2015/01/04 ヘブル10:1-18 「神は思い出さない」 新年礼拝
ヘブル10:1-18 「神は思い出さない」
私たちは過去の失敗をいちいち思い出しては、どうせ自分なんかと落ち込んでしまいます。友人から受けた言われもない一言や、若気の至りで犯した過ちの数々。どうしても受け入れがたい不幸な出来事。いえ、昔のことだけでなくて、まさしく今、私のうちにある、止めようのない怒りや憎しみ・・・。忘れられたらと思います。しかし、どうしても忘れられません。それらはことある毎に私たちを責め続けます。「どうせお前なんて。」という声が心の中から聞こえてきます。たとえ他の誰が忘れようとも、私自身が忘れられないことがあるのです。
なぜなら、私たちにはその根本に、このように生きたいというモデルがあって、しかしそのように生きられない、という現実に直面するからです。私はこんなにも愚かで、みっともなくて、愛が無いと思い知らされる。それはつまり、神の似姿に相応しく生きることのできない罪ある者の後悔というものが、私たちの内にはあるからです。
しかし、そんな私たちに向けて、神は言われます。「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」実は神様の救いの本質は、この「思い出さない」という言葉に現れています。それは罪が無くなったということではありません。「罪と不法が無くなったから、思い出せない」ではありません。罪と不法は変わらずにそこにある。私たちは今も尚、罪まみれ。しかし、神様はそれをこれ以上追求しない。私たちは相変わらずだけれども、神様の側で一方的にその取扱いを変えると言って下さる。これが、すなわち救いなのです。
神は過去を問わないと言われます。それは言い換えると、今、この瞬間を問われるということです。あなたは今この所から新しい一歩を踏み出しなさい。今この時に過去と決別して生きなさいと言われるのです。
私たちは過去の失敗をいちいち思い出しては、どうせ自分なんかと落ち込んでしまいます。友人から受けた言われもない一言や、若気の至りで犯した過ちの数々。どうしても受け入れがたい不幸な出来事。いえ、昔のことだけでなくて、まさしく今、私のうちにある、止めようのない怒りや憎しみ・・・。忘れられたらと思います。しかし、どうしても忘れられません。それらはことある毎に私たちを責め続けます。「どうせお前なんて。」という声が心の中から聞こえてきます。たとえ他の誰が忘れようとも、私自身が忘れられないことがあるのです。
なぜなら、私たちにはその根本に、このように生きたいというモデルがあって、しかしそのように生きられない、という現実に直面するからです。私はこんなにも愚かで、みっともなくて、愛が無いと思い知らされる。それはつまり、神の似姿に相応しく生きることのできない罪ある者の後悔というものが、私たちの内にはあるからです。
しかし、そんな私たちに向けて、神は言われます。「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない。」実は神様の救いの本質は、この「思い出さない」という言葉に現れています。それは罪が無くなったということではありません。「罪と不法が無くなったから、思い出せない」ではありません。罪と不法は変わらずにそこにある。私たちは今も尚、罪まみれ。しかし、神様はそれをこれ以上追求しない。私たちは相変わらずだけれども、神様の側で一方的にその取扱いを変えると言って下さる。これが、すなわち救いなのです。
神は過去を問わないと言われます。それは言い換えると、今、この瞬間を問われるということです。あなたは今この所から新しい一歩を踏み出しなさい。今この時に過去と決別して生きなさいと言われるのです。