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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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190609 ハイデルベルク信仰問答 問53

ヨハネ14:16-17 「聖霊なる神」

 ハイデルベルク信仰問答は、今日から聖霊についての告白に入ります。その焦点は2つ。一つは、聖霊は三位一体の神で永遠の神だということ。そしてもう一つは、聖霊はわたしに与えられたお方であり、わたし個人に関わられる神だということです。
 このお方は神であられる。これは聖霊を理解するための大前提です。決して聖霊を単なるエネルギーや賜物などと考えてはいけません。それは聖霊を過小評価しています。聖霊は、世界の創造から今に至るまで、変わらずにこの世界に関わり続けられる永遠の神なのです。けれど、その永遠の神である方が、私たちに与えられたのです。
 Ⅰコリント6:19には「あなたがたのからだは、あなたがたのうちにおられる、神から受けた聖霊の宮であり」とあります。しかし、いったい私たちの誰が聖霊の宮に相応しいことでしょうか。イザヤは神の栄光の前に、「ああ、私は、もうだめだ。」と嘆きました。ペテロはイエス様の栄光を目の当たりにして「主よ、私から離れてください。私は罪深い人間ですから。」と言いました。それが当然の反応です。ましてや聖霊が私に内在すると言うのですから、考えて見ますとこれは何と恐ろしいことでありましょうか。中の宝石が豪華であればあるほど、外の器のみすぼらしさが目立つと言うものです。聖霊が共にいることに私たちは申し訳なさを感じます。あまりにも釣り合わない自分をまざまざと見せつけられます。けれど、聖霊は敢えて、そのところにおいでになられたのです。まるで、貧しい家畜小屋にお生まれになったイエス様のようにです。私たちが聖霊の宮となることは、相応しくないかもしれません。けれど大事なのは聖霊がそれを良しとされたということです。これはペンテコステ以来与えられた特別の恵みです。私たちの助け主は、私たちと共に歩み、私たちを助け、慰め、教え導き、いつも励ますことを自ら選ばれたお方なのです。
 聖霊のお働きを具体的に挙げてみましょう。私たちが自らの罪に気付き、これを後悔するのは聖霊が気付かせてくださるからです。また、キリストの十字架の死が私たちの罪の贖いであり、このお方を信じる者は罪赦され神の子とされると確証させるのも聖霊であります。そしてこのお方を救い主と告白することは、聖霊による導きがあってのことに他なりません。聖霊は御言葉をもって私たちを日々神のもとへと導き、愛を注ぎ、とりなしをし、私たちを栄光あるキリストのみからだへと変えてくださる。そして聖霊は私たちに語るべき言葉をさずけ、神の器としてその尊いご計画に用いてくださるのです。つまり私たちの救いと聖化に関わる一切に関わってくださるのが聖霊なのです。
 インマヌエル綜合伝道団の藤本満師は「わたしの使徒信条」という本の中で、「二千年前の、私たちの外側で起こった歴史的な出来事、その恵みを私たちの内側へと及ぼさせる――それが聖霊の働きです。」と述べています。神のうちにどのようなご計画があろうと、キリストによる贖いの御業がどれほどに素晴らしくとも、私たちが信仰をもって向き合わなければ、それは単なる歴史的出来事でしかありません。イエス様は、源義経や、織田信長と横並びの歴史上の人物でしかないことでしょう。けれど、聖霊はこのお方に関する一切を私のこととして結び合わせて下さるのです。イエス様が十字架に架かられたのは私の為だと。イエス様が蘇ってくださったのは他ならぬ私の為だとです。客観的に見れば、そんな大昔の話が私にいったい何の関係があるでしょうか。けれど、やはりそれは私のことなのです。これは先ほども言った聖霊の内住が関わっています。つまり、私たちの内に住まれる聖霊にとって、それは過去の事でも、他人事でもなく、永遠の神であられるご自身の出来事なのです。この永遠なる神が、今日、私の内から働きかけ、私たちを神の恵みに結び合わせて下さるのです。

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