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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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190505 ハイデルベルク信仰問答 問43~44

ローマ6:17-18 「新しい主人とともに」

 今日の第43問は「十字架上でのキリストの犠牲と死から、わたしたちはさらにどのような益を受けますか。」と問うています。「さらに」と言うのは、前回確認したイエス様の死がもたらした益は、復活の恵みだけじゃないと言うことです。それは、古い自分の死。つまり肉の欲からの解放をもたらしたと言うのです。そして、肉の欲から解放された私たちは、自分自身を感謝の生贄として献げるようになると言います。つまりイエス様の十字架の死は、私たちの死への解決だけではなく、私たちの地上での生き方を根本的に変えると言うのです。
 パウロはローマ6:17-18で「神に感謝します。あなたがたは、かつては罪の奴隷でしたが、伝えられた教えの規範に心から服従し、罪から解放されて、義の奴隷となりました。」と言っています。罪の奴隷から義の奴隷へ。十字架のイエス様の犠牲と死の恵みに与る私たちは、意識しているしていないを関係なしに、すでに変えられているのです。
 いやいや、自分なんて何も変わっていない。とおっしゃるでしょうか。神を知ってイエス様を信じても、自分の心は一向に聖くならないと。もしかすると、クリスチャンとなってからの自分は、以前よりも増して、罪深いのではないか。と悶々とするのが正直なところです。教会の兄弟姉妹を見ては、ますます自分の欲深さや愛のなさを痛感いたします。何で自分は変われないのかとため息が出るのです。
 けれど、確かにもう私たちは、以前とは決定的に違うのです。それは私たちの振る舞いがどう変わったということ以上に、確実に変わったことがある。つまり、私たちの主人が変わったのです。私たちは新しい主人のもと、新しい屋敷に引き取られたのです。新しい主人は私たちのために最も大切な代価を支払われて、私たちの身分を買い取ってくださった方でした。新しい主人のもとでは、私たちは自由に振る舞うことが許され、私たちの人生も、その後の永遠も、全てがこの主人によって守られ保証されています。そして、そのような主人のもとで、私たちは主人に相応しい者でありたいと願います。だからこそ私たちは主人の義しさの前に、至らない自分を発見するのです。そして、新しい主人のもと、私たちは一向に変わっていないと嘆くのですけれど、実際には日々主人の姿に影響を受け、主人の価値観に共感し、少しずつですけれど確実に、主人に似た者とされているのです。
 嘘だと思われるでしょうか。けれど、たとえば久しぶりにあった未信者の親友と話していて、息苦しさや疎外感を感じたりしたことは無いでしょうか。楽しく話しているのだけれど、どこか噛み合わない心のズレのようなものを感じることは無いでしょうか。それこそ、私たちが変えられた証拠です。私たちはもはや新しい主人の影響を受け、新しい主人の価値観の中で生きているのです。ある日、私たちは聞くことではないでしょうか。「あなた変わったね。」とです。自分では気付かないかもしれませんが、私たちは確かに変わったのです。
 さて、44問は使徒信条にある「陰府にくだり」の解説です。この一文は、世々の教会でも色んな解釈がありますが、ここでの論点は、主が私たちの救いのために、地獄のような苦しみを受けられたということに置かれています。何の救いもない状況のことをよく「神も仏もない」と言ったりします。この苦しみは誰もわかってくれない。この痛みは神も知るところではない。そう嘆かざるを得ない状況というのは本当に地獄です。けれど、イエス様はまさにその地獄を通らされたのです。「神も仏もない」「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」と叫ばざるを得なかった苦しみをその身に負われたのです。そして、それゆえに、私たちはどのような状況、たとえ「神も仏もない」と思うような時にも、たとえ神の声が聞こえない状況にあっても、たとえ陰府に至るような孤独に置かれても、主はそこにおられる。主は知っておられ、主は聞いて下さると慰めを得るのです。つまりこの一文は、死者のためにあるものではなくて、生きている私たちに向けられた、主はどこまでも私と共にいるという宣言に他ならないのです。

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