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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200202 ハイデルベルク信仰問答 問110-111

Ⅰテモテ6:17-19「ある物に目を向けて」

 子どもたちと一緒にアニメ番組を見ていますと、その合間合間に、今まさに見ているアニメのおもちゃのCMが流れます。すると、子どもたちはテレビに向かってこれ欲しい。あれ欲しい。と誰が一番欲しいか競争をするのです。我が子ながら何とも浅ましい光景だなぁと思います。けれども、彼らが浅ましいと言うよりは、CMというものがそもそも、人の欲を掻き立てるように作られているわけです。CMはこれがあれば、如何にあなたの毎日が幸せになるかをアピールします。逆に言うと、これが無いあなたの人生は如何に物足りないかとアピールするのです。私たちは持っていないことに焦ります。不安になります。そして他人が羨ましくなります。どうしようもなく欲しくなります。そして、ある時、ある条件下で、その欲望は一線を超えるのです。目の前のものを奪ってしまおう。普段はそんなこと考えないでしょう。人の目があるからです。捕まると法律によって罰せられるからです。けれど、誰も見ていないとしたらどうでしょうか。どこにでもある、ありふれたものだったらどうでしょう。周りのみんなもやっているとしたら?私たちを思いとどまらせてくれる枷が無くなれば、思わず手を伸ばしはしないでしょうか。
 信仰問答の110問は「自分の隣人の財産を自らのものにしようとするあらゆる邪悪な行為また企てをも、盗みと呼ばれる」と言っています。盗んだかどうかだけでなく、その企て、その心も問われていると言うのです。誰も見ていないから。今ならばれないから。これくらい、みんなやっているから。それはあまりにも神の存在を無視しています。神はその振る舞いをご存知です。神は私の不正を喜ばれません。だから私は罪を思い留まれるのです。私たちが欲望に流されるかどうか、それは全知全能であり、私に関心を寄せられる神の存在を認めるかにかかっているのです。
 神は、私たちにどのような具体的な生き方を望んでおられるのでしょうか。それは私たちが受ける者から与える者になるということです。「このように労苦して、弱い者を助けなければならないこと、また、主イエスご自身が『受けるよりも与えるほうが幸いである』と言われたみことばを、覚えているべきだということを、私はあらゆることを通してあなたがたに示してきたのです。」(使徒20:35)とあります。これこそが私たちの日々の生活を豊かなものにする秘訣です。受けることばかりを望む人は、決して満たされることがありません。それは、無いものを見ているからです。足りなさを見ているからです。それはCMと同じです。足りなさを補えば、幸せになれると勘違いしています。けれど、その人は無いものを見ているのですから、受けても、受けても、満たされない思いが募るだけです。どこまで行っても充足感は得られません。でも、本当に足りないのでしょうか。本当に満たされていないのでしょうか。確かに私には持っていないものがあります。足りないものがあります。けれど、じゃあ私たちは不十分なのでしょうか。受けるよりも与えるほうが幸いである。という御言葉は、十分に持っていないと与えられないのではありません。今あるものを与えることが幸いであると言っています。今あるものを用いずに、無いものばかりを強請ることは、与えられた賜物を無駄にしていることなのです。つまり、私が誰かの役に立つ。誰かの助けとなれる。そのような経験を通して、私たちは足りないと思っていたけれど、そうじゃない。私たちに与えられているものは、すでに充分なんだと知ることができるのです。今あるものが充分だと知れるときに、初めて私たちは人生に満足を得るのです。
 「盗んではならない。」とは、つまり「わたしの恵みはあなたには十分である」ということです。必要なものは全て用意されている。ということです。盗む必要など無いのです。マタイ7:9-11には次のようにあります。「あなたがたも、自分の子がパンを下さいと言うときに、だれが石を与えるでしょう。また、子が魚を下さいと言うのに、だれが蛇を与えるでしょう。してみると、あなたがたは、悪い者ではあっても、自分の子どもには良い物を与えることを知っているのです。とすれば、なおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがありましょう。」他の者を妬むくらいなら、なぜ、天におられる父に求めないのでしょうか。天の父は、求める者に良いものをくださるとはっきりと語っておられるのです。いえ、すでに十分に用意されているのです。私たちの目を、無いものに向けるのは止めましょう。そうではない。頂いているものの豊かさを数えることといたしましょう。

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