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Author:yasukomi
埼玉県狭山市にあるいのちの樹教会の牧師です。
このブログは毎週の礼拝と祈祷会のメッセージを要約したものです。

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200219 レビ19:19-37 「愛を伴って」

レビ19:19-37 「愛を伴って」

 レビ記19章は18-20章とまとまりの中で、神の民の生活の在り方を規定した箇所です。
 19節は家畜、種、糸、神が造られた創造の秩序を乱して混ざり合うことが禁じられます。そして、それは男女の間に関しても禁じられました。20-22の意味は何でしょう。ここで語られる女奴隷とは、他の男性と婚約関係にはあるけれど、まだ結婚には至っていない女奴隷のことです。姦淫の罪は男女ともに石打ちの刑と決まっていますが、この女性が奴隷ゆえに従わざるを得なかった場合は考慮すると言うことです。しかし、男性の方は違います。たとえ、それが自分の奴隷であり、まだ正式に結婚をしていなかろうと、その者は罪過の生贄として雄羊を捧げなければならないと命じられました。女奴隷が主人の所有物として扱われた当時において、主の命令はその人権を認め、保護するものでした。
 23-25節は果樹の実の刈り取りについて定められています。3年はそのままに置き、4年目は主への捧げ物とし、5年目にその実を収穫する。それは果樹の保護のために大切な決まりとなりました。すぐに手を付けてはならないのです。美味しい実がなるには時間がかかるのです。4年目には立派に育っています。美味しい実がなる。けれど、まだ自らのものにしてはいけません。それは主のものであり、その初物は主に捧げるのです。自由に刈り取りが許されるのは5年目からでした。
 26-31節では異教徒の文化に混ざってはいけないことが命じられます。血が付いたままで食べること。まじない。卜占。びんの毛を剃ること。髭の両端を切ること。死者のための自傷行為。入れ墨(魔除け・所属)。神殿娼婦(アシュタロテなどの神と結び付く行為が勧められた)。霊媒。口寄せ。これらは異教徒の間で宗教的に重要視された行為の数々でした。しかし主の民とされたイスラエルは、主の命じるところに従います。安息日を守り、主の聖所を恐れることです。
 32-34節は、老人や在留異国人の扱いについて命じられます。足腰が立たず、動けなくなった老人は荒野の旅においては、足手まといとして置いて行かれても文句が言えない弱い立場でしたが、主はそのような老人の前に起立し、敬うようにと命じます。また在留異国人に関しては、9-10でも収穫の落ち穂は在留異国人のために残しておかなければならないとあります。在留異国人は、イスラエル人がエジプトでそうだったように、ともすれば奴隷と同じ扱いを受けていましたが、神はそのような在留異国人を同族のように扱うようにと命じるのです。
 35-36節は商売において、不正することの禁止を命じられています。正しい計りを用いなければ、正しく物の量を知ることはできません。不正な計りを用いることはそもそもの基準を失わせることです。神の基準を誤魔化してはならないという普遍的な警告が聞こえてきます。

 全体を通してわかることは、神の民に対して語られたその生き方は、私たちが世の価値観に混ざらないということ。そして、神の価値観は弱い者を保護する視点にあるということです。弱い者を食い物とし、切り捨てる世の中にあって、神が民に期待する生き方は全く違いました。地の塩、世の光として生きるということを考えるとき、それは、私たちがキリスト、キリストと拡声器で触れ回ることではありません。むしろ、私たちの日常の中で、神を意識し、誠実に愛をもって隣人に仕えるということが問われているのです。マインドコントロールや、終末的破滅思想によって恐怖を煽る異端が後を絶ちませんが、彼らの多くはそれを正しいことと信じて真剣に行っています。魂の救いを得るためには、何をしても良いと考えるのです。その結果として魂が救われれば、それはその人にとっても良いことだから。と言う論法です。けれど、主が命じるのは、私たちがまことの神のみを恐れ、私たちのこの交わりの中に愛と慈しみがあることです。教会が、そして私たちが、この世にあって語るべきはもちろん福音です。けれど、福音はそこに愛が無ければ、人々に届くことは決してありません。教会の交わりが弱い者に配慮し、寄り添うものでなくて、誰が福音の実現を見るでしょう。老人、赤ん坊、妊婦、病の中にいる人、様々な不安や責任を抱えて心に余裕がなくなっている人、教会には色々な人が集います。それぞれの人がそのままで受け入れられる交わりを築いていくことができれば、私たちは主の愛の実現として、世に輝くことになるのです。

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