問答 問27~28

ローマ8:35-39 「神の摂理」

 全てが偶然でなく、全てが神の御心のままにある。神は今も生きてこの世界をご支配しておられる。これが摂理というものですけれども、しかしこのことは、ある人にとっては受け入れがたいことではないでしょうか。神が生きて働かれるのなら、なぜこのような出来事が起こるのかと叫ばずにはいられない世界の現状があるからです。ハイデルベルクは言います。「豊作の年も不作の年も」。また「健康も病も」「富も貧困も」と言います。確かにそうなのでしょう。どのような時も、神の御心を外れて、神の支配の外で起こることは無いのでしょう。けれど、それは頭では理解できても、心はついて行かない。不作の年に、病の内に、貧困の中に、神の御心を感謝することはやっぱりできないのではないでしょうか。
 明日で東日本大震災から8年が経ちます。死者およそ1万5千900人、復興庁の発表では避難者数も未だ5万2千人となっています。あくまでも避難者として数えられている人数であって、たとえば避難は解除された人であっても、家族や地域との繋がり、仕事、生活自体の基盤など失ったものは計り知れません。
 なんで人生はこんなにも思うようにならないのか。何度祈っても、一向に問題は解決せず、何度御言葉を開いても、一向に神の声を聞くことはない。そんな時に、全てが神の御心のままにあると聞きましても、じゃあ、私に降りかかるこの逆境はどういうことなのかと、叫びたくなるわけです。祈りが足りないのか。信仰が足りないのか。一向に返事をしてくれない神に、いつしか疲れ果てて、神の実在をも疑ってしまうのです。
 神の摂理とはいったい何なのでしょう。実はそれは逆なのではないでしょうか。神の喪失を感じるような逆境の中で、尚も私たちの拠り所となる神の真理。これが神の摂理ではないでしょうか。このことは、もしも神がおられないならと考えてみればわかります。もしも神が生きて働かれないのだとしたら、それこそ、私たちの逆境は何の救いもない、ただの絶望でしかないのです。
 神がおられない世界とはどういう世界でしょうか。それは全てが自分の努力に起因する世界であり、一方で自分の努力によって如何ともし難い出来事を、偶然という言葉で片付ける世界です。何でこんなことが起こるのか。思いがけない逆境の中で叫ぶ私たちに、それはあなたの努力が足りないからだと、そしてあなたの運が悪かったのだという答えしか帰ってこない。これからどうしていいのか、光の見えない暗闇の中でもがく私たちに、今までよりももっと我慢しなさいと、努力しなさいと声がかけられる。神がおられない世界とはまさにこのような世界です。
 そうではないのです。この世界は神によって創造され、神によって導かれるのです。神は今も生きて、私たちの歩みをその御手の中で守り導かれる御方です。私たちは死んだ神や、石の像を拝んでいるのではありません。神は今も生きておられ、私たちと共にいてくださる。私たちの父として憐れみ深くあられ、私たちは神の御手の中にある。私たちの祈りは、叫びは、父なる神に届いており、決して虚しく響くことはない。神の摂理は、今を生きる私たちの希望の根拠となるのです。
 それだけではありません。「順境においては感謝し」ともあります。神のいない世界において、順境は努力の結果です。それは自分の手柄。もしくは運が良かったということでしかありません。けれど、神の摂理においては、全て感謝とされるのです。これは私たちの生き方を根底から変えることです。自らの手柄を自慢し、他人と比べては落ち込む私たちは、そういった努力競争から解き放たれて、恵みを数えて生きる者とされるのです。

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