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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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191006 ハイデルベルク信仰問答 問96~98

第1ペテロ1:18-21 「朽ちるものによらず」

 今日の箇所は第2戒、偶像礼拝の禁止です。第1戒を一言で説明するとすれば、それは「神である方を神として認める。」ということでした。「神だけに従う」ということです。では第2戒は何でしょう。それは「神でないものを神として認めない。」つまり「神以外には従わない」ということです。つまりここには、偶像を避けなさい。とか、選ばないようにしなさい。とか、そういう曖昧な態度ではなくて、明確に偶像を拒否するという意志の現れがここにはあるのです。
 ハイデルベルク信仰問答は、カトリックに抵抗するプロテスタント運動の最中に造られたものです。ですから根底にはキリスト教世界の共通の理解があって、その上で構築された信仰問答です。つまり、信仰問答が偶像問題を取り扱うとき、そこにはただ唯一の神の存在は確かにあり、けれど、この唯一の神を自分に都合良く偶像化することの禁止です。つまり、出エジプトの折、モーセの下山を待ちきれずに金の子牛を目に見える神の像として造ったまさにその行為と目的を禁じているわけです。けれど、たとえば、初代教会の時代。ローマ帝国領における教会の置かれた立場はそれとはちょっと違います。ローマの多神教の世界観の中で、キリスト者たちは身を潜めていたのです。ゼウス像とか、ヴィーナス像だとか、それはまことの神を形造ったものではなくて、別の神々を形造ったものです。そういう世界では、この第二戒の持つ意味はより広がりを持つのではないでしょうか。つまり、神を形あるものとするな。というだけではなくて、そこには、神以外のものを神とするな。という意味が生まれてくるわけです。そして八百万の神々の世界観を持つ私たち日本人は、この第二戒からやはり、神以外のものを神とするな。という戒めを汲み取っていかなければならないのだと思います。
 神を離れた人間が、神以外のものを神とするのはなぜでしょうか。それは人が自分にとって都合の良い神を望んだからです。まことの神との関係においては、人間は被造物であり仕える存在でありました。だからでしょうか。人が望んだのは困った時にだけ頼れる神。自分のやることを権威付けてくれる神。あらゆる努力や考察を放り出して、あるがままの状況を自分に都合よく正当化してくれる神でした。人は神に従うのではなく、自らが主人となって神を従わせることを望んだのでした。
 お金があれば幸せになれると信じる人にとっては、お金こそが神でしょう。あのアイドルになら命を懸けられると言うなら、そのアイドルこそが偶像です。これがあれば幸せになれる。都合の良い神は、自分の幸せを保証する道具に過ぎません。けれど、本当にそれが幸せを保証するかと言いますと、そんなことは決してありません。お金に裏切られて破産をする資産家は後を絶ちませんし、尾崎豊の死に後追いする人がいましたが、彼らが幸せだったとは決して言いたくありません。
 私たちは偶像を作らないし、認めない。拒否すると明確に意識し、宣言することが大事です。神以外のものを神としない。神以外のものに自分の人生を委ねない。という決断が必要です。
 クリスチャン作家である三浦綾子さんは戦時中小学校の教師をされておられました。子どもたちに教育勅語を教えていた張本人です。ところが戦争が終わり、天皇の人間宣言があり、これまで教えていた教科書から教育勅語を黒く塗りつぶすことが命じられます。その時、自分がこれまで信じていたものがガラガラと崩れ去り、自分の教え子をそのような虚しい教えによって戦地に向かわせたことの責任に苛まれ、自暴自棄になったのだそうです。たとえそれがどれだけ正しく見えようとも、偶像はやがて朽ちていくものです。そして朽ちるものに人生をかけることは、私たちを不幸にするだけです。朽ちないもの。変わらないもの。私たちは永遠に変わることのない主の御言葉にこそ寄って立つべきです。永遠に変わるところのない主の愛を見上げて歩むべきなのです。

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