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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200105 ハイデルベルク信仰問答 問104

エペソ6:1-9 「秩序ある関係」

 親に敬意を払わない。上に建てられた人に愛と誠実を示さない。それは、神が決められた秩序を無視する行為です。なぜなら神は、父母、上に立てられた人を通して、わたしたちを治めておられるからです。しかも、このことは、親がどのような親か、上に立てられた人々がどのような人々か、その能力や人格を問うてはいません。親が親である限り、上に立てられた人が上に立てられた人である限り、私たちは従わなければならないと言うのです。これが聖書の言う人間関係の原則です。
 理不尽に思われるでしょうか。時代錯誤と言われるでしょうか。確かに、これは現代では流行らない親子関係かもしれません。今は友達のような親子関係がもてはやされる時代です。教師と生徒の関係も、権威ある教師ではなくて、親しみやすい教師が望まれます。優しく、威圧感のない、話が通じて、説教じみたことは言わないで、自分たちをただただ肯定してくれる友達のような親や教師。けれど、そのような関係が学級崩壊や家庭崩壊と言った、本来あるべき秩序を失っている現実を招いているのではないでしょうか。
 なぜなら、友だちのような親や教師は、正しく子どもを叱ることができないからです。仲良し関係の延長した先には、慣れあいの関係が築かれるのです。嫌われたくない親や教師は、子どもたちに共感することはできても、正しく指導することができません。いえ、もちろん仲が良いに越したことはないのです。威圧的な関係が勧められているわけではありませんし、相手を否定し続ける関係と言うのは更に間違いです。けれど、親子はやはり友達ではありません。上司と部下もそうですし、先生と生徒もそうです。友達ではあってはならない。親には子どもを叱る責任があるし、子どもは親に叱られて、我が身を正す必要があるからです。その叱責に納得がいくなら、子どもたちは従います。その叱責に愛があるか無いか、子どもたちは敏感に感じ取ります。叱責すること、懲らしめることが駄目なのではなくて、そこに愛が無いことが駄目なのです。
 聖書はことある毎に、子どもたちは親に従うようにと教えます。そしてそれ以上に、親たちには子どもを正しく教え、懲らしめることを命じています。箴 13:24「むちを控える者は自分の子を憎む者。子を愛する者は努めてこれを懲らしめる。」箴 23:13「子どもを懲らしめることを差し控えてはならない。むちで打っても、死ぬことはない。」懲らしめるためには、その懲らしめに耐えうる自分でなければなりません。愛が無ければなりません。自分のこと一切を脇に置いて、懲らしめようとしていても、それは反発を招くだけです。当然です。親は子の前で尊敬される存在である必要があります。そして、その尊敬は自らを神の前に晒すことで初めて伝わるのです。
 家事ができることが尊敬でしょうか。仕事ができることでしょうか。趣味が多才なことでしょうか。いえ、私たちは、信仰においてこそ尊敬されるべきです。そうでなければ、誰が信仰を引き継ぐことができるでしょうか。しかし、それは何も完璧で何の落ち度もない信仰生活を送りなさいと言うことではありません。正直な信仰生活です。素直な信仰です。色んな失敗を繰り返し、人間的な弱さを抱え、挫折を経験しつつ、尚、祈りと御言葉によって励まされ立ち上がる。子どもたちに限らず、世の人々が見ているのは、困難にあって信じる者の確かさであります。私たちは神と共に歩む日々を飾らず、しかし恨まずに、証しし続けるのです。困難の中で感謝を称えることのできるキリスト者の姿は、やがて子どもたちが己の試練を経験する時に意味を成すのです。
 第5戒は子が親に従うことを命じます。しかし、親の姿こそが問われるのです。先に生きる者が見本となることが大事です。弱さを認め、罪と向き合い、信仰によって乗り越えて行く。神の前に正直なその姿こそが尊敬に値することを、身近なその目はやがて知るのです。

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