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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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2015/06/28 ヨハネ1:35-42 「信仰の旗印」

ヨハネ1:35-42 「信仰の旗印」

 前日と同じく、ヨハネはイエス様が歩いて行かれるのを見て言います。「見よ。神の小羊」けれど前日と違うのは、その言葉を聞いて二人の弟子、アンデレとヨハネがイエス様の後について行ったことです。
 イエス様は二人に振り向かれて問われます。「あなたがたは何を求めているのですか」ヨハネの福音書で語られるイエス様の最初の言葉です。これはとても大切な問いかけです。と言いますのも、何を求めているかによって、その人が必要とする救い主が違ってくるからです。政治的な救いを求めるなら、議員に訴えるべきでしょう。宗教的な癒しの宣言なら祭司のところに行くべきでしょう。経済的な救済なら金持ちの家の前に座るのが良いでしょうか。イエス様の後を追いかける二人ですから、求めがあるのは間違いない。けれど、それがいったいどういう求めなのか。何を求めるかによっては、イエス様に付いていくことは何の意味も成さなくなるのです。私たちも何を求めているのかが問われるところです。
 アンデレとヨハネの求めているものは何でしょうか。彼らはヨハネの言葉を聞いて、イエス様の後を追ったのですから、彼らの求めは一つです。この方がどういうお方かを知りたい。ですから彼らはイエス様に声をかけられたのをこれ幸いに「ラビ。今どこにお泊りですか。」と尋ねます。つまり、「先生、今どこにお泊りなんですか。私たちはあなたをもっと知りたいです。あなたととことん話し合いたいのです。あなたのお泊りになっているところにご一緒してもいいでしょうか。」と願ったのです。
 「来なさい。そうすればわかります。」二人はイエス様の声に従って宿へとついて行きます。「時は10時頃であった」とあります。現代の時刻では、午後4時。つまり、ユダヤの日没を意味します。日没は一日の終わりであり始まりです。そして、「その日彼らはイエスといっしょにいた。」ともありますから、その晩、彼らは夜通しでイエス様と語り合ったということです。どんな話があったか詳しくは書かれません。しかし、想像はできます。翌朝、彼らは「私たちはメシヤにあった。」と人々に告げ知らせたからです。41節に「彼はまず自分の兄弟シモンを見つけて」とあります。ペテロを始めとして、他の人々にも、という意味です。つまり、そういう晩を過ごした。ラビ(ユダヤ教の先生)と呼んでいた彼らが、メシヤと確信し、それを人々に黙っていられない。そういう一夜です。イエス様は彼らの悩みを真剣に聞き入れ、聖書を解き明かし、ご自身を明らかにし、祈り、魂に触れる交わりを共にされたのです。
 大切なのは、イエス様のもとに行くということです。遠くから眺めているだけではダメなのです。そうすればわかるというのは、そのようにして下さるということ。イエス様と向きあえば、イエス様の言葉に耳を傾けば、イエス様がわからせて下さるのです。私は高校生の頃に聖書に触れ、教会に導かれました。しかし、どこか頑なで、興味はあるけど、信じたいけど、イエス様のことを全て知るまでは、聖書を隅から隅まで納得するまでは信じることは出来ないと思っておりました。そうでなければ信じる資格がないとです。しかしある時、それは順序が逆であることを知ったのです。まずは求めを持ってイエス様のもとに行くのです。そうすればわかる。私は神がおられること。イエス様が神の子であること。私の救い主であることを信じました。というよりも、私の中でそのように心を決めました。すると、聖書のあらゆる記事が、納得がいくものとして心の中にストンと落ちたのです。信仰は私たちの旗色を鮮明にすることから始まります。私は何を求めるのか。私は誰についていくのか。私たちがまず心を決める時、その他のことは自ずとわかるようになるのです。信仰は知識に先立つのです。

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